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日々の破片

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著作一覧

2018-06-23

_ ハーンとシュヴァンクマイエルと平井呈一の怪談

ツィッター眺めていたら、シュヴァンクマイエルが挿絵を描いた怪談について書いてあるものがあって、おれも欲しくなって購入。

奇書だった。

ハーンについては松江の居室を見たこともあるし(まさに箱庭のような庭をうかがう落ち着いたたたずまいの部屋だった)、坊ちゃんの時代での描かれ方が美しくて(夏目金之助を東大が雇うために代わりに追い出されたような書き方になっていたような記憶がある)まず好きだ。

坊っちゃんの時代 : 1 (アクションコミックス)(谷口ジロー/関川夏央)

(山田風太郎の明治物に影響を受けたと思われる、実在人物の年表を並べてあり得た出会いとすれ違いの過去を再構成した作品としてはうまく書けている。谷口ジローの描く薄幸のでも幸福そうでもあるラフカディオ・ハーンが実に良い味を出している)

怪談自体は小学生のころ、近所の本屋で角川文庫版か何かで読んだ。まあ、茶碗の中が最高ですな。

シュヴァンクマイエルはクエイ兄弟の師匠格とあって、六本木のシネヴィヴァンに短編大集合みたいなのを観に行った記憶と、DVDでアリスを買ったけどなんか封も切らずにどこかに埋もれてしまったていどの愛着である。クエイ兄弟ほど洗練されていなくて気持ち悪いので、好きなんだけどあまり愛着はないけど、本になっていれば別物ではある。

アリス 【HDニューマスター/チェコ語完全版】 [Blu-ray]

(さっさと見れば良いのにまだ見ていないというか、持っているのはBlu-rayではなくDVD)

原書はハーンの怪談とか虫のやつとかを適宜選んでチェコ語に翻訳してシュヴァンクマイエルに挿絵を描かせたというチェコの作品で、それを国書刊行会(表の顔は幻想とオルタナティブな文学だけど、裏というか本業は総会屋だというのを30年ほど前に見たけど今もそうなのかな? というか、今は総会屋という職業は成立しないと思うので、良くわからん)が平井呈一の訳を使って日本語版にしたものだ。

平井呈一は永井荷風の弟子筋の翻訳家で、怪奇小説好きなら創元のアンソロジーや、牧神社のアーサーマッケン全集の訳業で知らぬ人はいない人。多分、現在のつまらない風潮の下では戸田奈津子スタイルとして排斥されそうな訳業だが、逐語訳ではなく、意味と時代背景、主人公の言い回しの癖、雰囲気を明治初期から昭和初期にかけての江戸の文化が多少残る東京のそれなりに教養(当然、その教養は江戸の文学から明治に輸入された海外文学ということになる)がある人間(爺さんが江戸言葉を喋るとかだと当然、その文化が残る)の文学として再構築したもので、おれは素晴らしく好きだ。ビクトリア朝の黄昏に似合うではないか。

という、癖のある人大集合な本なのだから、つまらんわけがない。

たとえば訳業。冒頭の誰でも知っている耳なし芳一のはなしの

その地尻の、浜に近いところには、ひとくるわの墓所も設けられて、そこには、入水した天皇のみ名や廷臣たちの名前をきざんだ、幾基かの墓碑が立てられ、毎年忌日になると、かれらの菩提をとぶらうために、さかんな法会の式がいとなまれたものである。

といった1行にしびれまくる。リズム、語彙、ひらがなと漢字のバランス(ただし編集者が手を入れている可能性はある)、読点の位置、名詞と動詞のバランス、すべてが美しい。声に出して読んでみれば、圧倒的な律動感に讃嘆するはずだ。

選択はわかりやすい。明らかな怪異談を選んでいる。茶碗の中がないのはまあ当然ではあろう。

で、シュヴァンクマイエルだが、冒頭、1ページを使って、創作の方向について自ら語っている。

古い西洋の怪奇譚の挿絵に対して、日本の怪物の画をコラージュすることで、東と西の怪異が唐突に衝突することで生じる超現実を提示する、ということらしい。

おれには、エルンストの出来損ないに見えなくもない。

カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢 (河出文庫)(マックス エルンスト/Max Ernst/巌谷 国士)

というか、ここまでコラージュを全面的に押し出した書籍としてまとまった作品というのは、エルンストくらいしか知らないからだ。

ただ、エルンストはそこで物語を展開させようとしているのだが、シュヴァンクマイエルは居心地の悪さ(それはときどきはおっかなさだし、ときどきは気持ちの悪さである)の演出に専念している。

