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日々の破片

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2021-11-28

_ 新国立劇場のニュルンベルクのマイスタージンガー

おもしろかった。

エレートはいつも実におもしろい歌手だが(最初に観たウィーンシュターツオパーの総裁引退記念のローゲといい、新国立劇場でのコウモリのエイゼンシュテインといい、ドンジョバンニですら常に軽妙にして洒脱、実に好きだ。ウェルテルの兄貴の印象はあまり残っていないけど)、今回も実に抜群。取り澄ました顔(キートンみたいだ)で提灯パンツに羽根つき帽を被って出てくる2幕だけでもおもしろいが、しかも歌も良い。

次にポーグナーのギド・イェンティンスも良い声。

ザックスのトーマス・ヨハネス・マイヤーは堂々たる貫禄でおおザックスですなという感じ(もっと声量があればなぁ)。

で、エーファが最初まあエーファだし(ヒロインとはいえそれほど見せ場があるわけでなし)と思ったら3幕で大活躍。良い歌手だった。

ダビッドはなんか甲高い声でダビッドっぽいダビッドで、演技も良いしこれでもう少し声量があれば文句全然ないダビッド。

で、びっくりするのが夜警で素晴らしい。

コートナーが実にイヤミなコートナーでこれまたコートナーっぽい(どう考えてもさもしいかも知れないが常にくそまじめに必死なベックメッサーよりも、コートナーのほうが嫌いなのだ)。

それはそれとしてハンス・フォルツが目立つのは「確かに韻を踏んでいる」だけなのではちょっともったいないが、しょうがないのかなぁ。

テンポは遅い。もう少しさくさく流しても良いようには思う。が、今回、トリスタン和音がびっくりするほどトリスタン和音として立ち上がってきて、あれ一体なぜこのハ長調のドンガンドンガンした音楽にこんな精妙なものが紛れ込むのだ? と訳がわからなくなった。もちろんザックスがかって作ったトリスタンとイゾルデについて語るからだし、自己引用という点ではドンジョバンニを真似てみたのかも知れないが、ただ聴いていて今回くらいトリスタン和音を意識したのは初めてだ。この一点に焦点を絞って指揮をしたってことはさすがにないだろうけど。

あまりの衝撃に、確かワーグナーはマイスタージンガーをタンホイザーの後に構想したが実際に作曲したのはトリスタンの後になるわけだが、脚本自体は構想時点からさくさく書いていてザックスがトリスタンとイゾルデに言及するセリフを書いた瞬間に、まずトリスタンとイゾルデを書くべきだと考えたのではないかと想像してしまった。

で、マイスタージンガーといえば、どう演出するかがやはり興味の焦点だ。

ナチスの問題があるのをおそらくカタリーナ自身(ワーグナーのひ孫でありバイロイトの総裁)の手で引導を渡したバイロイト演出の後だと、どの演出家もまじめに取り組み必要があるはずだ。

カタリーナ版では、だらしない年老いたヒッピー崩れのザックスが、生き生きとしたヴァルターの音楽を型にはまった操り人形の劇伴に変えてしまい、一方誤読によりベックメッサーが天地創造を開始しアダムに引き続き自分のエーファまで創造する。この偉業を民衆が理解できるわけもなく、ベックメッサーは追い払われ、つまらない人形劇の伴奏音楽が喝采を受ける。翻然とヴァルターは自分が伝統により殺されたことを悟り逃げ出し、それを羊の皮を脱ぎ捨てて本性を露わにしたザックスが民衆を煽る。

先年のマイスタージンガーでは、ドイツ音楽の伝統者たちがニュルンベルク裁判にかけられる。

でも、ナチス問題についてカタリーナが引導を渡したことで呪縛から解放された、つまり無視できるのであれば、この作品の一番の問題は、ワーグナーの女性蔑視(女性による自己犠牲という奇麗言になるわけだが)なのは間違いがない。それに比べればザックスのour land(英語字幕)の文化に対する思い入れは健全と言えなくもない。

女性による自己犠牲といってもオタク少女が夢見ながら身を投げるゼンダや、夫婦は一蓮托生とばかりに親父の家に火をつけるブリュンヒルデは、それでも自分の意思で動いているから良い。

