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妻がプライムビデオにあんたの好きそうなマーラーがあるけど観る? と教えてくれたので観た。
もちろんマーラーは好きだが、ケンラッセルはそれほどでもなく(というか機会がなく)、地球に落ちてきた男ですら観ていない(多分、トミーとオルタードステーツとチャイコフスキーくらいしか完全に観たのは無いのではないだろうか)。
というわけでわくわくしながら観た。
なんかケンラッセルの若書きらしく、妙に気取っていて幻想シーンや夢のシーンが、いかにも60年代後半のアメリカン・サイケにアランレネ風な欧州臭さを振りかけたような画造りなのだが、微笑ましいくらいにはうまく作られている。
というかロバートパウエルという役者が写真で見るマーラーそっくりなのには恐れ入った。
素晴らしいのは第6交響曲を作曲するために借りた湖畔のステージのシーン群(何度も挿入される)で、驚くほどちゃっちい作り物(全然違うのだが、ポールシュレイダーの三島の金閣寺とダブって見える)でアルマとグスタフがじゃれ合うのがとても愉しい。グスタフの静寂のためにアルマがカウベルを外して、羊飼いの笛を没収して、教会の鐘を止めて、ブラスにあわせて踊る村人たちのブラス隊を止めさせて(??忘れてしまっているが、酒を飲ませるのか、飯を食わせるのか、どうやったかなぁ)憤激する村人を自分の指揮で無音で踊るように懐柔する。というのが交響曲6番ではなく3番に合わせてカウベル、2楽章冒頭、ピムパムピムパムの児童合唱、レントラー(3楽章かな)に重ねる。おもしろい。実におもしろい。
これは映画そのものだ。あと、二人の子供(驚くほど無邪気でかわいく見える子役を2人も揃えている)、亡き子をしのぶ歌の直後の死(嘘臭い)、唐突に登場するアルマの愛人のマックス(誰?)、皇帝になりきったフーゴヴォルフ(最後は癲狂院のほとんど地下牢の片隅で全裸で歌曲を書いている)、弟の死、マーラー自身の火葬と告別式、唐突(話の流れからは全然唐突ではないのだが、映画の中の映画として)に挿入されるコジマワーグナーとの闘争(ユダヤ教からカトリックに改宗してウィーン宮廷楽長の座を掴む)、子供の頃の水泳、森、漂泊者との出会い。突然始まるヴェニスに死すのパロディ(もしかしたらケンラッセル的にはオマージュなのかも知れないが、どうにも悪意がある低俗化に感じる。とはいえ、「いょ! マーラー撮るなら、これはやりたかったよなぁ」とケンラッセルの肩を叩きたくなるような雰囲気はある)。
スタイルは70年代前半のサイケなので、ひなぎくみたいだなぁとかセリーヌとジュリーは舟で行くよなぁとかいろいろ相似した映像が見えて、ケンラッセルもまさしく時代の子だとは感じるのだが、それでも大変おもしろかった。
なぜか、第6の第1楽章の第2主題をアルマへの愛のテーマとして(実際にそうなのかどうかまでは知らない)、鳴らせながら(確かに唐突に第2主題が提示されるところの美しさはこのうえない。特に再現部での美しさが凄いが、その後になぜマーチになるのか不可解でそれがマーラーだなぁと思う。そういえば駅にブラスバンドが迎えに来るというのでマーラーが激怒して、なぜよりによっておれさまが一番嫌いなブラスバンドなんだ! と怒鳴りまくるとアルマが、あんたが曲の中で使っているからじゃんとたしなめるとか)、マックスではなくグスタフをとったアルマと抱擁しながら、追いかけて来る医者の後長くて2週間の命という情報がこちらだけに提示されているところで終わる。
最後にストップモーションで大写しになる使った音源の指揮者がハイティンクで、あーそうなんだーとちょっと白けてしまったが、別に悪いものでもない。
マーラー好きなら、その曲をそう使うのか! という点でもおもしろい。子供の頃、いやいややるピアノレッスンで教師がいない間に第4番を弾いたりとか(と書いた時点で怪しくなって聴き直してみたが4番ではないな。なんだっかな? 今となっては結構怪しくもなっていて、映画の冒頭は2番の冒頭だと思いながら聴いていた(復活だから意味的にもぴったりだ)がどうも違う。セリフで第3番と言うので、そうだったかと思いなおしたりとか)。
多分、XかBskyで著者が宣伝しているのを見て、タイトルが良いなと思った。
『将棋の子』『天気の子』『推しの子』『バケモノの子』と、「ノコ」がつく作品には外れがなかったからだ。
