トップ 最新 追記

日々の破片

著作一覧

2026-03-01

_ リゴレット

新国立劇場でリゴレット。暗い舞台だけに、スパラフチーレが闇に溶け込む退場の仕方が素晴らしい。

というか、これも実に良いリゴレットで何も言うことはない。合唱のうまさは当然良いし、ブラウンリーは1幕こそ(フローレスもそうだったが)ベルカント歌手のマトヴァ公ってなんか違うんだよなぁと思わせたものの、どんどん、あれ? これは素晴らしいマントヴァ公ではないかと印象が変わり、中村のジルダは最初から最後まで実にジルダで、海外から主演を招聘しなくとも全然OKではないかと思い、ストヤノフのリゴレットは文句なく、指揮のカッレガーリ(カリガリ博士?)の指揮っぷりも実にスリリング(危なっかしいという悪い意味ではなく、音の躍動感やメリハリが実に効いていて、次はどうなるという期待感がすごい)で、とても満足だ。

意表を突かれたのが、完全な脇役でどうでも良さそうなマルッロ(成田という人)がひときわ目立つ美声で、えらく良い。マルッロが歌うと舞台が輝く不可思議さも味わった。


2026-03-06

_ メトのアンドレアシェニエ

東劇でヨンチェヴァとベチャワのアノドレアシェニエ。抜群だった。指揮、歌手、演出はメトだからのコスプレであまり好きではないとはいえ、とても良かった。

何しろおれが一番好きなオペラでもある。

中学~高校の頃、NHKイタリアオペラのテバルディとデルモナコのライブ盤を買って死ぬほど聴きまくった。で、当時のLPだから対訳がついていたから大体の会話は覚えているはずだった。

が、今回、映画ならではの字幕を見ていて、相当記憶違いがある(か、当時の対訳が間違っていたか)に気付いた。

一番大きいのはラママモルタの私は愛! 私は神!の「私」 はマッダレーナのことではなく、マッダレーナに語り掛けた光のことだった(もちろん、その光は内的心理の外形化だから、そういう意味ではマッダレーナ自身と言えなくもないが)。すると、母親が死んでひどいことになったけど、ベルシのおかげでどうにかやって来れた、その時にシェニエに再会して(と身の上話をしているうちに)興奮しまくって、ついには私は神! と叫ぶという狂気の愛の歌ではなくなってしまう……。

同じことは、ジェラールのパンテオーネの歌についても言える。おれは、告発状に、「裏切り者、反動軍の兵士、外国人……」とか書いているうちに、おれは一体何やってるんだ? おれは高い理想に燃えて人民のためにパンテオーネを打ち建てようとしているのに、なんと堕落してしまったことか! という歌だと思っていたが全然違う。

幕間のインタビューでゴロヴァテンコ(この人のジェラールは実に素晴らしい)が、ジェラールは微塵も反省、後悔なんかしていないよ! と言い切るので???となったのだが、この対訳では確かにそういう歌ではない。

裏切り者、反動軍の兵士、外国人、こういう連中と戦い、人民の涙を糧として、世界に愛のパンテオーネを打ち建てるのだ! 人民を抱きしめ接吻をするのだ! という歌だった(どちらにころんでもパンテオーネの件が美しいのは変わらないわけだが)。

したがって、内心忸怩たるジェラールが、私は愛なのです! と言い切るマッダレーナに押されてシェニエの弁護に走るというのではなく、恬として恥じることないジェラールが、やりたいならやりなさいよ、私はすべてを失って、ただあの人への愛だけが残っているのだから、全然OK! というマッダレーナの本気っぷりに打ちのめされてシェニエの弁護に走るという話になる。

いやー、まったく違う話ではないか。

とはいえ、この曲のすばらしさはまったく変わることはないわけだが。

最近のメトライブビューイングは、幕間に指揮者にピアノを弾かせながら聴きどころを紹介させるのだが、ルスティオーニの説明は聞いて良かった。

というのは、大空を見上げ言葉を引っ張り集めて(まるで、ファウスト博士が精霊を呼び集めて彼らの力を借りてメフィストフェレスを地底から引きずり出すみたいな)詩を作り出すという説明や、裁判の場面で罪状否認もそこそこに、舟歌に変わる、それは大海原を船で航海するからだという説明は目からうろこ。舟歌とは! で、確かにバルカローレだ。全然気づきもしなかった(というか、裁判での歌はまったく注目もしていなかった)。あるいは、ラママモルタを助けを求めるでも願いを言うでもなく、なんか自分のことを延々と喋るだけの妙な歌、という説明もうなずかざるを得ない。イリッカの作詩術とジョルダーノのどんどん楽想を膨らませて大爆発させる作曲法が見事に絡み合って、この音楽史上の大傑作が生まれたのだな。

