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日々の破片

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2021-06-12

_ 浮雲

妻がNetflixに入って成瀬巳喜男を見まくっていて今度は浮雲というので、一緒に見た。やっと見ることができたのだった。というか、二葉亭四迷原作かと信じ込んでいたが林芙美子だったのだな。

確か記憶によれば、80年代の後半あたりに成瀬巳喜男再評価があって、(出羽守の先駆者のような連中が)ニューヨークで日本映画といえば小津でも黒沢でも溝口でもなく成瀬巳喜男だとか言い出して、日本でも再上映があったのだが、あまりの出羽守臭さに眉に唾をつけ過ぎて見なかったのだった。ばかだなぁ。

で、今頃になって見ているわけだった。

物語は笑止千万で、最後に「花の命は短くて」が出てきたところでは爆笑してしまったが(他にもおいおいまたかよとかまたそれかとかいい加減にしろとかつっこみどころで満艦飾だが)、映画としては感銘を受けまくる。というわけで映画を堪能しまくる2時間だった。なるほど、これが成瀬巳喜男か。なるほどこれが浮雲か。確かに20世紀の最高峰なのは間違いない。

舞台は昭和20年代戦後直後。元農林省技官の富岡(森雅之。太宰治のようでもあり、髪型のせいか野性味を失った三船敏郎のようでもあり)の許を若い女性(数年前のベトナム時点で24歳に見える、22歳ですわ。それは素晴らしい。本物の年齢より高く見られるということは知性があるということだ、とか富岡はいろいろ冷笑家という設定)ゆき子(高峰秀子)が訪れる。

二人は戦時中のベトナムで浮気な関係になったのだった(パスツール研究所との話などが出て来て、なるほど仏領インドシナとはそういうものですなと思い出したり)。高峰はタイピストとして派遣されたのだった。仕事は何か?と聞かれた富岡に観光案内されたジャングル。

富岡は妻と別れる気持ちはまったくなく、材木商として一旗あげるつもりだが、まったくうまくいかない。ゆき子は、困り果てて粉をかけてきた若いアメリカ兵と3ヵ月(帰国まで)の契約を結ぶ。

一方、ゆき子の義兄の伊庭(郷里ではゆき子の寝込みを襲って以後3年間関係を持っていたというひどい話だが、よかっただろうと話す時点でまあそういう時代のそういう層のお話だというわけだが)も東京に出て来てゆき子にいろいろちょっかいをかけまくる。最終的に伊庭は新興宗教を友人とでっち上げて寝言を言って莫大な金を巻き上げるシステムを構築する(で、行き当てがなくなったゆき子を再度囲うが、ゆき子は30万円くすねて逃げるのだが、それは後の話)。伊庭は戦後うまくやった田舎実業家の雰囲気が言葉の端々に示されていて脚本(あるいは林芙美子原作)の人間観察のうまさにびびる。

心中するつもりで伊香保に宿をとるゆき子と富岡。心中するつもりというのは見ていてわかるので熱海かと思った(というように、映画は音声が潰れていて1/3程度しか聞き取れない。が、映画表現でほぼすべてが表出されているので、何言っているかわからなくても何をするつもりなのかは理解できる。ただし、錦ヶ浦が自殺の名所ということを知っているように、榛名湖が心中の名所という知識は必要で、かつ、おれは榛名湖も名所というのは知らなかった)。

そこで金が尽きた富岡の金時計を1万円で買ってくれた(元陸軍で富岡同様にインドシナに派遣されていたので意気投合)飲み屋ボルネオの主人(加東大介)の妻(岡田茉莉子)と浮気が始まる。

軒先に大根が丸干しされている(そこで群馬とわかるのかな?)。

脱衣所の着替えでそれを察するゆき子。

ゆき子は、行方をくらました富岡を探して訪ね当てる。富岡は妻が病気で倒れたために治療費で金がなくなって家を売ったりして、今はボルネオの妻(家出して東京に出てきた)の部屋に転がりこんできたのだった。

やたらと子供が映る。三輪車に乗った子供に富岡の帰宅時間を聞くゆき子。ああ妊娠したのだなとわかる。カメラは主人公の心象風景でもあるのだから、このシーケンスになってそれまでと同じような町の風景でも子供が目に留まるようにしているのはゆき子が子供を意識しているからだ。

