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日々の破片

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2020-09-22

_ ヴィタリナ(まずはパンタ)

ユーロスペースでヴィタリア。特に連休最後の日程度のつもりで選んだのだが、火曜日だということで1200円ですごくラッキーである。

で、18:30くらいに着いたら、パンタの歌声がする。1階の喫茶店のBGM? それにしてはなぜパンタ? と不思議に思うのだが、どうもおれが知っている万物流転(だと思う)とは違う。

〈COLEZO!〉1972-1991(頭脳警察)

日清パワーステーションでのライブ風というか、妙にアコースティック感がある。

それにしても良い声だし、ずらずらと言葉が流れて行く詩がとても良い(マーラーズパーティで特に顕著だが、パンタの延々と言葉が言葉を生み出して流れていく詩作スタイルはいつも好きだ)。

で、一体どこから流れてくるのかな? と店を(全面ガラスなので店内が見えるのだ)覗いたら、パンタが歌っていて仰天した。白髪バンダナ(かな)が真ん中に座ってギター(だと思ったらベースだったらしい)を弾きながら歌っている。

爺になったな! でもすごく良い。

爺になっても歌っているというと、おれの記憶の中ではLive! オデッセイの最終話が最初に出てくる。

マネージャー(ドラマーでもある)が回想する。オデッセイの音楽指向がどんどん過激化してヒットは過去のものになり、バンドは解散する。それでもオデッセイはギター一本持ってツアーをしていて、ド田舎のライブハウスで歌っている。

Live!オデッセイ(DX版) 2 (アクションコミックス)(狩撫 麻礼)

それにしてもこんなに良いのに客が誰もいないのはなぜだ? と店内を見ながら不思議になりきょろきょろすると、入り口に20:00からPANTA&NANBAとか書いたポスターが貼ってある。まだ20:00どころではないから、リハーサルやっているのか、と思った。なんとラッキーなことだろう。

そういわれてみれば、おっさんが何人か映画館のほうに行かずに入り口付近に突っ立っているが、入場待ちなのか。

でも時間だ。で、映画館へ進む。

_ ヴィタリナ

で、映画が始まる。

暗い道を黒人の集団が歩いている。両脇を抱えられた男。道に置かれる。

スラムの歪んだスティールドアを音をたてながら開ける。

正方形に近いビスタサイズ(ビスタサイズって何だろう? 横広のもあるけど、印象的なのは泥棒貴族の上下移動だったり、大体において正方形に近い)の周辺は真っ黒で真ん中に異様に彩度を上げた(というよりも照明によって、原色が浮かび上がるように撮影しているのだろう)画が浮かび上がる。

信じられない映像の連続で困惑する。

どう見ても最悪な不潔な薄暗いじめじめした臭気漂うスラムのごちゃごちゃした路地であったり部屋であったりするはずが、異様にスタイリッシュで美しい。おしゃれですらある。勘違いして住みに行く人が出て来てもおかしくない。

各シーンは数分以上あるのではないか。とにかく構図、色彩配置、すべてが完璧なのでただただ観ているしかない。常にざわざわ人の話し声やテレビの音声(だと思う)が聞こえる。スラムの密集度だ。

ここまで構図と色彩が完璧な映画は他にはゴダールのパッションしか知らないし、ゴダールでもパッションだけが突出しているのだから、唯一無二ではないか。

パッション デジタルニューマスター版 [DVD](イザベル・ユペール)