というわけで『暗号の子』を買って読み始めた。表題作はなんかセンチメンタル風味が気色悪くもあり、気持ち良くもあり、得体の知れない感触を味わったがおもしろい。続く作品の指輪物語引用まで来ると、さすがにギーク趣味に猫なで声みたいな印象を受けて(これが気色悪さと気持ち良さの原因なようだ)イラっとしなくもない。が、おもしろい。
なぜ父と娘の物語なんだろう? と思いながら3作目のローパスフィルターに手をつけたところ、これは抜群におもしろい。少なくともしばらくいろいろ思索に入らさせられた。
ローパスフィルターという作品は、わりとどうでも良い内容のアイディア勝負の短編で、Twitterに対して過激な投稿にフィルターをかけるアプリ(の機能が表題のローパスフィルター)が大流行する。このアプリを通すことで、極度に過激なツィートが殺されて、平静な呟きが流れてくるようになるので読んでいて不快になることはない。
ただ、それによってこれまでバズってた人たちのツィートのエンゲージメントが減少というよりも全滅し始める。それによって承認要求の鬼のようになっていた絵師やらで自殺する人が出てきて社会問題となる。
語り手は、開発者がナチズム(反ユダヤになる前の精神病者を隔離して殺しまくっていた初期)の信奉者なのではないかと疑い、いろいろ調査するが、そのような傾向は無さそうに見える。要はツィートから心を病んだ人を拾いだしてフィルターしているのではないか? という疑いだが、直接会ってインタビューするのだが、どうもそうは見えない。しかし友人の技術者に精神病者フィルターを使ったテスタープログラムを試作させて実験するとほぼ排除論理が一致することもわかる(LLMによるフィルターなので具体的なアルゴリズムはわからない、ということにしている。現実にはその速度のLLMは無いのでそこはSF世界)。
最後、開発者が自殺した後に、推測がほぼ当たっていることがわかる。開発者はフランクフルト学派の哲学を通して啓蒙によるドグマからの開放を目指した過程として最初に啓蒙できない存在を言論空間から抹殺することを行ったのだった。その結果が精神病者の排除だった。
(こうやって要約してみると、うまいこと短編にまとめるための牽強付会が過ぎて、小説としては楽しめるのだが、、さすがにめちゃくちゃな話だ)
おもしろく感じたのは、したがってこの小説そのものではない。
ここで極度に要約されたフランクフルト学派(の作家による解釈)の、啓蒙によってドグマに捉われるという点だ。
人類の歴史を振り返ると、大虐殺の前には教育と啓蒙、結果としての言論の自由(と、それを行使できる言論空間)がつきまとっている(腹減ったから戦争しかけて相手を皆殺しして食料を奪うというのとは別の話)。
一番巧妙に利用(それも2回も)したのは毛沢東で、最初は反右派闘争に入る前の百家争鳴、次は文革直前の大字報の開放で、おれはこれまで前者は権力が盤石となったので手綱を緩めたところ意図せぬ言論が続出したのであり、後者は党からのはぶりを感じ取って大衆に訴えるための戦術と考えていた。しかしそうではなく毛沢東は意図的に自由な言論空間を作り出したのではないか?
自由な言論空間によってさまざまな意見が出てきたところに、ちょっとしたバイアスを与えると勝手に殺し合いが始まるシステムが人間に組み込まれている、のではなかろうか。(言論の過飽和による結晶化現象だ)
1789年。パレロワイヤルでの演説会にパリ市民が結集。バスティーユの襲撃にいきなり万を超える市民が参加できるのは、街頭演説や(マラーやエベールが始めた)新聞という言論空間があってのことだ。
1920年代。
ワイマール共和国が未だに世界最先端の社会民主主義国家で、労働者たちは工場の帰りにビアホールへ行き政治談議を活発に行い(ナチスの出発点はミュンヘンのビアホール一揆だ)、インテリは自分たちの研究を語る。
ロシア革命直後の数年間。前衛としてマレーヴィチやプロコフィエフが突っ走り、その一方で、ドイツ同様、労働者がソビエト(初期のソ連では、各地の地方ソビエト、各工場に工場ソビエトと、ソビエト(合議会)が大量に作られていた)で社会の未来を話し合う。この言論の過飽和状態にスターリンが、この自由を甘受し続け輝ける未来を獲得するためには、ユダヤ(国際資本)とその尖兵のトロツキスト排除が必要という揺さぶりをかけたことで結晶化が起きる。あまりの牽強付会っぷりにブハーリンは、労働者には国境も民族もないのになぜ反ユダヤとか言い出すのか! と叫びそうになるのをぐっとこらえる。