それにしても、1幕では居並ぶ貴族や僧侶が顔をそむけるカデット(立憲君主主義者)としてのシェニエの左っぷりが、共和制になったとたんにカデットとして極右(憲法下とはいえ王権を認めるわけだから)扱いされる、政治の相対性はおもしろい。おそらくイリッカとしては、蝸角の争いみたいな印象を持っているのかも知れない。


2026-03-10

_ ラインの黄金

スカラ座でヤングとマクヴィカーのラインの黄金。

どんな演出なのかわくわくしながら観ていると、いかにも神話的な衣装の基本的に原作に忠実な演出が始まる。

アルベリヒは登場時にはサテュロスで山羊の角がある。で、サテュロスらしくスケベ心全開でラインの乙女たちに戯れかける。

ラインの黄金のモティーフとともに一条の光がさすと、全裸(と思ったら褌は履いている)の黄金仮面が横たわっていて、くねりくねりとエロティックなダンスを始める。それと戯れるラインの乙女、茫然と眺めるアルベリヒ。この全裸(ではない)黄金仮面がラインの黄金なのか。

ってことはアルベリヒはこの黄金仮面を誘拐するのだなと見ていると、黄金の仮面を剥ぎ取って去っていった。このあたり記憶はあいまいなのだが、愛の断念でサテュロスの角をもぎ取っているかもしれない(ニーベルハイム以降は角がないように見える)。

一転、天上では右に階段、左に塊の妙なヴァルハラに神々が集う。ヴォータンはふつうに片目、槍を持ったヴォータン。フリッカは髪の毛を羊の角のようにくるりんと二つ巻いている。各自歌わないときは仮面を被っている。ドンナー、フローは三角に見える小山のようなぶかぶかの衣装(特にドンナーが美声で聞きほれる)。フライアだけは白いスラッとした衣装で一人だけ雰囲気が異なる。

ファフナーとファーゾルトは竹馬に乗った男とその後ろの半裸の男の2人で1組。半裸男はそれぞれ手足として動く。最初、歌手が半裸男(それにしては良い男っぷり)だと思ったら、竹馬のほうが歌手だった。なんか安定しなさそうだが、そんなことはなく堂々たる歌いっぷり。

圧巻はローゲで3人一組(見事に体は重ねている)で千手観音みたいにそれぞれが腕を動かしてチラチラ炎を示す。髪は赤。このローゲは軽やかで実に素晴らしい。

ニーベルング族は侏儒かなと思うくらいな連中(明らかに子供とわかる人もいるが、どろどろの服なので本当に侏儒も混じっていてもわからない)。

エルダはマイヤー。

ドナーが実に朗々たる良い声で雷を呼び出す。

神々は階段を上り、階段が雛壇となる。

ローゲが去り際にフライアとちょっと絡む(見つめあう)が演出意図は読めなかった。血まみれのラインの黄金が蠢く。

ヴォータンはフォレの代役でブラウンリー(ミュンヘンでも歌っていた)。悪くない。

とにかくローゲの出現シーンの腕の炎がすべてを持って行った感はある(場内に笑いが誘われている、というか実際可笑しい)。

結構、金管がひっくり返って、スカラ座ってこんなものなのか? とも思ったが、全体として大満足。

スカラ座でちょっと驚いたのはトイレで、数はそこら中にあるのだが、少なくとも男性用は個室が1つあるだけ。平土間用には男女兼用の入り口のトイレもあり、中は個室が2個(見た感じでは)。小便器もなければ、チップの鉢もない。意表は突かれたがこれはこれでありのようだ。

拍手はフライアが一番大きかったような。美しいフライアだった。


2026-03-11

_ ワルキューレ

スカラ座のワルキューレ。

前奏曲からなかなかの雰囲気。

1幕はオーソドックスな演出だが、フンディングの暴力性を強調した演出とっていて、食い物を持ってこいにしろ、ベッドで待てにしろ、やたらとジークリンデを殴る蹴る。とんでもないDV野郎のうえに、そもそもが略奪婚なので夫婦として成立していないのを強調している。当然のように、厚くもてなすと言いながら丸腰のジークムントを脅しつける。

2幕の始まり、ヤングは拍手が終わらないうちに振り始める。これも意表を突かれた。

幕が開くとヴォータンは2羽のカラスに指令を出している。カラスが出てくるのにも意表を突かれた。2羽とも下界へ去る。カラスを可視化した演出は珍しいのでは。

おそらくカラスは3幕でヴォータンにブリュンヒルデの裏切り(実はヴォータンの真意を考えての自発的行動)を注進するために観ているのだと思うが、わからなかった。そもそも舞台には出していないかも知れないが。