どうも最初の両脇を抱えられていた男は死んだようだ。すべてを墓に持って行ったという会話がなされる。金はないのだろう。

それにしても、全然、どういう話かわからん(事前の情報はペドロコスタという6文字以外は持たずに観に行った)。

突如轟音が響く。この後何度か突如音響が変わると、それが時間であったり場所であったりの大きな転換を示すことになることに気付くが、この時点ではまだわからん。

暗い画面の中に金属の大きなものがわかり、飛行機に向けてタラップを移動するところとわかる。

飛行機のドアが開き、大柄な女性が立ちはだかる。裸足で、汗か雨か水が脚をつたう。

ヴィタリナだ。

タイトルが流れる。

空港作業員の集団(としか思えぬ服装と装備)が下から見上げる。

ヴィタリナが降り立つ。

ヴィタリナか? 間に合わなかった。葬儀は終わった。家は借家で何もない。帰ったほうが良い。

30年、リスボン行きのチケットを待っていた(一体何歳だ? と思うが12歳で結婚して42歳という感じかなぁ)。

あれ? お迎えの人たちだったのか。

ヴィタリナは亡き夫が住んでいた家に入る。

扉の上の鴨井の部分に頭をぶつける。小さい家なのだろう。

机の上に2枚の写真の前に2本の蝋燭、真ん中に磔刑像。

白いターバンを巻く。

次に映るときは、この白が実に美しい。

黒いターバンを巻く。

物語は夫の死の謎を探るミステリー風味を帯びてくる。

最初に出てきた男が入って来て、病死だと告げる。うめき声が聞こえる。入ると部屋中すごい嘔吐だ。おれが体を拭いてやった。

失業中の男とその妻(ほとんど食べずに具合が悪そうだ)に食事を振舞う。故郷の料理だな、おふくろの料理を思い出す。失業中なので駅で寝ている。

神父がいる。ヴィタリナが入ると、ミサは上げない。祈りもない。帰れ。

どこまで本当かわからないが、故郷に神父がいたころの話になる。交通事故で何十人ものはらわたが飛び散っているところで皆は祈って欲しいのにお前はそれをしなかった。

このあたりから故郷の家(牝牛を2頭(時間はおいて)潰して得た金で資材を買い、レンガ職人の夫がレンガを焼き、2人で建てた大通に面した10部屋ある家で、畑も当然ある)と、リスボンのスラムが交錯し、複数の事実とされるものが混合されてくる。

告解する。

夫はあるとき何も言わずにポルトガルへ出稼ぎに行く。当時ヴィタリナは妊娠していた。

その後夫はフランスへ渡ったり好き勝手に振舞う。

そして死んだ。

別のヴィタリナと同棲していてその女が金を持ち逃げしたという話をヴィタリナは神父にする。鞄から写真が出てきたと言う。

神父は1週間前に挙げた結婚式の話をする。

ヴィタリナは家の壁にぶら下げられた鞄を順番に調べて行く。自分が送った手紙が無いと怒り出すが、最後に出てきた手紙を熟読しているが何が書いてある誰からの手紙かは明かされない。

失業中の男は職を得たらしく大きな手押し車いっぱいの荷物を運んでいる。

妻は3日前に死んだ。

夫は金を貯めこんでいて、それを知った隣人に殺されて金は奪われたのかな? と思わせなくもない。

常にテレビや会話や雑音がする。

スラムの中で神経が参って行くのだ。

突然、画面に光があたり、墓場になる。墓番号1988が夫を埋めた場所らしい。神父が極端に手を振るわせて聖書を取り落とす。アル中だということをこれでもかと強調しまくる。このあたりは、墓番号が無造作に並んでいて墓碑のある墓がない。ペドロ・コスタの処女作の血が1989年だから1988には何か大きな意味があるのかな。(最初、死者の生年かと思ったが、それにしては没年がないので墓所番号だろう)

立派な墓標がある場所へ移動。完全なまでな光の下になる。

少し色あせた映像で家を作る二人が映る。屋根の上に女、屋根材を肩に乗せて男が屋根へ上る。男がキスをしようとすると、女が何やってんのよとばかりに追い払う。微笑ましい。

おしまい。

とにかく色彩、構図、音響が完璧で一部の隙もない。2時間越えの映画とは思わなかった。

神父はコロッサルユース以降の常連のヴェントーラ。絵になる役者だが、なにものなんだろう?