だが、エーファは父親によって拒否権を与えられているとは言え(この拒否権をマイスター達はブーするわけだが)、拒否したからといって自由意志を尊重されるわけでもなんでもなく、父親の見栄によって音楽の捧げものにされてしまっているのが大問題だ(それに比べるとレーネとダビッドの関係は実に健全に見える――ワーグナーはばかではないので、常にエクスキューズの役割を用意している)。

この演出ではヴァルターはザックスの演説に心を動かされて改心する。正しく本来の演出だ。が、最後の最後、エーファが否を突き付けて、ヴァルターを引っ張ってマイスターが支配するニュルンベルクから逃走する。

これは実に納得感がある良い演出だった。

ワーグナー:《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 バイロイト音楽祭2008 [Blu-ray](フォークト(クラウス・フローリアン))

カタリーナ版は演出が優れているだけではなく、フォークトのヴァルターの優しい歌声と破れかぶれのBeck in the townのフォレの怪演も素晴らしい(次の演出ではフォレがザックスになるのもちょっとおもしろい)。


2021-11-27

_ 白井晟一入門

松濤美術館へ白井晟一入門を見に行く。

朝起きたら妻が予約はちゃんとしたか? と聞くのでなんのことかと思ったら、今回は予約が必要だった。美術館に予約とは? と思ったが確かに土日は予約が必要だった。

でも当日でも問題なかったので予約して行ったのだった。

とはいえそんなに混むはずもあるまいと高を括っていたら、確かに混んではいないが滞留はしまくっていて、なるほど展示名こそ「入門」だが中は章立てになっていて、とにかく読む展示が多い。くそまじめに読むことになる(おもしろいからだ)ので滞留しまくる。これは予約で人数制限が必要な道理だ。

ろくに知らなかったとは言え、ノアビル(の設計者だと聞かされていたのでそれは知っていたし、それで行く気になったのだった)だけではなく、中公新書の装丁やらマークやら、三原橋の親和銀行やら、知っているもの多数でまさに(おれにとっては)無名の質だった。

めんたいこ

それにしても林芙美子まで出てくるとは驚きでもあった。

文学や絵画と違って実用分野だけに名前を知らずに済ませているものは他にもたくさんいるのだろう。

ノアビルは子供の時分に衝撃を受けた。のっぺりとして窓がほとんど見えない塔が聳えているのだから謎以外のなにものでもなく(今回の展示でフィジー大使館などが入居している普通のオフィスビル――とはいえ、塔の背後に普通の建物があるので、むしろノートルダム大聖堂は2本の塔かといえばさにあらず背後に大伽藍があるような形なのだなと納得したりもした。

なぜ子供の頃に衝撃だったかといえば、当時買っていた曙出版のおそ松くんの単行本の後ろに、吸血鬼と塔の恐怖漫画の広告が出ていて(結局読めなかったのでどんな話か知らない)、その広告に出ていた塔に似ていたからだ。

白川まり奈の吸血伝の塔

秋田の市役所か何か忘れたが実物の写真だと階段の曲線が美しいが、設計図だと直線だったりするので、大工さんの現場でのアドリブなのかな。

意外なのは重要な協力者が生没年不詳だったりすることで、秩父で余生を過ごしたとか設計を依頼されたのに途中で白井に選手交代させられたりしていたりする大場とはどういう人だったのだろう?

原爆館という企画倒れした作品についての言及が最初の時点から散見されるので、なんとなく広島か長崎の公募かなと思っていたら第3章に出ていて、水の中に浮かぶ様が美しい。(展示を壁沿いに見て行ってそのまま最終章に入ってしまったので、妻(別行動していた)に「原爆館ってそこら中で言及されているけど本当の幻だったのかなぁ」と言ったら「見たぞ」と言われてあわてて3章へ戻ることになった)

いずれにしても、自宅には「~亭」「~居」「~堂」とか「~館」とか名前をつけるべきだと思った。

その後、松濤美術館に行って、トイレを見学。手前のトイレは赤い表示だったので上に登って緑を確認してから開けたらびっくり仰天、すべてが小さい。これでは用は足せないだろう? 天地神明の流派か? と思った。良く見たらピクトグラムに男女の子供が並んでいるので、なるほど子供用なのかと納得したが、下には男と女のピクトグラムもあるので、小は大を兼ねるのかなぁとか考えた。中の見学はそこだけだったが、延々と赤い状態の個室の中がどうなっているのかとか、ありとあらゆるピクトグラムを網羅してあるでっかな中央下のはどうなっているのかとか(緑だったが、上の余韻があったので見なかった)興味は尽きない。