待っている。干し柿かなぁが軒先にぶら下がる。部屋は机だけが知的で富岡はなにかベトナム時代の随筆を書いて収入を得ているのだった。

ぐだぐだしている富岡(友人の石鹸会社に雇ってもったという話をする)は子供を産んでくれとほざく。

中絶して病院のベッドに寝ているゆき子の隣のうさんくさい(お妾風のスタイル)女性が新聞を壁にしている、その新聞に、加東大介が妻を殺して、情夫は富岡という記事を見つける。

仕事をくびになり、妻が死に、ますます窮乏した富岡は伊庭に囲われて優雅に暮らしているゆき子に葬儀代として2万円を借りる。これで棺桶が買える。

というように、だらだらだらだら話は続いて、結局伊豆長岡の宿(らしいがおれにはどこだか見当がつかなかった。饅絵でもあったのかな?)での邂逅のあと、ゆき子は富岡について屋久島へ行き、そこで病死(まあ結核だろう)する。急に強い雨が降り始めたので窓を閉めようとして動いたのがさわったのだろう(そのとき女中は1日に1回の医者への葉書を出しに出ていた)。

それまで冷たくあしらうそぶりと不機嫌以外を見せなかった富岡は泣き出す。

物語は今となっては正気とは思えないが映画は違う。

たとえば最初は四畳半の真ん中半畳の小さな掘りごたつに二人で入っていたのが、伊庭に囲われて暮らす家では一回り大きい掘りごたつになる。伊庭のおかげでゆき子の金回りが良くなったことを示す「ナイロンを履いた」という下宿の娘かなの台詞。

特に印象的なのは、ゆき子の部屋を訪ねた富岡がずっと帽子をかぶっているのが、脱いだ瞬間に性欲むき出しにして、拒まれた途端にまた帽子を被って去るシーケンスと、同じくゆき子の部屋で、ビールを手酌する富岡のほうに自分のコップをゆき子が寄せるのを富岡は無視(またはまったく気づきもせずに)してビール瓶を卓上に戻してそのまま暗転するシーン。(このあたりは始まって最初の頃だからで、その後はそういう語り口が当然になるので普通に見てしまって印象には残らないし、残す必要もない)。

2つ並んでいる歯ブラシのブラシ部のでかさに妻が仰天していたしおれも(知っているから)仰天はしないが、なんで1960年代までの歯ブラシってあんなにばかでかかったのだろうかと不思議になる。技術がないから細かく作れないというのはあるだろうが、そもそも磨くということの歯周病予防効果がわかっていないので、一度に全体の1/3を磨けるように大盤振る舞いしていたということなのかな。

とにかくこの二人が歩き回る。ベトナムのジャングルから千駄ヶ谷(日共の本部近くだけにインターナショナルを歌いながらデモ隊が通り過ぎるシーンはなかなか好きだが、これが昭和30年代始めの千駄ヶ谷なのか(1955年の映画だからそんなものだろう)。

ゆき子の部屋ではカストリ、ボルネオではサントリーの角。

鹿児島の旅館の女中の言葉がまったくわからない(ので、富岡が通訳するのだが、自然とゆき子に対する念押しになっているので、全然観客のためという取ってつけた感がない)。

船をいつまでも見送る医者。

安南人の下働きの無表情。仏領インドシナと安南という言葉の並列っぷりがおもしろいと思ったが、1955年の映画だとまだインドシナ(フランスが敗走するのが1955年)であってベトナムではないからで全然当たり前だった。

籐椅子を2つ向かい合わせに置いたベランダ(どこの旅館もみな同じ)。

音楽もベトナムでベトナム(というかアジアン無国籍)スタイルの音楽が流れるのは当然として、商店街では東京ブギウギやリンゴの唄をアレンジしたものが流れるのに、二人で部屋で差し向いになると同じ無国籍スタイルの音楽を流すなど実に細かい。そういった細かさ(ベトナムと日本とそれぞれの行動をモンタージュしまくる)を中絶以後は排して二人の時間をそのまま追っかけるようにする(で、最後の最後で富岡は山へ登り、ゆき子は部屋に残る)のもうまいなぁと感嘆しまくった。