日本の化け物に転化されているのはチェコのポレドニツェとかヴォドニークとかいった連中らしい。

次の狼の化け物らしきものが大首の幽霊に、襲われる小僧が黒坊主に転化した画がわかりやすい。ただし、なぜこれが芳一が寺を抜け出し鬼火のが飛び交う墓地の中で壇ノ浦を詠うところの挿絵なのかは謎である(というか、おそらくシュヴァンクマイエルはいちいち書籍の文章側に合わせようとはせずに、単純に言われた枚数を作っただけではなかろうか。でも、衝突なのだからそれで良いのだろう。

美しい書籍(文章、話、挿画、装丁)を楽しむには素晴らしい本だ。

怪談(ラフカディオ・ハーン/ヤン・シュヴァンクマイエル/平井呈一)


2018-06-14

_ 世界の誕生日

アーシュラ K ル グィンが死んだが、考えてみれば、読んだことなかったので何か読んでみるかと聞いてみたら、とりいさんからゲド戦記か闇の左手、とお勧めされた。

ゲド戦記はジブリので観たからパスと言ったら、ばかもの別物じゃと言われたけど、そうは言ってもどうせならまったく知らないほうが良いので、闇の左手を読もうとしたら、まだKindle化されていない。

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))(アーシュラ・K・ル・グィン/Ursula K. Le Guin/小尾 芙佐)

紙の本は岩波文庫の場所しかないので、こうなったらなんでもいいやと見てみたら、唯一『世界の誕生日』だけがKindle化されていたので買った。読んだ。えらく時間がかかった。

おもしろかったかといえば、少なくともワンダーというよりも異物感というか猛烈な居心地の悪さというかがすさまじくあった。あり過ぎて読むのに時間がかかりまくったのかも知れない。

というか、ニュートラルな固有名詞(人名、地名、種族名、都市名、事象名、事物名、星名、なんでもかんでもだ)がばんばか出てくるのに、Kindleだと確か20ページほど前に出てきたような気がするが、あそこではどういう印象を主人公は持ったっけ? とか紙の本なら数秒でわかることが永遠にわからない(検索すりゃいいじゃんというのはでたらめだな。検索が0.1秒でできるのらともかく、手順が多すぎて、思考の流れが完全に切断されてしまって話にならない)のでいちいち暗記しながら読まなければならないのが大問題だったようだ。

やっぱり現在のテクノロジーでは、紙に対する印刷が最強だと完膚なきまでに思い知ったが、それはそれこれはこれ。

という、読書スタイルを確立するまでの作品はしたがってあまり印象がないというか、どちらかというとろくな印象がない。

・愛がケメルを迎えしとき(1995年、読んでいる間は発表念を気にしていなかった、今、記録として掘り起こしている)

事象を次々と忘れながら読んでいたため、全然記憶にない。えらく退屈だったような。

・セグリの事情(1994年)

少し読み方がわかってきたのだが、異様にヘヴィーな作品で死ぬかと思った。

・求めぬ愛(1994年)

慣れた。さらに異様にヘヴィーな作品で死んだ。

・山のしきたり(1996年)

求めぬ愛の世界の続きなので楽しめた。が、さらに異様にヘヴィーな作品で生き返った。が、これは一連の作品の中でも新しいだけに、骨格以外の肉付けがある(そこが物語性となって読みやすくなっている)のだなと今、年代を入れて気づいた。

・孤独(1994年)

おもしろい。が、異様にヘヴィーな作品でまた死んだ。

・古い音楽と女奴隷たち(1994年)

おもしろい。クッツェーの夷狄を待ちながらみたいだなと思いながら読んだ。辺境におかれた文明人が内乱に巻き込まれて文明性を完膚なきまでに抜き取られても残る意志、政治と人間の対立、冒険、そういった要素に共通点があるからだ。という意味において、20世紀末期の文学に通底する問題意識を掘り当てたので純粋に楽しめたのだと思う。(作家の腕前が上がった可能性も高いと思ったが、年代を見るとそうでもない。扱うテーマの違いによるものかも知れない)

夷狄を待ちながら (集英社文庫)(J・M・クッツェー/土岐 恒二)

・世界の誕生日(2000年)

引き続き、呪術的文学作品。抜群におもしろい。というか、作家の腕前は明らかに上がっているだろう(年代的にも正しい可能性がある)。

・失われた楽園(2001年)

見事なSF(スペキュラティブなだけではなく、味付け的にも、という意味で、他の作品もすべてスペキュラティブではある)作品。おもしろい。

世界の誕生日 (ハヤカワ文庫SF)(アーシュラ K ル グィン/小尾 芙佐)