ジュンク堂の本の森でさんざん森林浴をした後、白井晟一に経緯を表して中公新書を買う。

古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで (中公新書)(柿沼陽平)

何十年ぶりかでやしまの看板を見つけたので(以前、みずほの向かいの地下にあるときは妻とよく行った)入って、やたらめったらと腰のあるうどんを食べてから帰宅。

高橋元吉(煥乎堂の設計を白井に依頼)という名前は 高橋新吉と良く似ているうえにどちらも詩人だが接点はないのかな。


2021-11-23

_ やとの家

甲州へ旅行するときに、甲州街道を使ったので八王子を通過したわけだが、どうも街並みがおもしろい。

というわけであらためて八王子へ軽くでかけてみた。

とはいえ、八王子については知らないわけでもないが、あらためて観光に行くと考えてみると全然知らない自分に気づく。

で、ちょっとネットで検索したら一休のサイトが出てきたがこれはひどい。最初の数件は八王子だがどんどん八王子をはずれてしまってなんの役にも立たない。

それでもいろいろ調べてみたら、小泉家という旧家が目についた。

そう言えば以前吉田家というのを訪れて随分おもしろかったので、そこに行くことにした。

で、妻のスマホのYahooに道路案内させていたら「やと」で左折と言われた。

やと? どうも聞き覚えがあるようなと、昨年買ったやとのいえという絵本を思い出した。江戸時代から現代まで多摩丘陵にあるやと(丘陵に谷が食い込んだ地形)の風景の変化を一見の民家にフォーカスして静謐でありながら波乱万丈の歴史を描いた実におもしろい本だ。

やとのいえ(八尾慶次)

で、周囲の景観を見れば丘陵に同工異曲の戸建てが立ち並ぶ(特に右手の鋸の歯状の家並みがおもしろいが、左手の川の向こうの丘陵のも興趣がある)不思議な風景だ。でも街道(野猿街道になるのかな)沿いは商工の家で時間差がある。

で、目当ての小泉家に着いたら、市の重要文化財だけど生活しているから敷地に入るなと立て看板があり、入り口には柚子(もちろん知っている)とはやとうり(おれには初見)を適当にビニール袋に入れて並べた台があって1袋100円と書いた札と貯金箱が置いてある。

まあ家を見世物にしているのを見学に来たのだから、払うものは払うのが筋だろうと、特にはやとうりというのは初見なくらいだから当然食べたことがないので買ってみた(まだ冷蔵庫の野菜室に入っている)し、妻は柚子は正月に使うから買うといって買った。

それにしても確かにやとのいえだった(中とか裏庭とかも見てみたいものだがしょうがない)。

で、近くの絹の道資料館にも立ち寄って、展示物を眺める。

駐車場にはおれの車だけだし、受付の奥で爺さんが閑そうにしているし、入場料もないし、誰も来ないだろうと思ったら、それなりに人の出入りがあって意外だった。

展示物はなかなかおもしろい。

元々のおれの知識から、明治の一大輸出産業は当然生糸と絹で、群馬の養蚕地帯から高崎-八王子-横浜(電車でいえば八高線-南部線、国道であれば16号)の東京迂回輸出ルートで八王子はターミナル駅だから生糸の集積機能を持っているのだろうと想像していたら、とんでもない話で、やとのある鑓水が養蚕のメッカでもあり絹の豪商が軒を連ねていた地帯だった。良く見ると小泉家の屋根の上に屋根があるから、あれも養蚕農家で元は蚕室だったのかも知れない(現役の養蚕農家ということはないのではないか?)。

八王子は単なる集積場ではなかったわけだ。

群馬-横浜に八王子が絡むのは単に東京迂回ルートというだけではなく効率よく二つの産地と貿易港を結んでいたのだな。

で、これらの豪商が富と知識から三多摩民権派の中心となり、そこに神奈川県知事と東京府知事のゲリマンダー政策で多摩川の向こうにも関わらず東京市に組み込まれて……と話がつながるのかと、途中の調布(なぜか旧甲州街道ルートをYahooが選択したのだが渋滞していたので良く観察する余裕があった)が、びっくりするほど立憲民主党の事務所やポスターが並んでいて、調布立憲派かと思ったのとも時代を越えて結びつかなくもなく、実におもしろかった。