浮雲(高峰秀子)


2021-06-05

_ 梅田芸術劇場のロミオ&ジュリエット

赤坂ACTシアターで、ロメオ&(アンドではなくエなのだが、なぜかアンド)ジュリエットを子供と観に行く。

オリジナルのシェークスピアは当然として、プロコフィエフのバレエも大傑作だし(コジョカルのは良かったなぁ)、映画作家アンソロジーのキアロスタミのやつも好きだが、ジェラール・プレギュルヴィク(sは読まないと思うが良くわからん)というまったく記憶できない作家のロックミュージカルもすごく好きだ。

以前子供がDVDで買ってきて見せてくれたのだが、とにかく音楽の組み立てが抜群だし、ヒバリの鳴き声の情景をまともに演じさせるため一切の曖昧さなしに悲劇性が強調され、最後、毒をあおったためにきれいに死んでいるロメオを見たジュリエットが完全に勘違いして(急いで旅先から戻って来たから疲れ切って眠っていると思う)幸福でいっぱいの歌を歌いながら冷たさに気づき、一緒に同じ毒をあおろうとするが瓶は空っぽで、次に唇から毒を奪おう(ほとんど気が動転しているとしか思えないわけだが)としてそれにも失敗して最後に短剣を取るまでの一連の演出まで、実に素晴らしい。

で、結局やたらと気に入ったので、子供が買ったCDは良く聴く。

Vérone - De La Haine A L'amour (Extrait De Roméo Et Juliette)(-)

(今気づいたが、随分な抜粋版だな)

というわけで、実際の舞台で観られるので楽しみに楽しみにして出かけたわけだった。

で、幕が開くや、これはHiGH&LOWかという感じで、青いモンテギュと赤いキュピレットが激しく踊って、2階建ての脇の道具も良いのだが、正直なところ度肝を抜かれた。無茶苦茶かっこいい。

だが、仲裁に来た大公の髪型が摘まみみたいでさすがにこれはないなぁと思ったり(概して歌を含めて子供対大人というフォーマットを通しているので大人はかっこ悪くしようとしているのかな)。

で、どちらかというと退屈なラエーヌがニクシミーになっていて相当違和感があったりしたり(でもあとで子供にニクシミーは無いんじゃないかと言ったら、言下にゾーオじゃ動物園みたいだし日本語にするならニクシミーしかないと切り捨てられてしまった)しているうちにロメオが出て来てジェペール(日本語でどう歌っていたか忘れた)で、このあたりまではそれほど音楽も好きではないわけだが、やっとモンテギュ組員たちとロメオが合流して、ベンボーリオかメルキューシオか忘れたが、お前はおれたちの王様になるんだからに対して、いや違う、おれたちみんなが王様さと、レルワデュモンドを歌って踊る。ここも実に良い。だからレなのか。

ロメオとジュリエットがまだみぬ恋人についての歌を歌う。ここも悪くないが、CDには歌が入っていないな。

舞台ではこのあとパリスがベローナいちの金持ちとして登場し、借金で首が回らないキュピレットが結婚を承諾してから、ジュリエットが自然に出会えるように仮面舞踏会を開こうとなる。

ジュリエットは16歳とシェークスピアから2歳サバを読んでいてなんでこんな無意味な改変したのか? と不思議になったが、法律的には結婚できるからとか喋るから日本版ということで整合性を取ったのかも。

で、当然のようにロメオたちは仮面舞踏会に忍び込んで、ジュリエットを捕まえようとするパリス、女の子をどんどん捕まえようとするメルキューシオと、いろいろ舞台を動かしながら、突然階段を真ん中に持って来て、他の連中を全員退場させて階段の上にジュリエット、下にロメオを配置して、お互い以外にはまったく目に入らない状態をうまく演出する。エスクテュメムラが全然違う詩的な日本語になっているが、悪くない。この曲は演出と相まって実にうまい。これが舞台ならではの感動的なシーンだな。