コロッサル・ユース [DVD](ヴェントゥーラ)


2020-09-13

_ 真珠展

松濤美術館で真珠展。5月30日から7月26日までの予定が、延期されて今やっているので見てきた。

想像を遥かに超えるおもしろさだった。

とにかく知らないことが山ほどあった。

たとえば鳩は精霊のモチーフ。

モーニングジュエリーは喪の期間に付ける。朝かと思ったら呻くだった。

というわけで、モーニングジュエリーと書いてあるので、朝(夜会用の夜会服があるのだから)にもそういうものがあると思って見ると、柳と墓標の上に鳩がいる。柳? 墓標と考えてしまうわけだが、モーニングはmorningではなくmourningで喪に服している間の宝飾品と初めて知った。というかモーニングジュエリーという言葉自体が初耳だった。鳩は精霊(父と子とに続く三位一体の精霊)なのだった。

子供がmorningとmourningは同じ発音なので、なんかのビデオで母親が悲しんでいると、子供がやってきて、ママ何しているの? と尋ねるやつがあると言い出す。母親がやっとのことでmourningと言うと、子供は(挨拶されたと思って)無邪気にgood morning!と返す、とかを見たと教えてくれる。

英語でも全然意味が異なる同音異義語があるのだなぁ。

エナメルはガラス吹き付けなので遥か昔から存在する(20世紀石油化学だと思ってた。ということはサンドリヨンのガラスの靴ってエナメルのことかな)。

エリザベス一世の肖像画の宝石を真似て19世紀の宝飾屋が作ったレプリカ(真珠が随分と小さいが、そもそもの画のものが大き過ぎるのだろう)はおもしろい。

大村藩では阿古屋貝の貝柱は藩主の特権食材。真珠が入っていたらお食い(忘れた)として珍重する(おれの推測では、最初はガリッとして料理人を手討ちしていたのを意味をもたせてやめさせたのではないか)

という事例はあるが、文献上、真珠を宝飾品として言及したものは見つからないそうだ。

ハーフパールは加工技術によって可能となり、それまでは貝殻に生成されたものだった(呼称は忘れた)。逆にミキモトは最初養殖に失敗したが貝殻にハーフができた(そしてそれで十分に商売になった)ので邁進策を取った。

イタリア19世紀に古代の意匠を復活させて大儲け。ガリバルディの統一と関連しそう。

17世紀まではフランスが本場だったが産業革命でイギリスに金持ちが増えて18世紀以降はイギリス一強(19世紀にイタリアが勃興するまでは、イタリア人名のイギリスブランドもある)。

ティアラの革ケースがかっこいい。

シードパールの19世紀ものが、遠目には象牙みたいで美しかった。

真珠は有機物なので古代のはあまり残っていないがメソポタミア文明時点から珍重されていた(淡水真珠が見つかっている)。

などなど盛り沢山で圧倒された。

追記: ミキモトの作品で「後に矢車となる」というものがあったのだが、そのおそらく完成形らしき矢車が置いてなくてがっかりした。どんなものなんだろう?


2020-09-06

_ ペストとコレラ

ペストの発見者のイェルサンの生涯をランボーやセリーヌなどとからませて書いたおもしろい伝記というので買って読んだ。奇書だった。

そもそものイェルサンというのがむちゃくちゃな人で、最初医者を志して勉強し、パリ市立病院で助手として働いているときに、狂犬病で死んだ人の保菌状況をパスツール研究所のルーに示したところ、顕微鏡操作の技術的手腕を認められてパスツール研究所に雇われる。

そこでジフテリア、結核菌などを発見するが、少年の頃からの夢、冒険のために研究所から飛び出る。とはいえ、これだけの研究者を手放したくないパスツール研究所とフランス政府のはからいで船医としてアジア客便に乗ることになる。が、さらにベトナム(当時なので仏領インドシナ)とフィリピンの往復便の船医となり、インドシナの寄港地から当時未開の東南アジアのジャングルを探検しまくる(地図も作る)。

と、以前読んだ、世界の測量のガウス(電信のために晩年は野山を駆け回るが、基本、帷幄の中で論理を巡らす)とフンボルト(南米を探検しまくる)の二人を一人で演じるような怪人っぷりを発揮する。

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語(ダニエル・ケールマン)

同じ頃、アラブで怪我を負ったために敗血症で死ぬランボーがいるが、インドシナの山奥で山賊の大将の槍を胸に受けたイェルサンは、感染症を知っているため、自分で消毒し自分で治療して一命を取り留める。

