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日々の破片

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著作一覧

2019-01-10

_ ねこの風つくり工場 工場長のひみつのおひるね

なんか家族の1月の課題図書だといって妻が持ってきたので読んだ。

街はずれにあるねこが風を作って小売りしたり街に風を送ったりする工場の話で、アマゾン書影のために見たらシリーズになっているようだが、本書は、下請けの内職工の人間の家族の話、森に住む陰謀団との知恵比べ、工場長が毎日ひるねをしに出かける秘密を探る話の3話から構成される。

絵は悪くないが、話はなんだかなぁとか思いながら2話読んだわけだが、3話目が、これはずるい! 爆発でつい涙が出てきて止まらん。

ねこの風つくり工場 工場長のひみつのおひるね(みずの よしえ/いづの かじ)

悪くはなかった。


2019-01-07

_ どん底の人びと―ロンドン1902 読了

通勤時にちまちま読んでいた(数ページのスケッチ/省察集なので向いていた)ジャックロンドンのロンドン1902を読了。

本来南アフリカのボーア戦争の末路を取材旅行に行くはずが、出版社だか新聞社だかが、ちょうどロンドンがロンドンに着いた時点で企画の中止を決定、転んでもただでは起きないロンドンは、誰も知らないロンドン、イーストエンドへの潜入取材を提案し、了承され、そしてひと夏の地獄と悪夢の経験をする。

さっそくロンドンはロンドン在住の英国人の知人に声をかける。イーストエンドを取材したいのだが、何か伝手は? どういう方法が良いと思う? そもそもどんな場所なんだ?

驚くべきことに、誰一人として(そこには超優秀なジャーナリスト、なんでも知っているはずの社会生活研究者などが含まれる)明確な答えを持つどころか、絶対に近寄るな、極めて危険、あり得ないといった完全否定のみが返って来る。

反骨の人ジャックロンドンが燃え上がる!

絶対に取材する。

かくして、帰りの貨物船に乗り遅れてロンドンに取り残された一文無しのアメリカ人の船乗りと自己規定してイーストエンドに乗り込む。アメリカ人の船乗りという設定で背の高さと言葉の違いを解消して、かつ一文無しの労働者の仲間としてどこにでも潜入可能となったおかげで、イーストエンドに暮らす人々と会話し、暮らしを観察する。

そこは、身長150cmくらい(もちろん、文句なしのアングロサクソンのことだ。2~3世代の間に栄養状態によりそうなる、というのが事実だろうなと想像できるのは、太平洋戦争後2~3世代の間に身長175cmくらいになった日本の、つまり逆を知っているからだが)の痩せこけた死にぞこないの群れが集まる、すぐに病気で死ぬ、ゼロ歳児の生存率30%、5歳までの生存率50%の、これが世界一のGDPを誇る一大工業国大英帝国なのか? しかし彼らによってどうもある程度までは産業が支えられているような、未開の地だった。

日が射さない半地下の4畳半一間に5人家族がひしめきあい、一日にパン一切れを全員でわけあい、道徳はほぼなく、着ているものは襤褸、南京虫と虱のほうが人間よりも元気に活動している、そういう場所だった。

一方アメリカでは(と、ロンドンは本書でアメリカの数値とイーストエンドの数値をようような観点から比較するのでおもしろい)、こんな福祉が無い状態は考えられない。なんだここは? と仰天しまくる。

港湾労働者を組織したダンカレンという労働英雄の悲惨な末期のスケッチはすさまじいが、

・長時間労働 => 余暇に話し合うとか不可能

・超低賃金 => 労働後に一杯やりながらビアホール一揆のような相談を仲間とすることは不可能

・住宅事情最悪 => 誰かと何かを相談するための秘密の場所というものはない

・雇用主最適化 => 狙い撃ちによる排斥の代わりに、必要最低限の賃金を得られないだけの仕事のみ与えることが可能であり、労働者を常に競争状態に置くことによって団結する芽をあらかじめ潰す

など、さまざまな政策によって、他の国のようにストライキや暴動、革命といった行動によって富の再分配が生じることを、完全に封鎖している。

みそは、必要最低限の生活が可能なぎりぎりの保証の80%くらいに収入を抑制することのようだ。

どん底の人びと―ロンドン1902 (岩波文庫)(ジャック ロンドン/行方 昭夫)