前半の作品群を読んでいて想起しているのは、クッツエーではなく沼正三で、異様なまでにセクシュアル(社会学以前に生物学的特徴が最重要視されているのでジェンダーではない)な物語群なのだが、片や倒錯した理想郷(なので好みは別としてエロティックである)、片や突き放した(まさに異星人の目による)単なる叙述(なのでセクシュアルではあるが、これっぽっちもエロティックではない)と、同じような世界を描いてもこうまでも違うのかという興味深さもあるが、それよりもなによりも、読んでいて感じるのはとんでもない違和感で、もしかすると、それは強制される異物感かも知れない。と考えるとワンダー以外のなにものでもない。構築力といい説得力といい大した作家だ。想像なのだが、ここでおれが得た異物感が日常というのがジェンダーなのだろう。

・1970年代初頭くらいの知識ではセクシュアリティを主題にしたSFというのはファーマーくらいしかいない(そもそも子供用ジャンルなので、主題にしないという不文律があったのをファーマーが打破した)ということだったのが(実際には60年代後半からSFがジャンル小説から文学の領域に入ったので、そんなことはなく、10年遅れの知識だったわけだが)、どえらく進化して深化したことそれ自体がワンダーだ。

恋人たち (ハヤカワ文庫 SF 378)(フィリップ・ホセ・ファーマー/伊藤 典夫)

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ムムリク [闇の左手。読んではいるのですが、もうすっかり記憶の彼方です。ファーマーの「恋人たち」も懐かしく思うのですが、実は未読..]

_ arton [去年を待ちながらもおもしろいですね(夷荻を待ちながらは分析的にはおもしろいけど娯楽的にはそれほどおもしろくはない)。]


2018-06-10

_ 葉山でムナーリ

子供が葉山でムナーリを観ようというので、葉山まで行く。

ムナーリとは懐かしい。

中学生のころ、武満徹が大好きな友人がいて、彼から借りたレコードにムナーリバイムナーリが入っていて、なんときれいな楽譜を描くひとなんだ、と印象的過ぎて忘れることができないからだ。

武満徹: ミニアチュール第3集 / 打楽器のための作品集(武満 徹(1930-1996))

もしかしたら、その後、クレヨンハウスかなにかで絵本も見たかも知れないが、僕にとってのムナーリはなんといってもコンポジションの素晴らしさにある。

というわけで、楽しみで楽しみでしょうがなくなく葉山へ向かう。

まず、入れ物の中身が立派で驚く。

村上知義の大作があるが、それだけではない。そもそも収蔵作品がえらく構成が良い作品ばかりだ(ムナーリ展の前に、常設展から触りと新規購入作品展が2部屋ほどであったのだ)。

それにしても固有名詞をまったく覚えられなくなったな。もとから収蔵している作品から新規購入作品で午前3時という題から、おそらくエロティックアートらしき、しかしそう読む必要もまったくない作品群まで、おそろしくバランスが良い作品が占めている。

おもしろさでは、1本の軸に対して4つの枝が生えていて、一見ランダムに動く作品は抜群だった。おそらく軸が微妙に回転することで、枝を動かしているようなのだが、すばらしくおもしろい。

・ムナーリ展についてはあとで書く。圧倒的な構成力と色彩感覚。赤い正方形はすべてが正方形だが、黒い正方形は欠けているのでいまいち。使えない機械という発想。未来派時代に額縁を作品の延長に組み込む。角丸のキャンバス。切り取られたキャンバス。木。スタンプ、スライド、コピー(未来派っぽい動きの再現)。テクノロジーを使うことで、子供だろうが素人だろうが、すぐに芸術を始められる。参加する芸術のための技術。


2018-06-09

_ 犬ヶ島

友人に誘われて、六本木のTOHOシネマズで犬ヶ島。

チケットを予約しようとしたら人形アニメで驚いた。なんで、こんなのを誘ったのか?

が、始まるや度肝を抜かれる。

3人組の太鼓もものすごいが、すべてが普通じゃない。

20年後の日本が舞台だが、はるか昔に犬を守るために少年武士に首を斬られた小林家の子孫が犬を抹殺しようとしている。

日本人は日本語で話し、犬は英語で話す。が、主人公の小林アタリの日本語がおかしい(と思ったらカナダ人で、多分、日本語を話すのはこの映画が最初ではなかろうか)。

あらゆるイメージがすべて歪んでいる。

真っ黒な野良犬(チーフ)が常に反抗的な態度。アタリと犬が行軍を開始すると7人の侍。チーフって菊千代か?

が、仕掛けがたくさん。なんだこれ?