一方、その頃香港でペストが猖獗を極めている。

パスツール研究所から、ペストの研究をしてフランスの国威を示せとイェルサンに指令がくだる。

しかし、香港は英国領で、英国は独逸と仲が良い(?? と最初は思ったものの、第一次世界大戦前は、対ナポレオンという点で一致していた英独の仲は悪くなかったのだろう。それで、明治政府は陸軍はドイツ、海軍はイギリスと、(その後の歴史からは考えにくい)提携先を選べたのだな、とこれ読んで初めて得心した)ため、コッホの研究所に支援を依頼し、コッホは香港に近い愛弟子北里柴三郎集団に依頼していた。

かくして、香港の伝染病研究所のイギリス人の所長はイェルサンをはなから相手にしない。

しかし、同じカソリック教国のイタリア人の神父が尽力して、とりあえずイェルサンに居場所と死体を提供する。

北里柴三郎集団は、血液に着目してペスト菌を探す。

一方、イェルサンはリンパ節に着目してペスト菌を探す。そして見つける。培養にも成功。それをパスツール研究所へ論文として送る(といっても船便)一方で、仁義上イギリス人の研究所長にも示す。

イギリス人は血管ではなくリンパ節で探すように日本人の北里集団にこっそり教える。

しかし、北里集団が利用可能なまともな研究室とまともな培養施設が裏目に出る。ペスト菌は摂氏24度が最も活発化し、体温に近いほど死滅が早い。したがって、異なる菌(肺炎球菌)をペスト菌と同定する過ちを犯す。一方、イェルサンはまともな設備をあてがわれなかったため、通常の室温、つまり24度で培養させていたため、正しくペスト菌を培養できた。

その後も北里はイェルサンの成果を横取りしようとたくらむが、まともな環境がすべて裏目に出て失敗する。

としているうちに、パスツール研究所から論文が出て、勝負がつく。

・著者はフェアに、リンパ節と血管のどちらに着目するかは、単なる勘であり、北里が負けてイェルサンが勝ったのは、運の問題だとしている。が、その後の経緯からは、相当、北里の政治力は薄汚く見える。

そこで思い起こすのは、近年の野口英世に対する風当たりで、黄熱病の原因を見つけきれなかったのは運が悪かっただけだろうし、研究中に感染して死ぬのも運が悪かっただけなのに(イェルサンのパスツール研究所の同僚たちも次々と死んでいく。ペストを培養中のシャーレが実験動物が暴れたために引っくり返って感染したなんていう悲劇まである)、なにか無能もののように言われているのを目にすることが多い。かわいそうな野口英世。

ここでイェルサンはペスト菌の媒介としてネズミに目をつけるが、根本原因がノミであることを見つけるのはパスツール研究所のシモンとなる(シモンは感染したネズミと感染していないネズミを離れたカゴに入れておき、媒介者を探す方法でノミを特定する)。

その後、イェルサンはインドに派遣されるがここでも政治問題が勃発する。ここではイェルサンは強気に出まくり(香港ではほぼ一人で研究せざるを得なかったのだが、ここでは何人も利用する必要があったようだ)全員に嫌われてほぼ追い出されてしまう。本人的にはむしろ探検の続きができるのでOKだったようだが、パスツール研究所はその後多少苦労する。

30歳過ぎて探検にあきたイェルサンは今度は、東南アジアに向いた植生に興味を持つ。その一方で自動車にも興味を持ち、インドシナで最初の自動車をフランスから取り寄せて運転を始める。

すぐに、タイヤの重要性に気づき(その前にミシュランの自転車でもタイヤの重要性には気づいている)これからはゴムだ、と判断しゴムの栽培に取り掛かり(植生研究で論文を何本も書くが、研究だけではなく実際にゴム畑も作る)大金持ちになる(ゴム農園は、パスツール研究所の他のメンバー2人との共同経営なので、彼らも当然のように大金持ちになる)。

次に、コカの栽培に取り組み、砂糖を混ぜるととてもおいしく癖になる、黒い液体(コーラ・カネル)を発明するが、パスツール研究所の友人たちの評価を得られなかったので特許も取らずに捨ててしまう。

結局、キナノキに目をつけて、ストリキニーネをがんがん製造することでさらに莫大な富を得る。

最後、1940年代、ヴィシー政権がまだ制空権を握っている間に飛行機でパリからインドシナに脱出し、彼の地で死ぬ。

ペスト&コレラ(パトリック・ドゥヴィル)