グラーネは上半身裸の男(足にはぴょんぴょんバネを履いている)。フリッカの羊車はえらくゆっくり動く(フリッカが重いからという演出か?)。

1幕でフンディング夫妻がどういう生活をしているかをフンディングをことさら暴力的に振舞わせることで強調しているだけに、フリッカの夫婦についての能書きがすべて空しく見えるように仕組んでいる。が、そもそもヴォータンのウェルズング戦略が、すべての仕込みをジークムントがたどるだけという自発性があると思い込んでいるだけの操り人形だという指摘は完全に正しいのでどうにもならない。

ここでフリッカは契約を主張していると考えるとヴォータンのウェルズング戦略の間違いが明らかとなるのかも知れない。略奪婚(ようは強姦だし)のうえにDVしまくりであっても契約は契約とフリッカは主張している。契約こそがヴォータンを主神の位置に置いているのだからこれは明らかにヴォータン側がおかしい。しかもフリッカはジークムントの動きの仕組まれ方も完全に把握している。そもそもヴォータンが片目を引き換えにするくらいにフリッカは賢明なはずだ。(ラインの黄金で、装身具になるのかしらみたいなすっとぼけたことを言い出しているので、頭の弱い人のように見せているが、実際はそんなことはあり得ない)

ヴォータンは戦略を練り直す必要がある。仕込みはなし。すべては自発性に任せ、第三者視点ではヴォータンの思惑とは異なる動きをする連中に指輪を任せるしかない。

ジークムントの剣を直接ヴォータンが槍で受け、背後からフンディングがジークムントを突き刺す。この背後から槍で突き刺す形はジークフリートとハーゲンで再現させるための布石かも知れない。

犬はフリッカの前に跪け!でフンディング(グロイスブック)がいきなり倒れる演出は、グロイスブックが巨漢だけに迫力あった。

3幕、でっかな人面の小山にヴァルキューレが集まっている。馬も駆け回る。人面の小山はこの後、ブリュンヒルデの山に流用される。

ローゲがブリュンヒルデを守る仕掛けは、ブリュンヒルデが英雄以外は近寄らせたくないという意思の尊重であって、ヴォータンの自発的仕込みではない。

あとは、ジークフリートが勝手にブリュンヒルデを眠りから覚ませば良いと、ヴォータンは満足して去る。

ウェルトンのヴォータンは迫力がある。ローゲを呼ぶところは圧倒的だった。

ニールンドのブリュンヒルデはふつうに良い。ミクネヴィシュート(?)のジークリンデは弱弱しいジークリンデ(歌はきれい)。

_ ムゼオデルノヴェチェント

ドゥオーモのムゼオデルノヴェチェントに入ったら、5ユーロでは安すぎるほどおもしろかった。

キリコとモディリアーニを除けばあまり知らないイタリアの作家が多いが(ピカソやカンディンスキーも少しある)、つくづくキュービスム(ではなく未来派)を俺は好きなんだなと再発見したりした。

特にルッソロの霧のやつは最高。

未来派も最初のうちはキュービズムとあまり変わらないが、とにかく動き(躍動感)をどう表現するかに力点があるので、そこがキュービズムよりもおれにはおもしろい。

ルッソロの切りのやつは、霧という実体が掴めないものを同心円状の線で固体のように表現しつつ尖塔の上の光でまとめているのがすごい。人々が動いているのか立ち止まっているのかは微妙なのだが、まさに今その瞬間の切り取りであれば動いていても止まっているのと同じことだからこれで良いのだろう。とにかく光と影の構成、色彩、切り取り方が抜群。

メロッティも、特に金属の球を使ったコンポジションはすごく気に入った。比較的単純な組み合わせなのに奥行き(パースペクティブ)が素晴らしい。何者なんだろう(ジェミニに聞いたら音楽と幾何学の融合を目指したミラノの作家らしいが、確かにそうだ)。


2026-03-12

_ 最後の晩餐

大学生の頃に来たときは修復中で、なんかバスを降りてすぐに入れたのは良いけど、トスカでカヴァラドッシが描いている途中みたいに櫓が組まれていたような記憶ぐらいしかないので、折角なので最後の晩餐を見に行く。

とはいえ、公式で予約しようにも全然取れない。公開されるとすぐにツアー屋が確保するのかな。

しょうがないのでGetYourGuidというツアー屋を使うことにした。

で、前の広場で待っていると、時間通りにどうもギグワークっぽいあんちゃんが二人やってきて、一人がイヤホンと受信機を配って去って行き、残った大学生くらいのやつがガイドをするのだが、なかなかクソ真面目にガイドしてくれるので価格相応かどうかはともかく(定価の5倍弱)不快感はまったくなかった。