バルコニーの場はふつうに美しいが、乳母のジュリエットを呼ぶ声をしつこいくらいに繰り返す。

ロメオはロレンツィオに結婚式の相談に行くと、ロレンツィオはYoutubeのドラッグチャネルを視ながら睡眠薬の調合中で爆発させたりする。

乳母が銀色に輝く一昔前のアルミの灰皿を引っ繰り返したような帽子を被ってモンテギュの縄張りに入って来ると、モンテギュ団がUFOが来たと騒ぎ出す。ここは乳母の歌いどころ(レボレレはわりと好き)だと思っていたら、モンテギュの踊りの見せ場でもあったのだな。

乳母は見せ場が多い。最初は親のいうことを聞け → とはいえ恋をして独り立ちするのは当然のことだから応援しよう(レボレレは楽しい曲だが、エブワラケレムはすごく良い曲だ。この曲本当に好きだな) → 死んだものはしょうがないから親のいうことを聞けというのは自然だ。

というか、レルワといい、全体にモンテギュ団のほうが見せ場が多い。(と思っていたら、カーテンコールでキュピレット団のダンスがあって、(子供もやっぱ見せ場が少ないからじゃないかと同意見)おもしろかった)

で、神父と乳母の立ち合いのもと結婚するわけだが、カテドラルのそこかしこに人がいてスマホで撮影して拡散する。(2001年初演時には、写メはあるだろうが、拡散用のプラットフォームってフランスにはあったのかなぁ? というのが疑問点)

それにしても、ここでの結婚の意味合いが完全に50年代ハリウッドギャング映画のモーテルの結婚式場と同じ意味合いでしかなくておもしろい。

で、あまり好きではないがこの作品のテーマソングっぽいエメが歌われまくって1幕おしまい。

なるほど、結婚式の写真が拡散されたからオンディダンラリュなのだなとわかった。この曲はすごく好きだ。

プレギュルヴィクの曲は転調をものすごくうまく使う。この曲もそれが顕著だ。それまで短調だったヴィのィが途中で長調にぱっと転調して気持ちが上向いたりする。転調しないまでも、同じメロディの末尾を上げてみたり下げてみたり伸ばしたり打ち切ったり、感情の動きと音の動きを実にうまく合わせている。

というわけで、歌手もすごく良いのだ(というか、最近の人たちはかっこいい)。昼間観に行ったので甲斐という人のロメオだったが、家に帰ってから子供が配信も観ていて、そちらのほうがロメオっぽいマリオという人だった。

で、当然のようにメルキューシオはティボルトに殺され、ロメオはティボルトを殺し、追放となる。

ロメオはロレンツィオに身の処し方を相談するのだが、そこに乳母がやってきてロレンツィオと一緒に、明日の朝まで時間がないからさっさとジュリエットのところに行ってやるべきことをやってから旅に出ろと直截なことを言い出す。

で、ヒバリの声が聞こえ窓から陽がさし、ジュリエットはあれはナイチンゲールの声よと言っているところに乳母がやってきて目をそらすとか、まあ現代の舞台劇ですなぁと(とはいえ、これまでいろいろ舞台を観てきたが、こういう生々しいのは薔薇の騎士と(相当違う気がするが)オリー伯くらいしか覚えがない)

ロメオはマントヴァへ行くのだが、そこの怪しい宿でスマホ(時代的には携帯なんだろうが)を盗まれる(というかフロントに預けた荷物に入っているということかも、いずれにしても盗まれるのだが)。

一方ロレンツィオは24時間後にはジュリエットが仮死状態から復帰できるとロメオにメールを送るかメッセする。

(子供いわくこういう場合は音声電話か音声メッセンジャーのほうが反応の有無を確認できるから良いのにだそうだが、思うに盗まれたためそもそも読めないというのは想定外過ぎる。シェークスピアの僧ジョンが追いはぎに殺されるのと同じ程度かな。というわけで、ベンボーリオが気を利かせてロレンツィオに一言相談してから行けば良いと思うのだが、そもそもロメオ以外誰も教会へは行かなさそうだ)

ここで、キュピレットの親父(団はモンテギュのほうが見せ場が多いが、親はキュピレットのほうが見せ場がある)が、5歳のときに不義の子と知ったから絞め殺そうと首に手をかけたが、お前は何も気づかずにニコニコしている。OKまいった、わかってる。おれの子供だよ、愛しているよと歌い出す。