(夏に買ったのにもう絶版なのか? というかとっくに絶版なのが岩波だから本屋に残っていたということかな。2013年の4刷だ)

・アマゾン評の低評価ので、おもしろい評があった。片や海外から来て異国の異常な状態を観察して自国の人に伝えるためのエンターテインメント性を持つジャーナリストの視点、片や自国の問題を抉って社会改良を考えようという視点、完璧に異なる視点の2つの作品を並べて前者の客観性を批判している。おもしろい。

途中でイーストエンドをエンターテインメント性を損なわない程度にまで底上げして描いたのがチャーリーチャップリンだったな、と思い当たった。あの生活水準が日常茶飯で、かつそれが死ぬまで続く、あるいはスクールジに雇われている秘書は他の人より1.2倍くらいはもらっているとして勘案(子供の数とか住居とか考えるに)するとかだな。

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2019-01-05

_ 第七の十字架を読了

先月あたりに買った第七の十字架を読了。三が日中と思ったが、そうはいかなかった(上巻がきつくて思いのほか時間がかかったが、下巻は登場人物が絞られて焦点がはっきりするのでサスペンスが持続した状態で読めたのであっという間だった)。

1940年代にアメリカ人の必読書となり(ヨーロッパ戦線に送られる兵士にドイツの事情を知るための資料として配布されたらしい)ジンネマンによって映画化もされているが、なるほど1930年代のドイツとはこういうものだったのだなと考えるのだが、それだけではなく1950年代のアメリカや、なぜ今復刊されたかとか、いろいろ考えごとのネタに尽きない傑作だった。

物語の骨格は強制収容所(KZと略される)から脱走した7人の男たちのうち、特に30代の元自動車修理工の逃亡劇で、確かにそういう惹句が表紙に書いてあり、そのつもりで読み始めたら相当違った。

まず、強制収容所が1940年代の強制収容所(解説を読むと区別させるために絶滅収容所としてある)と異なり、基本は暴力による思想改造のための強制収容所で、収容されているのは思想犯と粗暴犯で、共産党幹部や反骨の人以外は1週間程度の暴力の嵐の後に解放される収容所だった。逆に言えば、だからこそ脱走もできる道理だ。

話は7人もの大量脱走を発生させ、かつ一人は取り逃したのが原因で更迭された所長の後任が収容所に着任し、前任者が作った7つの十字架を撤去するところから始まる。

しかしすぐに、共産党シンパ(というよりも社民系のような感じだが)フランツという男の郷里での生活にフォーカスされ、そこに暮らす人々の人間模様となる。そのほうが生活が容易なのでSAに入った親類、本気でSSにかぶれて思想改造が終わった若者(この本で恐るべきは登場する10代の若者はほぼすべて本気のナチなところだ)、暴力衝動の趣味と実益でSA生活を謳歌する中年、生活に追われている人、すべて無関係に犬と暮らす羊飼い(イケメンであり、超越者的な立場と振る舞いから女性関係が大変なことになっている)、古き良きドイツの生き残り、仮面をかぶった抵抗者、ゲシュタポのスパイ、そういった人々が普通に暮らしている。

厄介なのは苗字名前が入り乱れて呼ばれる上に、ハイスラー、ボイトラー、フュルグラーベ、ファーレンベルク、ブンゼン、フィッシャー、フランツ、ハンス、ヘルマン、フィードラー、フリッツとハ行の名前が次々と出てくるので、時と場所とコンテキストを押さえて読まないとすぐに誰が誰か見失うことだ(というわけで、上巻を読むのに時間がかかった。幸いなことに、訳者がまえがきで主要登場人物の列挙をしてくれているので最初のうちは首っ引きだった)。

物語は時制こそほぼ一直線だが、そこかしこに過去がモンタージュされ、空間が同時発生的に複数の主人公間を行き来するので、厚みがものすごい。

逆に、その厚みがヨーロッパ戦線へ従軍するアメリカ兵の必読書となった道理でもあり、確かに各種の立場の人々の思考と行動様式が明確に浮き彫りにされている。この作家はすさまじい力量だ。