驚いたのは本物にはとんでもない感動があることだった。これは素晴らしいものだ。

とにかく絵を見て感動するのは珍しい(だいたいは興趣を覚えるわけだが、それは感動とは異なる。感動とは心が震える状態だ)。

いろいろ自己分析すると、一つは画の位置とサイズがある。人の身長の上にあるので見上げる必要があるのだが、見上げることによる視界の覆い方が怪しい。だが、当然それだけではなく全体の構図、色遣い、個々の表情、そういったものが醸し出すものがただごとではない。そして中央に孤立したイエスが形作る三角形が効いている。そこだけ窓が開いて後ろから光が射す。完璧な画なのだ。ダヴィンチはただものではない。

一方、ガイドのあんちゃんは一生懸命説明しているので気に留めて聞いてみるとテーブルの下の足に注目しろと言っている。言われて見ると妙な感じを受ける(が、説明そのものは聴き逃した)。

日光の眠り猫や三猿みたいな行ったら見るもの名物程度の意識だったが、想像をはるかに超えたものを見た。


2026-03-13

_ ジークフリート

スカラ座でジークフリート。

マクヴィカーの演出では、幕がラインの黄金では「手」、ワルキューレでは「目」、ジークフリートでは蛇のようなもの(ファフナーと考えるのが筋だと思う)と、最初の2夜と異なり人体の一部ではなくなった。

ということは、手はアルベリヒ(指輪をはめることになる)、目は片目のヴォータン(または蛇の目のウェルズング)、と来て巨人族ということで、争う各種族を示しているのかも知れない。すると神々の黄昏では口(ギビッヒが郎党を集めるハイホー)か、それらを燃やし尽くす炎となるのかなぁと想像してみる。

ジークフリートでもマクヴィカーの演出は(目立つ範囲では)独自の解釈のようなものはなく、登場人物の造形と舞台美術に完全に寄せたものとなっている。これって、もしかしてマクヴィカーにとっての本番はメトなのかな?

ただ、とにかく脇役にも徹底的に造形を施しているところが特徴だ。

ラインの黄金の黄金、ローゲの炎のゆらめき(千手観音手法)、ワルキューレのヴォータンの使い魔の鴉。というわけで、ジークフリートが連れてくる熊が外連味たっぷりに黒子が操作しながら暴れまくる(ミーメのアブリンガーースペラッケ(なんで読むのか見当もつかない)がヴォータンのウェルトンを圧倒するほどの巨漢なので熊と互角に渡り合っている)。

森の小鳥は予告映像にちらっと映ったので見ていたが、モヒカンのアスプロモンテと脇で操作される鳥。アスプロモンテはきれいだがドスが効いた声なので印象的。2幕のカーテンコールでスキップしながら列に加わるところが最後まで小鳥っぽくて好感を持った。小鳥が存分に魅せてくれることもあいまって森のささやきは全編実に良い。カーテンコールでホルン奏者が出てきたのはちょっとおもしろかった。なんか楽団員をとても大切にしている雰囲気がある(そういえば第1夜では幕間に引退するオーボエ奏者を称える催しもあった)。

ファフナーは幕の絵から大蛇として表現するのかと思ったら、巨大な骸骨で意表を突かれた。

若々しくてきれいな声の印象が強いフォークト(マイスタージンガーのワルターやローエングリンは良く聴く)だが、年を重ねたおかげか、ノートゥングを鍛えるところの朗々たるしかし全然絶叫的ではない歌声にはしびれまくる。すごいジークフリート登場だ。

ブリュンヒルデの岩山はワルキューレに引き続き上を向けた顔面の中の掌。

グラーネはブリュンヒルデと同時に目を覚まし後ろのほうで動いている。グラーネに人間をアサインして存在感を強調するのって、もしかして前回のバイロイトの演出(血祭にあげられる老人)の影響かも知れない(というわけで、神々の黄昏での扱いには興味津々)。

男じゃないぞで客席で笑い声が起きるのがおもしろい。予定調和っぽい。(そういえば、ラインの黄金のローゲの登場シーンの千手観音のちらちらでも笑いが起きていたがというかおれも笑ったが)読み直しが無いこともあってリラックスした演出とも言えそうだ。

