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スカラ座のワルキューレ。
前奏曲からなかなかの雰囲気。
1幕はオーソドックスな演出だが、フンディングの暴力性を強調した演出とっていて、食い物を持ってこいにしろ、ベッドで待てにしろ、やたらとジークリンデを殴る蹴る。とんでもないDV野郎のうえに、そもそもが略奪婚なので夫婦として成立していないのを強調している。当然のように、厚くもてなすと言いながら丸腰のジークムントを脅しつける。
2幕の始まり、ヤングは拍手が終わらないうちに振り始める。これも意表を突かれた。
幕が開くとヴォータンは2羽のカラスに指令を出している。カラスが出てくるのにも意表を突かれた。2羽とも下界へ去る。カラスを可視化した演出は珍しいのでは。
おそらくカラスは3幕でヴォータンにブリュンヒルデの裏切り(実はヴォータンの真意を考えての自発的行動)を注進するために観ているのだと思うが、わからなかった。そもそも舞台には出していないかも知れないが。
グラーネは上半身裸の男(足にはぴょんぴょんバネを履いている)。フリッカの羊車はえらくゆっくり動く(フリッカが重いからという演出か?)。
1幕でフンディング夫妻がどういう生活をしているかを暴力で強調しているだけに、フリッカの夫婦についての能書きがすべて空しく見えるように仕組んでいる。が、そもそもヴォータンのウェルズング戦略が、すべての仕込みをジークムントがたどるだけという自発性があると思い込んでいるだけの操り人形だという指摘は完全に正しいのでどうにもならない。
ジークムントの剣を直接ヴォータンが槍で受け、背後からフンディングがジークムントを突き刺す。この背後から槍で突き刺す形はジークフリートとハーゲンで再現させるための布石かも知れない。
犬はフリッカの前に跪け!でフンディング(グロイスブック)がいきなり倒れる演出は、グロイスブックが巨漢だけに迫力あった。
スカラ座でヤングとマクヴィカーのラインの黄金。
どんな演出なのかわくわくしながら観ていると、いかにも神話的な衣装の基本的に原作に忠実な演出が始まる。
アルベリヒは登場時にはサテュロスで山羊の角がある。で、サテュロスらしくスケベ心全開でラインの乙女たちに戯れかける。
ラインの黄金のモティーフとともに一条の光がさすと、全裸(と思ったら褌は履いている)の黄金仮面が横たわっていて、くねりくねりとエロティックなダンスを始める。それと戯れるラインの乙女、茫然と眺めるアルベリヒ。この全裸(ではない)黄金仮面がラインの黄金なのか。
ってことはアルベリヒはこの黄金仮面を誘拐するのだなと見ていると、黄金の仮面を剥ぎ取って去っていった。このあたり記憶はあいまいなのだが、愛の断念でサテュロスの角をもぎ取っているかもしれない(ニーベルハイム以降は角がないように見える)。
一転、天上では右に階段、左に塊の妙なヴァルハラに神々が集う。ヴォータンはふつうに片目、槍を持ったヴォータン。フリッカは髪の毛を羊の角のようにくるりんと二つ巻いている。各自歌わないときは仮面を被っている。ドンナー、フローは三角に見える小山のようなぶかぶかの衣装(特にドンナーが美声で聞きほれる)。フレイアだけは白いスラッとした衣装で一人だけ雰囲気が異なる。
ファフナーとファーゾルトは竹馬に乗った男とその後ろの半裸の男の2人で1組。半裸男はそれぞれ手足として動く。最初、歌手が半裸男(それにしては良い男っぷり)だと思ったら、竹馬のほうが歌手だった。なんか安定しなさそうだが、そんなことはなく堂々たる歌いっぷり。
圧巻はローゲで3人一組(見事に体は重ねている)で千手観音みたいにそれぞれが腕を動かしてチラチラ炎を示す。髪は赤。このローゲは軽やかで実に素晴らしい。
ニーベルング族は侏儒かなと思うくらいな連中(明らかに子供とわかる人もいるが、どろどろの服なので本当に侏儒も混じっていてもわからない)。
エルダはマイヤー。
神々は階段を上り、階段が雛壇となる。
ローゲが去り際にフライアとちょっと絡む(見つめあう)が演出意図は読めなかった。血まみれのラインの黄金が蠢く。
ヴォータンはフォレの代役でブラウンリー(ミュンヘンでも歌っていた)。悪くない。
とにかくローゲの出現シーンの腕の炎がすべてを持って行った感はある(場内に笑いが誘われている、というか実際可笑しい)。
結構、金管がひっくり返って、スカラ座ってこんなものなのか? とも思ったが、全体として大満足。
スカラ座でちょっと驚いたのはトイレで、数はそこら中にあるのだが、少なくとも男性用は個室が1つあるだけ。平土間用には男女兼用の入り口のトイレもあり、中は個室が2個(見た感じでは)。小便器もなければ、チップの鉢もない。意表は突かれたがこれはこれでありのようだ。
東劇でヨンチェヴァとベチャワのアノドレアシェニエ。抜群だった。指揮、歌手、演出はメトだからのコスプレであまり好きではないとはいえ、とても良かった。
何しろおれが一番好きなオペラでもある。
中学~高校の頃、NHKイタリアオペラのテバルディとデルモナコのライブ盤を買って死ぬほど聴きまくった。で、当時のLPだから対訳がついていたから大体の会話は覚えているはずだった。