と波乱万丈な生涯なのだが、小説としてはそれほどおもしろくなく、特に前半は読みすすめるのが苦痛だ。

まず、この人の記録は、研究ノートとおそらくまったく変わらない書き方の手紙から得ているのだろうが、要は研究ノートなので、感情の起伏がまったく見られないのだと想像できる。

したがって、他人の書いたものを利用しないと感情がわからない。

のだが、他人とあまり積極的に関わらないので使える資料に乏しい(本人自身による膨大な記録はあるのだが)。

そこで、伝記作家としては、同時代のできごとを組み合わせて一生懸命おもしろさを持続させようとするのだが、山田風太郎の伝奇小説と違って、伝記小説なのででたらめは書けないというか書かないようにしているのだろうから、まったく盛り上がらないことはなはだしい。

唯一公的に悪役を演じたのが明らかなのが香港の北里柴三郎軍団だけだが、しょぼい。

そこで(翻訳者が極端に走ったのではなければ)文章で抑揚をつけようと工夫した結果だと思うが、翻訳はやたらと体現止めを多用した一種の美文調で書かれている。ところが、これが、まったく内容と釣り合わないので読みにくさを倍増させてしまっている。

さらには、ほとんどの登場人物が母子家庭だという点に着目する(惜しい。日本側が北里ではなく野口だったらそれも利用できたのに)。そりゃ普仏戦争なまなましく感染症の撲滅がこれから(やっと細菌を見つけたというか、イェルサンがパスツール団に加わった時点では、自然生成説のほうがまだ主流派)の時代だ。ちなみにイェルサンは細菌学の先駆者の不幸なハンガリー人についての論文も書いている。

そこで父なし子連盟だの父なし子同盟とかの語が頻発するのだが、それが筋道の進行を妨げることおびただしい。出てくる人間ほぼ全員が父なし子なので、どうでも良くなってくるからだ(という状況を細菌学によって相当解消したのだからパスツール団は偉大なのだろうが、それにしてもしつこすぎる)。

著者にとっては難しい賭だったのだろうとは同情する。

さらには当時の風景を現在の状態との比較のためだと思うが、著者自身を作中に出してくるのだが、これがまったく蛇足(書いている情報はおもしろい)と化している。

というわけで、圧倒的な情報量で広がりはとんでもなくおもしろいのだが、小説としてはとても読みにくい奇妙な作品となっている。

とはいえおもしろかった。でも、セリーヌやランボーやブレーズ・サンドラール、あるいはベルダンの戦いやヴィシー政権の状態などを知らないとさっぱりわからなかったりするかも。(おれは、アフリカ探検団のあたりはリヴィングストン以外はほとんど知らないので、固有名詞の羅列から何も得られなかった。というか、固有名詞の羅列で感情を動かす手法って、まだ存在したのだな。さよなら僕の友達とか、日本ではなんとなくクリスタルとか)。あとユダヤ人問題について、ドイツ留学時代のユダヤ人の友人とからめて書いているが、何しろドレフュス事件よりも前の時代なのだった。

結局ほとんどの時間をイェルサンはインドシナのナトランというほとんど自分で切り開いたような地で、ベトナム人の助手とたまにやってくる奇特なヨーロッパ人だけの植物とワクチンと家畜などなどの研究所で好き勝手をやっていたという印象だけが残る。

ところでコレラは書名にはあるが、どこに出てきたのだろうか?

革命のふたつの夜 (角川文庫 緑 305-7)(筒井 康隆)

(ペストとコレラの2題話といえば中学の頃読んだ筒井康隆のコレラは忘れがたい)


2020-08-31

_ としまえんの幻のアフリカ

としまえんが本日閉園するらしい。

としまえん(豊島園ではなくなったのか?)には、子供の頃に記憶している限り2回連れて行ってもらった。2回目は間違いなく1969年(後述)なので小学生になったかならなかったかの頃だ。

1回目はとにかくミステリー館が怖かった。あまりに怖くて1度も見ていない。おかげでそれ以外の記憶すらない。

2回目は多少余裕があったのかミステリー館もちゃんと見ていて、道の向こうに幽霊が出て来たりするのは怖いが、他の遊園地のお化け屋敷と違って、人間が触ったりするのではないので、それなりに楽しめた記憶がある。