目覚めのところの突き上げからハープがパラパラと落ちてくるところの迫力が凄くて、ますますヤングの指揮が好きになる。

ワンダラーは席からは良くみえなかったが少なくとも大げさな眼帯をしていないように見える(小さいのをしていた可能性はある)。僕はウェルトン好きだな。

2幕のカーテンコールに小鳥が出ていたってことは、ブリュンヒルデの岩山行で、鴉再登場、小鳥姿をくらますとかは無いなと思ったら、やっぱりなかった。まあ無用な処理ではあるが、なんとなく見たかったので残念。

_ マキアリオーリ

プラッツォラーレでマキアリオーリ展。実際にはメタフィジック展を観ようとしたのだが、間違えてマキアリオーリ展に入ってしまった。

行列に並んで入ろうとしたら窓口でやたらとマキアリオーリと言われて意味がわからないから「そうだ」と言ったら、実はメタフィジックとマキアリオーリの2つの別々の展示があって、表の入り口はマキアリオーリ専用だった。おれは全く知らなかったがマキアリオーリは現地では大人気だったのだ。

で、マキアリオーリ展(左から3番目のルノアールみたいな絵のやつ)を見ることになったのだが、いろいろ興味深かった。

写実的(したがって光もあれば色もある)に民衆や兵士を描くこと、それが既に絵画の革命(反アカデミックという意味で)だった連中の作品群だった。時期的にはちょうど明治維新と重なるので、同じような内乱があって、かたや芸術運動も同時に起きているという点がもっとも興味深い。

マキアリオーリはマッツィーニのイタリア統一革命に参加して実際に砲兵として活躍しながら絵を描く連中だったわけだが、絵としてはそれほど興味を惹くわけではないのだが、完全に同時代人の明治維新と比較すると俄然と興味が湧いてくる。

というのも維新の連中には芸術家はいなかった(正気の詩を読むような連中はいたが、画家も音楽家も少なくともマキアリオーリのように「運動」としては皆無だ)。

ってことは日本に意識的な市民芸術家が生まれたのは明治以降ということになる。そもそもマキアリオーリと異なり、打破すべきアカデミズムが存在しないというのはあるだろうが、それにしても意識がまったく異なる。理屈としては、明治維新は市民革命ではないということに尽きるだろう(あれはあくまでも薩長による内乱だ)。したがって、芸術家が参加する余地はない。

(なんかおかしいと思ったら、メモはJSTで日時が示されているからだ。実際にマキアリオーリを観たのは現地では12日だ)


2026-03-14

_ メタフィジック展

間違えてマキアリオーリ展を見たので、この日はメタフィジック展に出直し(といってもホテルから3分弱だが)でパラッツォレアーレ。

ドゥオーモの裏の行列はマキアリオーリだとわかったので、中にどんどん入って行った左手の階段に看板が出ていたのでそちらへ進む。マキアリオーリの混雑(といっても入場時だけで中は広いので全然混雑はしていない)と違い、極めてまばらで、100年たっても前衛は前衛なのかなぁと思う。

まずはキリコが山盛り。

それで、シュールレアリスム(フランス)に対して形而上(イタリア)というのを思い出した。

ただし、この展示ではあくまでもイタリア文化として、未来派と形而上学派、動と静、技術革新と内面掘り下げ、同時期の2つの前衛運動。という文脈での展示となっている。

これって、未来派対形而上学派として見ると、風景画の前衛に対する静物画の前衛とも見える。同時代でありながらあまり重ならない運動なところがおもしろい(地理的な違い、たとえば北と南もあるのかな?)

初見だがカラという作家の作品が特に気に入った。

大沼映夫の作品のダミーはこれらの影響を受けているのだろうか? と考える。

デビシス(この人も初見)が23歳で物議を醸したNatura morta occidentale.はすごい。

と思う間もなくサヴィニーオ(この人も初見というか、キリコ以外はほぼ初見)の無題作品は息を呑んだ。すごい想像力だ。

さらにサヴィニーオの1928年の誘惑の島の深化っぷりもすごいが、深化したメタフィジックはシュールレアリスムと違いが薄れるように見える。

と観ていったら、とてつもない作品が出てきてそれまでの作家たちを圧倒してしまった。

誰だこれ? と思ったらダリだった。うーむ、やはり図抜けているんだな。

シローニはおもしろい。未来派っぽいなと思ったら、蝙蝠だったらしい。

遠目にはすごいインパクトだが近寄るといまいちだったのがフェリーチェ・カソラーチ。

2014年と現代の作品だがニコラパーティのスティルスパーティ(静物画の饗宴)は楽しい。

フランク オーゲリーの1987年のウィンストンゲストハウス。形而上の形而下化おもしろい。

影響についていろいろ。オルドリッチのキッスで殺せに引用があるとか。

記念撮影用のメタフィジック空間。

影響の中には当然のようにニューオーダー。

未来派と異なりメタフィジカは、商業主義との結びつきを全く排さず、舞台芸術、建築、インテリア、食器などのデザインにまで影響を与え、現在ではマンガ表現にまで及ぶという、100年の歴史展だった。キュレーターはキュレーションしまくっている良い展示だった。堪能しまくり。