2021-11-22

_ ニューシネマパラダイス

妻がプライムビデオで観ようというので、ニューシネマパラダイスを観た。

感動の映画みたいなことは散々見聞きしていたが(例えばポンポさんではジーンが映画監督を目指すトリガーになっている)、観るのは初めてなので楽しみだ。

見たらいろいろ想像と異なっていた。

正直なところ、それほど好きでもなければ感動的でもなかった。

何よりも、おれがこの作品から喚起されたのは、以前読んだ寺山修司の子供の頃映写部屋に入り浸っていたというようなエッセイだった。というか、まさに映写部屋に入り浸る作品だったのは知らなかった。

素晴らしい瞬間はある。

フィルムの搬送が間に合わずに映画館の前で村人たちが上映しろと騒ぐ。そこで、映写機のマジックだと、レンズの前の鏡をいじると映像が部屋の中を動き、窓の外に出て行き広場の大きな家の白い壁に映画が映る。このシーンはジーンだ。

なぜかと考えると、あまりに断片的に過ぎるからのようだ。とにかくせわしない。

せわしなさの原因は、神父(最初の時点での映画館のオーナー)がキスシーンをすべてカットさせることにあるのだろう。数秒のシーンを映写技師が切り取る。切り取った断片が最後に約束通りの結果となるので、この断片っぷりがモチーフとなるのだから、映画そのものも断片っぽいのもわからないでもない。その後映写技師が主人公の少年に交代した後は、少年にはカットする技術がないので、お色気シーンはそのまま上映されるようになる(オーナーが変わったから検閲をしない方針となったのかも知れない)。

が、もう少し映画に焦点を絞っても良いのではないだろうか。映画の映画ではなくキスシーンのショットの映画だ。

チェンカイコーの自転車を漕ぐ子供たちの嬉しさみたいなものが思い浮かぶ。おれはそういうものが観たかったのかも知れない。

兵役から帰って来る広場のシーンは悪くない。見上げると映写室の窓からオーナー(それとも新しい映写技師?)がこちらを見ているが、主人公だと気づかない。それで故郷を出る決心をする(ように読めるのだが、違うのかなぁ。このシーンはすべてがロングなので読みにくいようにしているように感じた)。

要は、映画の映画なので、他の映画の記憶が喚起され、それらと比較するとすべてにおいて劣っているように見えるのがこの作品の不利な点なのかも知れない。

兵役で帰ってくるといえば、シェルブールの雨傘もそうだがその執着はないし、恋々風塵のあまりに頻繁に手紙を書いたため恋人は郵便配達員と結婚するというようなエピソードもない。宛先不明の手紙が机の上に溜まるだけだ(それはそれで悪くはない)。

ところで、世界大戦後のイタリアの兵役とは? とは不思議に感じた。NATOになるのだろうか? フランスであればインドシナもあればアルジェリアもあるが、枢軸国だったイタリアもそんなにすぐにNATOに組み込まれたのかな? それともエチオピアあたりの後始末があったのだろうか。

イタリアといってもシチリアなので、ナポリ人を北の人間と村人が言っていて(字幕の誤訳でなければ)ほぉと思った。

シチリアといえばカオスで白い海辺を子供たちが下りて行くシーンや、副王が窓からこちらを観ているシーンが喚起される。が、風景はほとんど無いに等しい(広場は別)。広場で人々が怒号を上げたり、葬儀をしたりするが、そこで踊るわけではない。

疑似父子の物語としては美しいが、羅小黒戦記のような疑似父親への反発(切り取ったフィルムの処理のように無いわけでもない)、天気の子のような疑似父側の決断(いや、旅立たせるのはそれに相当するか)、ムーンフリートのような疑似父親側の受容の過程(は全然ない)のようなテンションがまったくない。

実は疑似父子もので一番重要なのはこの疑似父親側の葛藤だったりするのではなかろうか。受容するというのはそれまでの関係から一歩踏み出して疑似子供の成り行きを守り抜く必要があるので、そこに決断が迫られる。それが映画としての緊張となる。天気の子にもそれはあったし、羅小黒戦記にもある。

とすれば、そもそも疑似父子ものとして作品を考えていないのだろう。妻によれば完全版(おれは観ていない)ではローマに進出後に元の青い目の恋人との再会以後がえらく長いらしい。