で問題はアフリカ館だ。1969年に開設されたこのアトラクションが出来立てで、すごく楽しみにしていたのだ。

ジープを模した乗り物に乗って勢いよく出発すると、いきなり岩山に穿たれた洞窟の入り口が開き蛇がものすごい勢いでシューシュー舌を出してこちらを脅す。と思うやいきなりヒューンと豹が頭上を飛び越していく。すげぇおもしろい。

子供心にとてもわくわくどきどきして、最後にエジプト旅行案内になって(多分、スポンサーについてもらった飛行機会社の広告なのだろう)おしまい。

とにかく、頭上を勢いよく飛び越していく豹のかっこ良さはその後も忘れることはなかった。

さて、時は流れ1990年代、豊島園には行ったことがないという奥さんに上記のようなことを話して、20年ぶりに一緒に豊島園を訪れた。

もちろんお目当てはアフリカ館だ。

「とにかく、すごいんだ。いきなり蛇が洞窟の入り口の上から首を出してシューシュー赤い舌をチロチロさせるし、豹がヒューンと頭上を飛び越えるんだよ」

で、ジープに乗るとカタカタ言いながら動きだす。あれ? カタカタだったっけ?

そしてのんびりと洞窟の入り口が開くと、コテコテと妙な機械音を立てながらのんびりといかにも作り物丸出しの蛇が出て来て引っ込む。

「え?」

と思う間もなく、次の入り口で、「いや蛇は実際にはチロチロ舌を動かしていなかったけど、豹はすげぇんだ」と言うのと扉がノタノタと開くのがほぼ同時。

そして、コトコトコトコトと音を立てながら、豹のように見えるはりぼてをくっつけた車が頭上のアーチに敷かれたレールの上をのんびりと横切って行く。

その永遠とも思われるのんびりとした豹をくっつけた車の移動時間をおれは耐え難いほどの苦痛を感じながら眺めるのだった。

「まあ、子供の頃はなんでも大袈裟に見てしまうものだからしょうがないね」と慰められた。

たしかに、三匹の子豚の歌を「ブーフーウー、ッ、三匹の子豚」と思い出しながら歌う速度と、懐かし番組特集で流れる「ぶー、、、フー、、、ウー、、、」と流れる当時の主題歌の速度の差のようなものかも知れない。


2020-08-29

_ 素晴らしき哉、人生!

元々、子供が貸してくれたミュージカルのCD、The Story of My Lifeが発端で、なぜ古本屋の跡をついだ主役の一方(NYに出て作家となった男と、故郷の古本屋を継いだ男の奇妙な友情と反目の物語で、古本屋が自殺したために作家が弔辞のための回想をするわけだが、蝶々が河と語る歌が美しい)は自殺したのかな? とか話しているうちに、古本屋の母親のお気に入りでありミュージカル自体がオマージュしているところの、フランク・キャプラの元の映画を観ないとわからないのではないかということになり、妻のアマゾンプライムで観たのだった。

The Story of My Life (Original Broadway Cast Recording)(Will Chase & Malcolm Gets)

フランク・キャプラはそれほど興味がなかったので、もしかするとまったく観たことがないかも知れないが、普通にまともな映画作家で、ということはすべてのシーンに意味を持たせるスタイルなのでずっと写されるものを観ている必要がある。

主人公のジョージ(ジェームズ・スチュアート)が自殺を考えているというので、神(ヨセフだったかな?)であるところの星が会話している。ジョージを助けるために、翼を持たない天使、つまりは二級天使(今気づいたが、石森章太郎もこの映画を好きなのだろう。というか、石森章太郎の60年代以前の仕事はハリウッド映画の影響をとてつもなく受けている)のクラレンスが派遣されることになる。このシーンはどうやってもギャグにしかならないのは制作年の1946年であっても疑いないところで、キャプラは星のまたたきと台詞だけで片を付ける。