2026-03-15

_ 神々の黄昏

スカラ座で神々の黄昏。

第3夜の幕は指輪(最初、穴かと思った)。特に神々の黄昏では開幕や場面展開などとにかく幕が上がるたびに舞台美術に意表を突かれる。マクヴィカーの演出はやはり普通ではない。

3人のノルンはブリュンヒルデの岩山の逆側で始まる。第1のノルンはおそらく急遽変更でメイヤー。

そのまま岩山が回転してブリュンヒルデ登場。眠っているジークフリートを起こす。ジークフリートは良く寝たのか、抜群に通る声で歌う。フォークトは本当に好きな歌手だ。

ジークフリートの、大切なことはたった一つブリュンヒルデを愛すること! からどんどんテンポを上げていって凄まじい盛り上がりとなりティンパニー奏者が途轍もない音を出す。というか、ここまで鳴らすか? と驚嘆する。ヤングのドラマ作りは抜群に素晴らしい。そのままライン下りになだれ込む。こんなにエキサイティングなライン下りは初めてだ。音作りが凄すぎるからか幕は下したままでウォーナーの森の小鳥が遊びにくるような余分な演出はなし。ミラノまで足を運んだ価値がある。

(それはそれとしてスカラ座ってこんなにへたくそなオーケストラだったか? という感じはそこら中で受けるが、要は4夜ぶっ通しをしかも異なる指揮者で2回だけという変則的な公演なうえに、バイロイトと違ってそれほど頻繁に楽団員が演奏する演目というわけではないので、単純に練習不足なのだろう。が、それはどうでも良いほど、舞台の上の見事さとヤングの指揮っぷりだった)

第3場の幕が開くとフリークショーなのか? と奇天烈なギビッヒの館(のホール)。

ハーゲンは実にドスが効いた声の上に威風堂々で全然顔色悪いから仲間に入れない怪人には見えない(グロイスボック)。一方、グンターはいかにも若い領主っぽい衣装で、どちらもかっこ良い。グートルーネは実にグートルーネ(第3のノルンと二役で、ノルンはマイヤー以外なんかぱっとしないなと思ったが、グートルーネはきれいな声で良い)。

特に異常な演出もなく舞台の上では淡々とハーゲンが陰謀してグートルーネが実行してジークフリートがグートルーネを目で嘗め回す。筋書き通り。ハーゲンが乱暴にグラーネを馬小屋へ連れていく。

そのままヴァルトラウテとブリュンヒルデの喧嘩となり(ヴァルトラウテの馬が大活躍)、隠れ頭巾のジークフリートがノートゥングに誓う。

2時間息を尽かせぬむちゃくちゃに濃い1幕だった。

2幕。夢見るハーゲンとアルベリヒ。アルベリヒがなんか妙に油っけを抜かれた仙人みたいに登場(歌手も変わっているが、幽界へ行ってしまったからという演出かな?)。

ギビッヒのホールの壁が開くと向こうにファフナーのでっかな骸骨が飾ってある(というわけではないとは思うが、せっかくでっかな骸骨を作ったので流用したのかな)。

ハーゲンのハイホーっぷりはなかなか良い。実にさまになっている。

ブリュンヒルデは紐に繋がれて連行されてくる。ジークフリートが槍に誓ったあとのひったくって自分も誓うところの流れが実に迫力ある。本気でブリュンヒルデは混乱し怒っている。ニールンドってうまいなぁ。

あまりのことにグートルーネはすんなり結婚する気がなくなって抵抗するのをジークフリートが無理やり引っ張っていく。この演出はおっかない。ジークフリートが完全に薬でおかしくなっているのを強調しているようだ。

3幕、ラインの乙女が沼のようになったライン(でっかな手のような岩が突き出している)で歌いだす。この人たち、実にラインの乙女らしいきれいな声で美しいが、妙に迫力がある。

ハーゲンが、鴉の歌も理解できるか? で、2羽のカラスが飛び立つ。しびれる演出。期待通り、ワルキューレで出てきた被り物カラスが空を飛び去る。

ジークフリートが倒れると(直前のブリュンヒルデの救出の歌の美しさ!)、ギビッヒは全員去って一人取り残される。2人、見たことのない人が現れると、後からもう一人折れた槍を持った男登場。あー、鴉の報告を受けて鴉とヴォータンがやってきたという演出なのか。これは良い。