ということは尺合わせのために切り刻んでいくうちに全然違う映画にしてしまったのかも知れない。

もしそうだとすると、ポンポさんのジーンのこれ一本がニューシネマパラダイスなのは本当に正しい選択だろうな。

ニュー・シネマ・パラダイス (字幕版)(フィリップ・ノワレ)

小学校の卒業試験(これは良い制度ではないか?)会場に大人がぞろぞろやって来る。旧政権では義務教育ではなかったのだろうか? 映写技師もいる。10歳のときからずっと映写技師をしていたと語っていたから小学校を卒業していないのだろう。人生に必要な知識は映画から得た(引用が得意だ)。試験用紙に手を付けずにペン(インク壺につけて使うタイプ)を所在なさげに弄ぶ。主人公はそれを見てニヤニヤしている。カンニングをどうやるか? このシーンは好きだが逆に長過ぎて途中でいやになった。


2021-11-13

_ さかさ銀杏

甲州から身延山へ向かう途中で、史跡「さかさ銀杏」というのを見かけて、妻にあれなんだろう? と聞いたら調べてくれた。

さかさ銀杏は別名お葉付き銀杏とも呼ばれとか読み始めたが、一般論ではなく史跡のさかさ銀杏ってなんだろう? と聞き直すと、調べ直してくれて書いてある内容を換骨奪胎の日蓮話となった。

密教の坊さんが日蓮に論破されたのを恨みに思って、身延山麓の密教寺に日蓮を和解だかありがたいご高説をうかがうだか理由をつけて呼びつけた。

陰謀があるとも知らずにのこのこ出かける日蓮。

さあさあ山の上からわざわざどうもどうも、まずは団子でも食ってくれ。

と毒入り団子を日蓮に差し出す密教の坊さん。

おお、ありがたや、と食おうと大口を開けた日蓮だが、庭に痩せ犬が物欲しそうにこちらを見ていることに気付いた。

おれよりお前のほうが腹ペコみたいだなと日蓮、手にした団子を犬に放ると、犬はさっそくむしゃぶりつく。が、突如、顔色を真っ黒にして泡を吹いて死んでしまった。

こはいかに? と慄く日蓮。

が、それより慄いたのは密教の坊さんたちで、これもまた日蓮上人の法力、仏が犬に化けて我らが謀を止めたに違いないと、日蓮に平伏してあらいざらい白状した。

まあ済んだものはしょうもあるまいと、日蓮と密教の坊さんたちは犬を埋めて南無妙法蓮華経を唱えた。密教の坊さんも南無妙法蓮華経を唱和せざるを得ない。

その埋めたところに日蓮、身延山からついてきた杖を挿し墓標とせんとするとこはいかに、杖から新芽が出て来てみるみる銀杏の大樹となり、土を覆うように枝が下を向く。

ことここに至っては日蓮の法力あまりに明らかであると密教の坊さんたちも大悟し、日蓮の軍門に下った。

そこまで調べたことを教えてくれた妻が、日蓮は当然そうだが密教の坊さんたちも、本気で仏が好きなんだな、仏オタクか。とか言い出して、確かにそうだなぁと。

で身延山を見てから、話はわかったからさかさ銀杏は観なくても良いかなぁとか言いながら通り過ぎようと思ったが、道路に史跡を示す道標があればつい立ち寄ってしまうのはしょうがない。

で、見てびっくり、すさまじい銀杏の巨木だ。

文部省が実を取るな、これは珍しいんだぞ、と書いた看板が立っている。

お葉付き銀杏

脇のほうには忠魂碑があって、寺名を見ると本國寺で、なんか昨日の話の寺と名前が違うみたいだな? とか不思議にも思う。

で、堪能して再び車に戻って進むと、「さかさ銀杏」という史跡標識が出て来て、あれさっきのは一体なんだったんだ? と顔を見合わせてあらためてそちらにも寄ってみた。

で、そちらの寺(上沢寺)には駐車場に来歴があって(上の話と異なり、陰謀を喝破した日蓮が通りすがりの犬に毒見をさせたことになっていて、いかにも政治家日蓮の面目躍如だが、ありがたみは乏しい)、一体どういうことだ? と顔を見合わせる。

でうも、お葉付き銀杏はこのあたりに群生(というほどたくさんではない)しているのかも知れない。

こちらの銀杏は台風で倒れたとのことで、まるで巨竜が盤踞するようで(脇に俗っぽい日蓮の巨大な石像まであるのは御愛想として)また別の趣があっておもしろかった。


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