顔が変形して固着するほど暴力に合ったために(さらに、多分、ワイルド7のエビフライという飛葉がかけれあれる拷問器具を思い出したが、中腰で膝を曲げた状態で固定する拷問が日常茶飯だったことがうかがえるのは、背が低くなっている描写からうかがえるし、十字架も一つだけわざと中心を低く作って所長が捕縛されてくることを楽しみにするシーンでもわかる)、最初のうちはうまく追撃をかわしたりするのが、恐怖のリアリズムだ。

収容所の暴力がひどすぎるため、ゲシュタポから派遣された二人の警部の徹底的に合理的な心理戦による取調方針がきわめてまともに見える。そのため登場人物の中でも、ゲシュタポのこの二人については相当好意的に読めるのがちょっと不思議だった。(ゲシュタポによる取り調べにおける殴打禁止令に苛立った所長が十字架を作る(手を釘で打ち付けて放置するのは殴打ではないと言い張る)くだりは凄まじい)

敵側として書かれているにもかかわらず、所長の一の子分の没落した農民のツィリヒ(これまた拷問の名手とされていて実に効果的に自供させたいことを自供させる)の心理描写も巧妙で、まあ、しょうがないよなぁと考えてしまうところがなくもない。

それは比較的すべてに共通していて、転向者だろうが、脱走者の一人を罠にかけてKZに送り込んだ文句なく悪党であるところの政治家だろうが、なぜそう考えてそう行動したかが理解できるために、単純にナチと切り捨てることはできないようになっている。フェアな作者だ。もちろんフェアプレーには早過ぎて、亡命先のメキシコから西ドイツではなく東ドイツに帰還することになる(というか、ブレヒトも同様な事情だったとは知らなかったが、下巻の解説は赤狩りが知識人を強制的に西ではなく東に送り込んだことがわかってちょっと驚いたが、分析的に考えればそれはそうだな)。

それにしても、おもしろいのは、工員のうち中流の労働者と全層の農民がナチの経済政策の恩恵によって、穏健なナチ支持となっている世相をうまく書いていることだ(主人公を助けることになる工員も基本はナチの支持者にみえるが、友情は別という扱いとなっているし、同じようにナチシンパではないものの超保守的なかっての義理の父親である室内装飾家(左官、ペンキ屋、小間大工のドイツ版というところかな)の国家に歯向かうことは考えるまでもなくノンだが、目の前で意味なく死刑にされそうな人間は助けるのが筋と考えるところとか、いろいろある)。持続的に経済が良い状態ではなく、極めて悪い状態から急速に経済を良くすることができると、本来の問題は棚上げにして国家が決めた敵を敵として国民を説得しやすくなる(急速に経済を良くするために国民の団結を求めるために敵を用意することでも同じことだ)ため、インテリ、ユダヤ人、社民から共産までの民主主義者が憎悪の対象となっている状況がわかりやすい(30年代なので、まだユダヤ人は絶滅収容所には送られていず、周囲から憎悪されながらも生活をしている。が、瞬間的に出てくるヒポクラテスの教えの信奉者らしきまじめな医者の運命はきわめて危うい様子が見える)。マルクスが書いたプチブル観に基づく作劇なのか? いや、実情なのだろう。ファシズムがファシズムとして成立した状況が見える。

第七の十字架(上) (岩波文庫)(アンナ・ゼーガース/山下 肇/新村 浩)

なぜ、岩波が突然復刻したか、わからないでもない作品だった。


2019-01-01

_ 飛鳥山への小旅行

正月は道路が空いているので、ちょっと飛鳥山へドライブした。

いつもは埼玉のほうへ向かうときに通り過ぎるだけだが、今日は脇の駐車場に停めてじっくり見ることに決めていた。

飛鳥山の名は、もちろん祐天吉松で息子の七松が辻占売っていることで知った口なので桜の名所ということは知っていても、実体はまったく知りもしない。

入るといきなり奇妙に美しい古い建物が建っていて、はて? と看板読むと、渋沢栄一の邸宅跡で、庭園に建てられた書庫(というか図書館)と、来賓用別荘(キッチンが付いている2広間の洋風四阿)が戦災を免れて残っているのだった。