この曲はびっくりするほどつまらない。一貫してテレレレというメロディしか使われない。

初演時に名優だが歌がへたな俳優に親父をやらせたので曲を極端に単純化したのかな? と思わざるを得ない。というわけで、曲ではなく歌と演技だけなのでCDだと退屈なのだが、舞台だと当然歌手の演技が入るので話は異なる。松村という人はうまかった。

ジュリエットはロレンツィオのベラドンナベースの薬を飲んで仮死状態になる。

マントヴァまでジュリエットの訃報を告げにベンボーリオが来ると、ロメオは迷うことなく薬の売人の死神から毒を買う。

まあいずれにしても遠いところで一緒に暮らすんだからOKとにこやかに毒を呷る。

その瞬間にジュリエットが目覚める。

このMAD好きだ(音声はハンガリー版らしい)。

原曲もおそらくこのハンガリー版も歌の冒頭からロメオが死んでいることが前提となっているので悲しみー喜びの2段階だが、日本語版は歌の間で死に気づくことにして、喜び-悲しみ-喜びの3段階にしているのでより精緻な曲に聴こえた。

Roméo & Juliette - De la haine à l'amour - Karaoké(-)

KARAOKE?


2021-06-04

_ 王の没落

王の没落読了。Twitterで岩波のツイートを見ておもしろそうだからすぐ買ったが、結局先週から読み始めた。

デンマーク文学で、1900年あたりに書かれた20世紀デンマークの代表的な小説らしい。全3部構成で、歴史的にはクリスチャン1世治下、クリスチャン2世のスェーデン占領、クリスチャン2世幽閉後に分かれている。1部では20代(10代後半かも)だった主人公が2部では40代くらいとなり、3部では60〜70代となっている。

読むのに一番時間がかかったのは1部で1週間くらいかけて読んだ。実際情報量(人物、事柄、イベント)も1部が一番多く、2部、3部と少なくなっていく(その代わりに幻想が増えてくる。おそらく主人公が動けなくなるからだろう)。結局3部は半日で読了してしまった。

主人公は1部では大学生として学んでいるがまじめに勉強するよりも市外で農民から食事をおごってもらうことがほとんどだ。

そこに軍隊がやってくる。軍隊には主人公の故郷での領主の息子がいて、同郷ということもあって行動を共にするが違和感を常に持つ。

ニワトコがある家の角の石に落書きがあり、その家に住む女性に恋している。

ニワトコという言葉を見て子供のころ読んだアンデルセンのニワトコおばさんを思い出した。デンマークではニワトコは愛されているようだ。日本の桜に相当するのかも知れない。

主人公は酒場でクリスチャン2世(この時点では王子)を見て美しさに感動する。

主人公は放校され故郷へ帰りそこで領主の息子の婚約者を誘拐する。傭兵として出兵する。

2部では王の直属の軍人となる。デンマーク軍の占領下のストックホルムで知り合った若い騎士(実は1部で出てきた領主の息子の知られざる息子)が持つ、ヘブライ語で書かれた宝について書かれた文書に興味を持つ。もとは大学生でラテン語もヘブライ語も学んだことがあるのだが、その学問の成果をまったく活かすこともできない生活を続けていたので、翻訳してみせることですでに失って(あるいは最初から持ち合わせていない)誇りを取り戻したい。しかし、騎士はその欲望にまったく気づかない。騎士の元に港に停泊した享楽船から娼婦が訪問する。

街ではクリスチャン2世によって広場が血で溢れる。

主人公は高熱を出して死を予感する。そして最後の希望として騎士へ読ませてくれと頼む。騎士は病気が悪くなることを恐れて断る。

主人公は騎士に対して殺意を抱き、そして回復する。

騎士はそこら中で女性と婚約したり結婚したりしては旅立つという猫のような生活を送り、最後は主人公の故郷で主人公の娘(だが主人公はそれを知らない)と婚約する。

やってきた主人公を騎士は歓待し、二人は出かけ、そこで主人公は復讐を遂げる。が、文書が収まっているはずの箱は空だった。

3部になっても主人公はまったく満たされることはない。巡礼の姿をして弟の元を訪れる。農民たちによるクリスチャン2世奪還作戦が行われ、ドイツから来た現政府軍によって農民たちは弟を含め虐殺される。