まず、神はクラレンスにジョージの人生を見せる。その人生を元にどうやってジョージに生きる希望を与えるかが宿題だ。

子供時代に雪山から凍った池への橇遊びをしているところが始まる。弟のハリーをせかすと、弟が良いところを見せようと張り切り過ぎて想定以上に橇が滑って行き、氷のないところに落ちてしまう。ジョージがあわてて助けに行く。ナレーションで、ジョージは重い風邪をひき、結果片耳の聴力を失うことになる。聴力を失わせたことによって、その後、後の奥さんからの告白、徴兵を免れたこと、天使が見せる仮想世界との自覚的な区別が導かれるのがおもしろい。

それから数年後、街角を自動車の後部座席に踏ん反り返った禿頭の男についてのナレーションが入る。金の亡者で町の支配者ポッターだ。この男は重要だぞ。一方、中学生になったジョージは薬屋(ドラッグストアなのでドリンクスタンドがある)でアルバイトをしている(中学生がアルバイトと思ったが、1900年代または1910年代だからそんなものなんだな)。スタンドに女の子が腰かけている。後から、ちょっと派手な女の子がやって来てジョージに注文する。最初の女の子はなかなか注文が決まらない。ジョージの聞こえない耳に対して大好きと囁く。

ジョージはレジの上のメモを見る。お子さんが亡くなったという訃報だ。

薬屋の主人の様子を見に行くと明らかに取り乱しながら薬を包んでいる。瓶にはPOISONと書いてある。薬屋は、包みを届けるように指示する。

毒はおかしいが、主人の気が動転しているのは映像から了解される。当然、ジョージは言い出せない。ふと壁を見ると困ったときはパパに相談! というポスターが目に入る。あわててジョージは店を飛び出し、住宅金融会社に飛び込み、今は重要な会議中だと言って止める社員を振り払い(ここで、社長の息子なんだなとわかる)部屋に入ると、銀行家との融資の相談中で、しかもあまり良い具合に話は進んでいない。貧乏人を相手の貧乏商売に貸す金はないとか無茶苦茶言われているのでジョージはつい怒鳴り返すが、薬の相談はできない。

薬屋に帰ると、なぜ薬を届けない? と苦情の電話を受けた店主が怒っている。殴られる。ジョージは、お子さんを失って混乱されているから言い出せなかったのだが、この薬は間違えのはずだ。確認してください、と言う。薬屋はそれが毒だと認め感謝する。

それから10年、というように説明の重要な部分はすべて映像(二人の女の子とジョージの関係、特にPOISONの箇所(なぜ父親の会社へ行くのかから父親の仕事とポッターとの関係などが芋ずる的に導出される)、子供の訃報などなど)で行われながら、物語は進み、言葉による説明では墓場の跡を安く買って住宅金融社の宅地販売などを行ったことなどが語られる。

ジョージの夢は大学に行って技術を学び全世界をまたにかけて巨大建築(ビルとか橋とか)を作っていくことなのだ。

が、父親が急死する。父親の会社は住宅金融会社で、貧乏人も家を持つべきで、ポッターの貸家にバカ高い家賃を払い続けても家を買うことはできないし、最後は追い出されて野垂れ死にしかできないのだから、低額融資で先に住宅を買うのがあるべきだろうという信念の会社である。安定した生活基盤があっての人生ではないか。そこがポッターの新自由主義的ということはなく、普通の資本家の考えと合わないところなので、お互いに敵視しているのだった。

映像に語らせるところで、特におおと思うのは、明らかに無能な叔父さん(ジョージ20歳くらいのころに、55歳と言っているから、大恐慌時に60代、第二次世界大戦時に70代のはずだが、無能だというのがわかるのは、ジョージの父親が死んだあと、全株主が、古くからの共同経営者の叔父ではなく、ジョージが跡を継ぐのであれば会社の存続を認めると言い出すからだ)が、ジョージの弟の太平洋での活躍(だと思う。すでにドイツは降伏しているはず)が、8000ドル(大恐慌時に取り付け騒ぎをとりあえずごまかすためかつ金に糸目を付けない新婚旅行の費用として2000ドル、その後に、28歳の社長のジョージの月給が45ドル、銀行の頭取相当の地位の年俸に2万ドル、家作(土地も含むと考えるのが自然)に5000ドル、という説明があるので、おおざっぱに現在の日本円の感覚では10000(8000くらいが正確っぽい)倍すれば良いので、8000万円くらい)の入った封筒を銀行の窓口で預けようとしたときに、ポッターが入って来たので、新聞のハリーが勲章を貰った記事を見せて嫌味を言おうと無造作に行き、新聞を折りたたんで手渡す途中から封筒が手から消えて窓口に戻るときは手ぶらになっているシーンでまるでマジックのようにきれいに封筒を消し去っていることだ(もちろん、新聞の中に紛れ込んでいるわけで、あとからポッターはそれを見つけてこっそり持ち帰る(金ではなく、住宅金融会社に不渡りを出させて倒産させることが目的)一連のシーンだ。