こういったことを逆から考えると、自由な言論空間を封鎖することで、啓蒙を抑制できる可能性が強い。
1970年代日本の(特に愛知において顕著な)三高禁が学生運動の芽を摘むための施策だったのは有名だし(したがって高校生の言論空間が狭まる)、京大については先日やっと実行したようだが、学生たちの言論空間であった学生寮の廃止というのもそういう施策だ(一方、富裕になると勝手にサイロ化するので経済政策も重要)。
作家がおそらく書いた時期はイーロンマスクより前だと思うが、誰でも何かを投稿(まとまった文章を記述する能力は不要だし、ゴミの壺とはいえ2チャンネルのようにスレッドの流れがないので論旨や現在のトレンドなどを読み取る能力も不要)し、それが誰かに読まれて「いいね」のような反応を得られる言論空間としてのツィッターに、何か良からぬものの誕生を見たのは、作家として慧眼だと思うわけだ。
その後も淡々と読み進めるわけだが、AIに書かせた小説で墜落死に対して巨大な隕石を打ち落とすという比喩を出してくるのには驚いた(この小説はすごく退屈なのだが、このフレーズだけ光っている)。
『最後の共有地』はきれいにまとまっているなぁと読み終わろうとした瞬間にまた父と子が出てきて、この母親の不在っぷりはいったいなんだろう? と思ったところで70%。
70%までの印象としては、共有地の悲劇に気を取られ過ぎて、実はノウアスフィアが開墾され続けていることには興味を持てないのかなぁとか、作品を使って世界を再構築することはノウアスフィアの開墾そのものだから特に意識もしていないのか(あるいはノウアスフィアの開墾という概念が古びてしまっているのだろうか?)というような点に引っ掛かる。だが、「いいね」を求める行為そのものがノウアスフィアの開墾の本質なわけだから、これらの果実は開墾されたノウアスフィアの上のものだ。
荒船風穴を観に行ったときに展示看板か地図か忘れたが「戦争」に関する記載があって、いくらアメリカでも群馬の山の中に攻撃には来ないだろうから面妖な、と思った。というのがまず頭にある。
というのは関係なく、風穴に着いたのが遅過ぎて歴史館へ寄れなかったので、行き直した。世界遺産10年記念のブレチンというのを手に入れたかったからだ。
最初に妻が昼食を取ろうと調べた日昇軒という洋食屋に寄った。店の前にバイカーがたむろしていて、一体どういう店なんだ? と思ったが、確かに店内が広いのでグループでも余裕で入れるからだな。で、下仁田スタイルのカツを食べれば良かったと後で気づいたが、なんとなく神津牧場(風穴の帰りに行きと異なる道を通ったら通り抜けることになったので興味津々)の乳を使ったというポップに惹かれてクリームコロッケを注文した(美味しかったのでOKだが、クリームコロッケはクリームコロッケだ)。
食べ終わって鏑川のほうに進んで比較的広い道に突き当たったので右に曲がってしばらくすると、水戸藩士野村某の墓というのが出てきた。なぜ、下仁田に水戸藩士? と不思議に思った瞬間にすべてが氷解した。
天狗党が来たからだ。
『魔群の通過』は大傑作。というか、八犬傳に続いてよもやの山田風太郎レトロスペクティブになるとは考えもしなかった。
するってえと先日見かけた「戦争」というのは……
と考えていると、歴史館に着いた。想像していたのはせいぜい2階建ての長方形の建屋だったのだが、全然違う。丘の上に正方形のやたらとデザイン性が高いきれいなブロックだ。
なんか上のほうが大きくなっていて科特隊の建物みたいだ。
で、入り口に天狗党と高崎藩の戦争についての張り紙があって得心した。
歴史館の人がナチュラルに「戦争のとき」と条件無しで「戦争」という語を使うので、以前島田紳助のギャグで「京都の婆さんが『戦争のときに裏山で~』と言うので、京都に空襲はなかったはずだがなんでやねんと思ったら戊辰戦争」というのがあったが、同じノリだな。東京だと大空襲でがんがん殺されたから単に戦争というと太平洋戦争末期の米軍の一方的攻撃を意味するわけだが、妙なところに郷土色というのは表れるものだ。
歴史館には春秋館(風穴の管理会社)の各種資料が展示されていて、まだ清だったころ(辛亥革命前のはず)に北京の日本商社からの受注票(か顧客管理帳)が展示されていたりして興味津々清だけに。2階は生活具などが展示されているが、どうも下仁田は江戸時代から豊かだったように見える。江戸時代は下仁田葱と蒟蒻(?)でどちらも付加価値がある農産物だし、明治になってからは養蚕が富をもたらしたのだろう。そういえば高橋道斎のようなインテリが世に出られるのも豊かさあってのものだった。