主人公は王の側近として一緒に幽閉生活に入る。

主人公はイタリアで仕入れた地動説を王に話す。王は認めない。

そこで王は、主人公を智者のもとへ天動説と地動説のいずれが正しいかを聞きに行かせる。入れ違いに主人公の孫(騎士の子供)が親代わりの楽師とともに城(王の幽閉先)を訪れる。

博士は主人公にヘブライ語の文書は娼婦が持ち出し、さらに何人かの手に移り、換金されたことを告げる。

博士のもとには王の隠し子のカルロスがいる。彼は頭蓋骨を持たず、巨大な脳を使って森羅万象を知ることができる。博士に頼まれ、カルロスは天動説と地動説のいずれが正しいか考え始める。

高熱を出した主人公がカルロスについてうわ言で漏らしたために、博士とカルロスは捕縛され、窒息できないようによく考慮した積まれ方をした薪によって火刑になる。

主人公は王の元へ帰り、病気で死ぬ。

この作品では主人公は徹底的に空疎な人間として描かれている。何一つ希望したことをかなえることも、そもそもかなえさせようと行動することもなく(留学資格を得るために口頭試問に赴いたことはある。また王の側近として仕えられるように依頼したこともあるので、何一つ希望というのは違うような気もするが欲望のレベルが異なるのだ)一人合点で恨みだけを溜め込み(しかし機会があれば放出する)何もなさないままで死ぬ。物語として書かれた会話シーンでも主人公は黙している。一方書かれていないところでは王と会話している。

王もなにかいろいろやろうとしたが理解を正しく得ようとせず、決断を先延ばしし、唐突に血の雨を降らせ、無為に死ぬ。

その点において主人公と王は同じ物語を紡いでいる。

しかもその意志とまったく無関係に子どもたちが孫たちを生み出して絡み合う。

要は歴史なのだった。

読後のカタルシスはないが、澱のようなものが余韻として溜まる、たしかに20世紀的な文学作品だった。

デンマーク語はまったくわからないわけだが、にもかかわらず訳業は偉業のように思う。心理描写のかわりに大量に含まれる風景描写が強い印象を持つ。

王の没落 (岩波文庫 赤 746-1)(イェンセン)

・ろくに勉強しない学生が農村などで歓待されるというのは、ゴーゴリのヴィーに出てくる学生を思い出した。そういう習慣があったのだな。

では日本は? と考えると、それが修行僧に相当するのかと考え付く。寺が大学なのか。

・何か同じように空疎で行動しない寡黙な主人公の物語を読んだ記憶があるのだが、なんだったか。


2021-05-31

_ スリル・ミーの配信を観た

確か5/29だと思うが、ドンカルロスから帰ってきたら(かどうか怪しいので29日かどうかわからないわけだが)子供がこれから配信があるから一緒にスリルミーを観ようと言い出したので一緒に観た。

ミュージカルとはいえ、あまり歌らしい歌がなく(おれにとって「ミュージカル」という単語から最初に出てくるのはジャックドゥミーだったりスタンリードーネンだったり遡ればレハールだったりするので歌だけではなく踊りも重要なのだ)、何やら男が出て来て告白調で喋り出して他に一人しかメインキャストがいないところでアンクル・トムみたいだなぁと感じて、これは韓国ミュージカルか?(いや、実際にはフランケンシュタインとかも観ているから、グランドミュージカルがあるのはわかっているのだけど)と聞いたら、よくわからないけど、アメリカの実際にあった事件をベースにしているらしいとか言われる。

殺人罪で捕まった男を、模範囚でもあることだし、刑務所の予算の関係で早期リリースプログラムを適用してさっさと社会という黒暗森林へ追い出そうと、再尋問が行われるところから物語の幕があく。

男はかって、友人(こちらが実行犯)と共謀して子供を殺したのだった。

問題は、なぜ殺したのかにある。

要は黒暗森林でふたたび狩人として振舞うような危険な人物なのかどうか、が尋問者にとっての焦点となる。

三体Ⅱ 黒暗森林(上)(劉 慈欣)