オノヨーコがパートナーを暗殺された悲しさで酒に溺れている。

唐突に滑り台をしようとするアタリ。

すべてがピタゴラマシンのようであり、左から右への横スクロールゲームのようであり、おもしろい。

無茶苦茶だがちゃんと筋が通っていて、すべてのシーンが目を離させない。次に何が起きるか予測させても裏切る。

説明をするときは説明し、そうでなければ唐突に進める。

この作家はまともじゃない。なんというか、ティムバートンをさらに尖らせて本物の映画作家にしたような圧倒的な才能だ。あるいはデプレシャンの時代感覚を狂わせてさらに先鋭化したような才能、カラックスから俗に走っている部分をフィルタリングしてから目隠ししてぐるぐる回してふらついている状態で撮らせたような作風とも思える。

つまり、この30年くらい観た作家の中で最も才能がある作家だ。驚いた。


2018-06-06

_ サンドリヨン

東劇でメロライブビューイングのサンドリヨン。

これでマスネはマノンウェルテルに続いて3作を劇場版で観たことになる。

・最初ウェルテルを思い出せなかった。

始まると妙に繊細な音楽でメロディーがあまりなく、不可思議な印象を持つ。

振り付けは妙にぴょこぴょこしていて現実感がない(お伽噺だからだろう)。とはいえ、父親とサンドリヨンの2人は比較的リアリティがある。

父親の娘がかわいそうだという歌が白々しいような真剣なような違和感でどう受け取るべきなのか? と疑問を持っているうちに終わってしまう。

妖精の女王のキムが出てきて(なるほど、ほとんど出ずっぱりの良い役だ)技巧を凝らした歌を歌うのだが、やはり音楽の奇妙さを変わらない。

極端に舞台奥を狭めることで遠近感を狂わした舞台装置のため、椅子に座る王子が小人のように見える。孤独感を示しているのかな。

ネズミはサンドリヨンと同じ風体。

宮廷の官僚たちの動きが奇抜過ぎて笑えない。

違和感を持ったたまま幕間。(各2場の2幕構成か、1幕30分程度の4幕構成のどちらか)

幕間インタビューでビリーが、マスネといえばマノンとウェルテルだ。サンドリヨンは1899年の作品でこれら2作のあとに作られた。コメディだ。ベルディは最後にファルスタッフを作った、と語る。

なるほど、時代(ほとんど20世紀)と隣国の偉大なオペラ作家から多大な影響を受けたのだろうと考える。

もう1つビリーが言っていたのでなるほどと思ったのは、(少なくとも幕間前までは)すべての歌が途中で終わってしまい、すぐに別の心情を歌う違う登場人物となるという点。とはいっても紙芝居というわけではなく、明らかに何か客が感情移入しないで遠目に舞台を観られるようにわざと仕組んでいるように思える。リアリズムを排しているのだ。

2幕、サンドリヨンを探す王子と一人で家を出たサンドリヨン(母と姉妹から、王子が謎の女のことを怒っていたと吹き込まれたからだ)が妖精の女王が作ったお互いを見えなくする壁によって、互いの偽りのない心情を知り、世にも美しい2重唱を歌う。なーんだ、マスネはマスネだった。すばらしいメロディメイカーだ。が、オーケストレーションはあくまでも薄く、バイオリンのソロを多用して甘美な味わいを作り出しすぎる。

サンドリヨンが家を出る前、妻と姉妹を叱り飛ばした父親が美しい歌を歌う。野心のために娘を犠牲にした。二人で森の奥の家に帰ろう。

(なんか先週観たルイザミラーみたいな展開だ)

が、結局、サンドリヨンは一人で抜け出したのだった。

場面転換後、最初ビリーが両手素手で指揮を始める。???と思いながら観ているとカメラがオーケストラに切り替わり、戻ってくるといつもの指揮棒を持つビリーになっている。なんだったのだろう。

最後、当然のように靴になる(その前にすべては夢おちだったのかと嘆きまくる長い父と娘の歌が入る。サンドリヨンは川岸に倒れているところを父親に見つけられて、どうやら森の奥の家に戻ったらしい)。

母と姉妹の声がして、どうやら王子が靴の履きてを探しているらしきこと、病膏肓に入り死にかけていることがわかる。妖精さん出てきて! とサンドリヨンが叫び場面転換して王宮となる。チキンドレスなどが出て来るが、サンドリヨンが出てくるまでもそれなりに長い。出てくると、前の幕の終わりで大切にしまった片方の靴は全然利用されることなく、履いて終わる。

最後の最後に母親が出てきて、自慢の娘ですわ! と掌を返す。伯爵家の面目が躍如すれば結果良しということなのだろう。

父親が、お伽噺は終わった。といっておしまい。

・作曲前に道化師を観て、最近の若者はこういう作劇するのか、ではおれも真似してみるか、と考えたのではなかろうかとか思う。

すごく、微妙な作品だなぁと思うが、見えない壁が取り払われたあとの美しさは信じがたい。

サンドリヨンはディドナート、王子はクート、メゾメゾデュエットというのはすごいものだ。


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