さらには鳥居と狐と土台しか残っていないが兜稲荷という兜町に渋沢栄一が作らせた(ってことは日本銀行のためってことだな)お稲荷さんが移設されていたり。空襲で焼けて跡形もないが、別の茶室では徳川家の赦免のために、徳川慶喜と伊藤博文の会見をしつらえたとかいう逸話が書いてあったり、いや実におもしろい。

ここでも渋沢栄一か。人生いたるところに渋沢栄一ありだな(というくらい、東京に生きていて渋沢栄一に関わらない日はない。なのでいやでもおれにとって明治の英傑といえば薩長土肥ではなく、天下の幕臣渋沢栄一になるのも道理だ。財閥を作らないで資本は天下のものとしたのもいいね)。

清水建設のおっさんが寄贈したという別荘(茶室扱い)は、晩香廬(ばんこうろ)という名前で晩に香る廬なのだろうが、バンガローを洒落たということで、おもしろい。正月休みらしく中には入れなかったが外から眺めるとダイソンの無翼扇風機だか加湿器だかが稼働していて新旧取り合わせの妙もおもしろい。

図書館のほうは、青淵文庫という2階建ての鉄筋コンクリート造りで、これもキッチンがついていて、裏に回るとどうも階段らしき円筒の半分が、表に回ると棕櫚の鉢植えがあるテラスで両翼に上りと下りの2頭の龍が描かれたステンドグラス、上には丸に違い柏の中に寿らしき文字が見え(寿の意匠は外壁の鉄柵にもあった)る飾り窓が美しく、実に良い感じだ。

建屋を離れて裏手に回ると山手線が見える険しい斜面に竹が植わり、棕櫚が伸び、水が流れて滝を作り、どこが祐天吉松かという雰囲気。

こんなおもしろいところだったとは知らなかったな。

で、山の一番高いところへ向かうと、こちらは実のところ古墳だということで、なんか都内に小山があればすべてこれ古墳だなぁとおもしろさ倍増。それにしても、よく古墳だと気づいたな。

横の飛鳥山公園はなんか奇妙な城を配置した楽しそうな公園になっていて、子供連れで賑わっている。

なんだ、王子は元は細民窟だから桜の名所もあるだろうとか考えていたら、抜群に良い環境なんじゃん。不明を恥じるばかり。

青淵文庫表テラス

二代目広沢虎造大傑作選 祐天吉松 巻ノ一(広沢虎造)

(おれの祐天吉松体験は菊水丸だけど、一度は広沢虎造で聞きとおしてみたいものだ)

追記:山の裏手の線路に向いた柵に「石を投げるな」という立札があって、なんだそれは? と思ったら、江戸時代には山から瓦を投げる遊びがあったらしい(講談版の祐天吉松だと七松は辻占を売るのではなく瓦を売っているらしい)。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ corpus [落語の『愛宕山』ですね。]

_ arton [なんで?と思ったら、瓦投げのことですね。 (最初読みのあたごやまから、あたまやまと書いてるのかと思って疑問に輪をか..]


2018-12-31

_ ロメールの風景の変容

友達の恋人のDVDにおまけとして20分のテレビ番組が入っていたので妻と見る。

すさまじくおもしろい。

都市には美があり、田園風景にも美がある。コロー、ミレー。

でも19世紀半ばから純粋な田園風景に工業施設が入り込んだ。

これは醜いか? いや、これも美なのだ。

工場の前の畑でミレー描く農民のように種をまく農夫。道。電線。ぼた山。工場。行きかう自動車。

都市はどうか?

メトロからの風景を見てみよう(この時点まで、おれはメトロはサブウェイのフランス語だと思っていたが、全然、認識が間違っていて、あくまでもメトロポリスにおける交通、つまり都市交通という意味と知らされることになる)。高架の上から見る風景。徴税吏の建物。鉄路のカーブ。煙突。すべてが溶け込み美しい。

すぐれた画家は気づいている。

畑の中の製粉工場を描いたゴッホ、直線の構成のモンドリアン、ドローネなどなどが映し出される。

煙突。煙。電線。塔。アンテナ。

1950年代後半から1960年代前半あたりの産業風景宣言っぽい。すさまじくおもしろかったし、すごく理解できる。


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