結局、これがほぼ止めとなり、ジョージは1億5千万ドルの生命保険(掛け金は500ドルなのでそのままでは担保価値はない)を選ばざるを得ない。

ここに至るまでの何気ない一連の流れで、叔父さんの手元から封筒が無くなるところ、ポッターが新聞を開くと封筒が出てくるところ、の2点のどちらが欠けてもなぜ8000ドルが消えて大騒ぎになるのかはわからない。しかしわからなくても、叔父さんが無能なのはわかっているので、おそらく何か間抜けなことをして8000ドルを失くしたのだなとはわかるようになっている。全体を見なくてもわかるように映画が作られているのがいかにも40年代のテレビ出現前のハリウッド映画で実にうまい。

妻との関係についても、最初のなかなか注文しない(というか、ジョージのことを見ていたいだけなのだ)登場から、弟の高校卒業パーティでの再会(ここで友人とパートナーシップを組んでいたのを奪う恰好になるため、プールへ落とされ(他の連中がプールに気づいているのに、お互いに夢中で気づかない)、派手なほうの女の子(ドラッグストアで後から来るほう)に裸足で歩き回ったり山を巡ったりすることを散々コケにされたあと(こちらの彼女は後に町を出るときに餞別を渡したお礼に頬にキスされてしまい、ついた口紅を拭うところを行員に見られて、それがポッターに伝わって、さらに苦境に陥ることになるなど、運命的に嫌なことを起こすトリガーとなる役回りでおもしろい)、彼女の家には月を捕まえる絵(プールの後での会話から)を一瞥して放り投げたりするが、友人からの電話(一瞬映る友人側で、実はすでに愛人だかがいることが示されるので略奪にはならないことが示される。事実友情は変わらず苦境を知ると2万5千ドルの融資をしてくる)を受けて結局求愛を受け入れたり、取り付け騒ぎのために新婚旅行用に用意した2000ドルが2ドル残して消えた後の、プール後に願をかけた廃屋での新婚生活やら(元が廃屋なのでいちいち階段の擬宝珠が取れるギャグが最後まで入りまくる)、ジョージが存在しない世界では図書館の司書としてえらく地味な独身中年女性となっていたりとか、うまく構成されている。

子供が学校でもらった花を大切に抱えて帰ってきたために風邪をひいたという話から、落ちた花びらを元に戻すふりをしてポケットに隠した花びらが無いことで自分が不在の世界に入ったこと、あることで元の世界に戻ったことから、教師からの電話に対して八つ当たりしてその結果としてバーで殴られて、そこで出た血が消えたり戻ったり、それを警官に指摘されてあらためて元の世界に戻ったと確認するなどのシナリオ上のエピソードの連鎖、と書いたところで、なるほど、この映画のミソは、あらゆるシーンが連鎖されていて、それがThe Story of My Lifeのテーマの蝶々の羽ばたきそのものだなと気づいた。

ジェームズ・スチュアートが絶望しきって家族の前に立つシーン(左側に強い影、右側に髪の乱れ)はとても印象的で、おおハリウッドの名匠と名優っぽいと感じる。

素晴らしき哉、人生!(字幕版)(ジェームズ・スチュワート)

ジョージの妻役のドナ・リードって全然知らないがきれいな女優だなと思ったら、後で調べたら、おれの子供時代の大好きな映画の1つのベニーグッドマン物語の主演だった。サッチモがトランペットを吹きながらやってくるところは、他のところはほとんど覚えていないが、ときどき夢に聖者がやって来る(と思ったら、それはグレンミラー物語のほうだった)。


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