歴史館の窓から臨む戦場跡(窓枠に説明がある)に今ではガスタンクが聳えている。
それにしても下仁田戦争は下仁田村にとっては衝撃的大事件だったようだ。戦死した高崎藩士の一覧が展示されていて、中に一人坊主頭がいるのでなんだろう? と思ったら軍医(当時だから典医は坊主なのだろう)で、天狗党情け容赦ないなぁと思った。が、それにしてもやたらと殺されている。一方、天狗党は3人と少ない。
どちらも大道としては幕府側(天狗党が大長征したのも慶喜と直談判するためなので本人たちは倒幕のような考えは一切持っていない)なのに、こんな内乱をしているから薩長に突け入れられるのだと残念感がある。
帰りに外に出ると、勝海舟が揮毫した高崎藩士の慰霊碑への下り道(というか階段というか)があるので、降りてみた。なかなか難儀な道だが天狗党の長征に比べれば屁ですらないなぁ。慰霊碑はなかなか立派なものだが、戦死した高崎藩士も下人(3人くらい殺されている)や典医はともかく武士ならば戦で死ぬのは覚悟の上の職業とはいえ、まさか徳川側同士で殺し合いをすることになるとは考えもしなかっただろうな、と感慨深い。
帰りは外から春秋館を眺めるかと、写真から港区の伝統文化交流館になる前の見番のような木造建物を想像して対面通行なのに1台分の道幅しかない生活道路をうねうね上っていくと、これも世界遺産の一部なのか修理ができない状態で覆いを被せてあって、これは写真で見るだけで満足しておくものだったのだなと残念なようなそれはそれで興味深くもあった。
それにしても下仁田戦争について知ることになるとは当初予想もしていなかっただけに実におもしろかった。
新国立劇場でウィリアムテル。
それにしても、ロッシーニ(イタリア人)がフランスのグランオペラとして作った(で、上演はフランス語版)だからギヨームテルだし、ロッシーニを重視するならグリエルモテルだし、原作のシラーを重視するならウィルヘルムテルだし、どうして英語っぽいウィリアムテルになるのかは恐ろしく謎だ。
指揮は大野だが、序曲(シンフォニア)は本当に素晴らしかった。特に嵐が過ぎ去って夜明け(かな?)の美しさに続く(多分)狩りに駆けるまでの静と動の対比とか、これまで聴いたことがあるどのウィリアムテル序曲よりもおもしろかった。
あまりにも序曲が素晴らしいので、続く1幕はちょっとだらだらしているように感じた。
しかし2幕は別物だ。暗い森に赤いドレスの皇女が歌う情景の美しさ、それに続いてアルノルトの独唱、続いてテルが出てきての内乱(叛乱)の謀議と実に良い。
ところどころ、おれはロッシーニを聴いているのかヴェルディを聴いているのか、とわからなくなるくらい、この作品でのロッシーニは完全に古典派ではなくロマン派になっている。というか、初~中期のヴェルディはロッシーニの影響下にあるとしか思えない。そうだったのか(ロッシーニはこれまでセヴィリアの理髪師、チェネレントラやランスへの旅しか聴いていなかったので古典派+ベルカントという印象しかなかった)。
3幕はリンゴ、4幕はテルのテロルによる(オペラでは台詞で終わるが、実際は叛乱軍が砦を陥落させたことが大きいはずではある)人民の勝利となる(皇女は一体どうなるのだろう?)が、このあたりはどうにも淡々と物語に合わせて音楽が進むので全然印象に残らなかった。多分、そのあたりにロッシーニが筆を折る原因もあるのではなかろうか?
それにしても、シラーの原作の最大の見せ場の部族会議もなければ(牧師の「奴隷となって生きるよりはむしろ死を欲する」に似たようなセリフはあったような気はする)最後のベルタとルーデンツの自由宣言もない(ベルタの「自由なスイスの女が自由なスイスの男にです」という条件を結婚に対して付け加えているのがとても良いシラー)くらいに、シラーの原作からは変えているのには驚いた。そもそも主役はルーデンツなのに、アルノルト(男爵とルーデンツの親子関係を、庄屋と息子に置き換えているとも言える)とテルに変わっているし、ベルタ(謎の高貴な女性だがハプスブルクは関係ないと思う)ではなく皇女になっている。要はウィリアムテルというタイトルロールを主役にしたかったのだろう。
(1829年のフランスは王政復古の超暗黒時代だから、自由を希求する農民革命の元のシナリオだと検閲を通らないことを見越して改変した可能性があることに今気づいた)
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