葬送行進曲も聞かせる。

この演出ではブリュンヒルデがグートルーネを偽りの花嫁と罵る場面はそれほど痛烈ではなく、ジークフリートが死んだことへの思い側に倒した演出に見える。

ラインの黄金のヴァルハラ(の階段)が現れ、神々が倒れていく(という演出だと思う)。最後、ラインの中で金色の仮面を取り戻した黄金が踊りながら、アルベリヒを沈めて殺す。連環をきれいに閉じた(だから幕もリングなのかも)。

終わったあとの拍手がないほど沈黙、余韻がすさまじい、誰かが拍手したとたんにシー!とたしなめる声。そしてヤングがピリオドを打つと万雷の拍手。

良かった!

_ ドゥオーモ

昼間は特にやることもないのでドゥオーモに昇ることにした。以前といっても40年以上前にも昇ったので今回は見送ろうかと思ったが、まあ良いか。

なんか前回上ったときはやたらと緩かった記憶があるが、裏手のチケット売り場(オンラインで買えとしつこくポスターやら立て看板が出ている)でチケットを買ってすぐそこのエレベータ(ヴィットリオエマヌエレ側とノヴェチェント側にそれぞれある。元気な人用の階段もあるが、そこは行列がすごい)

に並ぶといっても数人しかいないのですぐにエレベータに乗る。

降りるとすぐに屋上で、斜めの屋根を歩く。斜めのところを歩いた記憶があるが、これか。

結構風雪に削られてもこもこしていて味わい深い。

BYDが入っている建物はアメリカ軍に空爆されたが奇跡的に助かったらしい。時計がきれいだ。

約1周(3/4周程度かも)して、ノヴェチェント側に戻って来た。それにしてもそこら中に腰掛けるとやばいぞと注意が貼ってあるが、ここに腰掛けるやつって相当なものだ。

下りは階段。急だし手すりもないのでなかなかおっかない。

最初の階段の後は建物内部の角柱の階段で薄暗い(が、写真だと結構明るい)

明り取りのスリットの向こうに尖塔が見えるのは趣。

立派な建物で大伽藍と呼ぶのにふさわしいが、天高過ぎて空疎にも感じる(ので、壁面にいろいろ埋めたり置いたりしているのだろう)。

それにしても不思議なのはエレベータの行列で、ヴィットリオエマヌエレ側は人が溜まっているのにノヴィエンチェ側はがらがらなことだった。


2026-03-16

_ シュトットガルト-フランクフルトバスの旅

ミラノからフランクフルトへ行くはずが、悪天候のためシュトットガルトで降ろされた。のだが、アナウンスが良くわからなかったので、全然シュトットガルトだと気づかず、乗り換え便(羽田行き)のゲートが存在しないので???となり、ターミナルの人に聞いたら、ここはシュトットガルトだよと言われて愕然。どうしたら良いのだ?

と、イタリア人らしい青年がおれはどうすれば良い? と聞きまくっているのを見つけて、彼にくっついて行くことにする。そこで悪天候のためシュトットガルトで降ろされたことがわかった。1階の鈴の広場みたいなところで待てと言われて待つことにする。

ところが、シュトットガルトの空港にはルフトハンザの窓口が無い。シュトットガルトって名前は知っているくらいなので大都市だと思っていたが、そうではなく、日本で言うと、全日空や東亜国内航空(今はなんて名前か忘れた)しか使わない地方空港みたなものっぽい。そこに悪天候のため日航が停まったみたいな状態なのだろう。したがって、ルフトハンザの担当者も存在しない、というようなことがだんだんとわかって来た。

わかって来たのは良いが、フランクフルトから本来乗るはずの便は羽田へ向けて飛んで行ってしまった。

が、シュトットガルトにはなんの音沙汰もない。

外は大雨で空港の中ですら寒い。

待つこと数時間、バスを手配したから、これに乗ってフランクフルトへ行けと言われる。バス? 調べると距離は200Kmもあるじゃん。アウトバーンを突っ走っても2時間はかかるよなぁ。

というわけで、2階建てバスの2階最前列を確保できたので、大雨の中のアウトバーンの旅が始まった。バスの窓からシュトットガルトの空港付近を眺めるとばかでっかなBASFのビル(駐車場かな?)が見える。その後は単に田舎町を走るだけなので特におもしろいものは見えないわけだが、風力発電や太陽光発電はそこら中にある。