が、今回、映画ならではの字幕を見ていて、相当記憶違いがある(か、当時の対訳が間違っていたか)に気付いた。
一番大きいのはラママモルタの私は愛! 私は神!の「私」 はマッダレーナのことではなく、マッダレーナに語り掛けた光のことだった(もちろん、その光は内的心理の外形化だから、そういう意味ではマッダレーナ自身と言えなくもないが)。すると、母親が死んでひどいことになったけど、ベルシのおかげでどうにかやって来れた、その時にシェニエに再会して(と身の上話をしているうちに)興奮しまくって、ついには私は神! と叫ぶという狂気の愛の歌ではなくなってしまう……。
同じことは、ジェラールのパンテオーネの歌についても言える。おれは、告発状に、「裏切り者、反動軍の兵士、外国人……」とか書いているうちに、おれは一体何やってるんだ? おれは高い理想に燃えて人民のためにパンテオーネを打ち建てようとしているのに、なんと堕落してしまったことか! という歌だと思っていたが全然違う。
幕間のインタビューでゴロヴァテンコ(この人のジェラールは実に素晴らしい)が、ジェラールは微塵も反省、後悔なんかしていないよ! と言い切るので???となったのだが、この対訳では確かにそういう歌ではない。
裏切り者、反動軍の兵士、外国人、こういう連中と戦い、人民の涙を糧として、世界に愛のパンテオーネを打ち建てるのだ! 人民を抱きしめ接吻をするのだ! という歌だった(どちらにころんでもパンテオーネの件が美しいのは変わらないわけだが)。
したがって、内心忸怩たるジェラールが、私は愛なのです! と言い切るマッダレーナに押されてシェニエの弁護に走るというのではなく、恬として恥じることないジェラールが、やりたいならやりなさいよ、私はすべてを失って、ただあの人への愛だけが残っているのだから、全然OK! というマッダレーナの本気っぷりに打ちのめされてシェニエの弁護に走るという話になる。
いやー、まったく違う話ではないか。
とはいえ、この曲のすばらしさはまったく変わることはないわけだが。
最近のメトライブビューイングは、幕間に指揮者にピアノを弾かせながら聴きどころを紹介させるのだが、ルスティオーニの説明は聞いて良かった。
というのは、大空を見上げ言葉を引っ張り集めて(まるで、ファウスト博士が精霊を呼び集めて彼らの力を借りてメフィストフェレスを地底から引きずり出すみたいな)詩を作り出すという説明や、裁判の場面で罪状否認もそこそこに、舟歌に変わる、それは大海原を船で航海するからだという説明は目からうろこ。舟歌とは! で、確かにバルカローレだ。全然気づきもしなかった(というか、裁判での歌はまったく注目もしていなかった)。あるいは、ラママモルタを助けを求めるでも願いを言うでもなく、なんか自分のことを延々と喋るだけの妙な歌、という説明もうなずかざるを得ない。イリッカの作詩術とジョルダーノのどんどん楽想を膨らませて大爆発させる作曲法が見事に絡み合って、この音楽史上の大傑作が生まれたのだな。
それにしても、1幕では居並ぶ貴族や僧侶が顔をそむけるカデット(立憲君主主義者)としてのシェニエの左っぷりが、共和制になったとたんにカデットとして極右(憲法下とはいえ王権を認めるわけだから)扱いされる、政治の相対性はおもしろい。おそらくイリッカとしては、蝸角の争いみたいな印象を持っているのかも知れない。
新国立劇場でリゴレット。暗い舞台だけに、スパラフチーレが闇に溶け込む退場の仕方が素晴らしい。
というか、これも実に良いリゴレットで何も言うことはない。合唱のうまさは当然良いし、ブラウンリーは1幕こそ(フローレスもそうだったが)ベルカント歌手のマトヴァ公ってなんか違うんだよなぁと思わせたものの、どんどん、あれ? これは素晴らしいマントヴァ公ではないかと印象が変わり、中村のジルダは最初から最後まで実にジルダで、海外から主演を招聘しなくとも全然OKではないかと思い、ストヤノフのリゴレットは文句なく、指揮のカッレガーリ(カリガリ博士?)の指揮っぷりも実にスリリング(危なっかしいという悪い意味ではなく、音の躍動感やメリハリが実に効いていて、次はどうなるという期待感がすごい)で、とても満足だ。
意表を突かれたのが、完全な脇役でどうでも良さそうなマルッロ(成田という人)がひときわ目立つ美声で、えらく良い。マルッロが歌うと舞台が輝く不可思議さも味わった。
新国立劇場でこうもり。前回あたりからもう良いかなと行かないつもりだったが、今回は、オルロフスキー公爵をカウンターテナーの藤木大地が歌うというのに興味を惹かれて行った。大当たり。
歌い出すや震えるほどおもしろい。というか、立ち居振る舞い(やたらとマントをシュパシュパするのも良い)も立派なオルロフスキーで、2幕が冴えまくる。
あまり気にしていなかったが、ダニエル・コーエンという指揮者の指揮も緩急自在でメリもあればハリもあり、実に楽しい。席が2階右だったので指揮台が良く見えるのだが、序曲からのりのり感のある振りっぷりでそれだけでも楽しい。
実に良いものを観られて、こうもりを満喫した。
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