フランクフルトへ着くと、当然のようにルフトハンザの窓口があり(最初、荷物窓口に間違えて(他の人たちについて行ったのが悪い)順番待ちして、乗り換えの客は2階に行けと言われて、やり直し)、おれはどうすれば良いのか? と聞くと「バスで来たのか?」と言われる。そうだと答えると、やーとんでもないことになったな! と万事了解っぽく(シュトットガルトで緊急着陸というのはルフトハンザ的には想定外なのだろう)後はするする手続きが進み、早く帰りたいか? と聞かれるので当然だと答えると、残念ながらフランクフルトから羽田の直行便はしばらくないんだよね。明日の朝、ここからミュンヘン、乗り換えて羽田で良いか? と聞かれるので、それでお願いしますと答える(他に応えようもないし)。

では、明日の朝来い、とホテルのバウチャーをくれて、またバス。ホテルは空港隣接のやつで、困ったことにアメニティがいっさいないので(歯ブラシはあったかも)、ひげも剃れずに(荷物は別便で羽田行きとなった)着替えもできずに過ごすこととなった。それよりも困ったのは充電器が荷物側なのでスマホ(は、知り合った京都から来たお坊さんに借りられたのでどうにかなったし、飛行機内で充電できるようにUSB-A~Cケーブルも持って来ていたのでまあどうにでもなる)とスマートウォッチ(こっちは妙なプロプラ充電器なので結局、羽田に着いたときには電池切れで止まってしまった)が困った。

ただし調度はモダン

無事羽田に着いたら荷物は別便なので明日宅配便で届けるということで一件落着。


2026-03-19

_ ウィキッド 永遠の約束

仕事を終えてから、豊洲で『ウィキッド 永遠の約束』を観る。

ブリキマンや案山子やらが出てきてボームのオズとの関連性が出て来たので、なるほど最後にグリンダにエルファバが魔術書を与えるのは役に立ったらしいと考える。ちゃんと勉強もしているのだから立派な良い魔女になれるのだろう。

映像としては、グリンダがグルグル館内を踊りまくるところが、いつの間にか鏡の中となり、鏡の外となり、また鏡の中となり、というのは実に秀逸で感心した。それと、エルファバとフィエロのラブシーンが、ライオンキングⅡみたいに実際に裸になるわけでもなんでもない(というかライオンキングの場合、裸だけど)のに、やたらとセクシーで光と角度の使い方でこうも変えられるのかと映像のマジックには驚いた。

(ボームに準拠しているから当然かも知れないが)死ぬ奴は見事なまでに死んでも良いような嫌なやつとして描かれているのには感心した。要はオズの魔法使いその人はセンチメンタルマンだしワンダフルだし、追放で十分だ。

そういえば、エルファバがグリンダをガリンダと呼ぶのは乱闘シーンだけだったのか、一貫していたのかは思い出せない(乱闘シーンでは字幕としてもガリンダ呼ばわりしている)。もし乱闘シーンだけガリンダと呼んでいるのであれば、あんた全然変わってないじゃないと侮蔑しているわけだろう。同じく、グリンダが杖を投げ捨てるのが乱闘シーンと演説のところというのもうまい。シーンとして挿入される子供のころの杖があれば魔法が使えると子供心に考えた一種の傷心が効いている。

前編と同じ歌が内容だけは変わった後となっているのもおもしろい。

実にうまい映画で楽しめた。


2026-03-27

_ 辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿

ミラノに持って行って飛行機の中で読んでいたのだが、読み残し分を読了。

シャーロキアンの香港人がホームズと同時代の香港の探偵福邇(ちなみにお兄さんは政府高官)と相棒の軍人上がりの医者華笙(阿片戦争の恨み骨髄で西洋人嫌い)を主役にして、どこかで聞いたような読んだような事件に挑む短編集。それだけでも十分におもしろいが、フランスとのベトナム支配を巡る戦争だの当時の香港を取り巻く国際、政治、経済情勢が描かれていてるのも痺れる。

原注が結構たくさんあってしかも、この人は~で、この地域は~でというのがちょっとした事典なみでおもしろいが、この手の注を読む時はKindleは実際便利だ。

・ただ、おそらくこの手の作者のモチベーションの小説あるあるかも知れないが、読み進めるほどに歴史との絡ませ方などがうまくなっているにも関わらず、冒頭の作品の推理というか立ち回りが一番印象的。


2026-03-28

_ ネクスト・トゥー・ノーマル

子供が配信観ようというので、Next to Normalを見る。

双極性障害の母親、母親全肯定の息子、困っている父親(実は見ているよりも遥かに困っていることが最後にわかる)、もっと困っている娘、その娘に惚れた同級生、まじめな精神科医のミュージカル。おもしろかった。


2003|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2025|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2026|01|03|04|05|

ジェズイットを見習え