男が回想を始める。

友人と男はともに大学院で法律を学んでいて弁護士としての将来が約束された秀才だ。

友人はニーチェの超人思想にかぶれている。そのため、自分が他の何者でもなく世の凡人どもとは一線を画す自分自身であるという確たる証拠を得ようと次々と犯罪に手を染めている。(実は、ここまで見てうんざりしたのは否めない。19世紀の大学生や現代の中学2年生ではあるまいし何をほざいているのやら)

男が友人の部屋で待っていると友人が帰って来る。なんでお前がここにいるの? いや、弟に入れてもらったんだよ。

で、泥棒から火付けにいたって、いよいよ殺人の計画を練り始める。

男は、止めようといろいろ説得する。だが、惚れた弱みがある。

友人は、確実に仕留められて、社会に対してそれほど悪影響がないなどと自分勝手な理屈を振り回して子供をターゲットとする。(お前はサカキバラか(というかあれは高校生だったな)とつっこみを入れたくなるよなぁ。大学院で学んでいる年齢なのだ)。

ただ、なるほど、よくいう「殺す相手は誰でも良かった」が実際には誰でもではなく明白に女性や子供をターゲットにする思考の説明としては納得がいった。そもそも「殺す相手は誰でも良かった」は真実なのだが、言葉が不足している。「殺す相手は誰でも良いが、確実に仕留められる相手でなければならない」なのだな。

そりゃそうか。目的は殺しにあるのだから、それを実現できなければ意味がない。

殺し HDリマスターー版(続・死ぬまでにこれは観ろ!) [DVD](フランチェスコ・ルイウ)

パゾリーニと同じくおれも殺しは好きだが、好きなのはベルトルッチの殺しだ。

無事、殺しは成立する。

が、友人が考えた完全犯罪のシナリオは男のミス(同様なミスをすでに男は前にやっているので、観ているこちらは男の抜け作っぷりに呆れ果てる)によって破壊される。

というか、完全犯罪が成立していないからこそ、男は収監されているのだから当然だ。

かくして物語は、なぜ完全犯罪が成立しなかったのか(直接の原因は男のミスにあるにしても)、そして、なぜ友人は犯罪を重ねることに執着するのか、という深部に入り込む。

なかなかおもしろかった。

(ただ、ミュージカルとしておもしろかったか? と聞かれると首を傾げざるを得ない。その一方で、実に不愉快千万な物語であるから、一方的な独白調の一人芝居とかだったら気分悪くなるだろうから、歌と音楽があるほうが良くもある)

実に奇妙な体験だった。

ミュージカル『スリル・ミー』ライヴ録音盤CD・松下洸平×小西遼生(演劇・ミュージカル)


2021-05-30

_ 帝国劇場でレミゼラブル

子供が急用で行けなくなったとかでレミゼラブルのチケットをもらったので行ってみた。貸し切り公演ということで、緊急事態宣言関係なく満席に近い。新国立劇場とは違うな。映画版をビデオかテレビで観たことはあるし、ミュージカルのCDとかは聴いていたが舞台は初めてだ。

いろいろ発見があった。

・ABCが歌う赤と黒は、共産主義(平等)の赤と絶対自由主義の黒のことだと思っていたから、赤も黒も同盟して第2王制の反動政権を叩き潰そうという革命歌なのだと考えていたら、赤は夜明けで黒は夜、赤は希望で黒は絶望みたいな歌詞(岩谷時子の訳が極端な意訳の可能性もあるが、そもそも仏→英の時点で変わっているだろうし)で驚いた。

・ガブローシュがテナルディエの息子として一切説明されていないので、単なる空から送られてきた天使みたいになっている。(エポニーヌとの対比がおもしろいのに)

・ジャベルの星の歌って、なんとなく最後橋の上で歌うのかと思ったら、途中の橋の上だった。

子供から、照明の使い方がおもしろいと聞かされていたが、確かにスポットライトをやたらとうまく使う(特に、バリケードのシーンだな)が、あまりにも天(要は神)に焦点を合わせ過ぎているような気がしてイデオロギーとしてはそれほど感心はしない。

それでも舞台というのは良いもので、レミゼラブルの構造が実にうまく浮き彫りになっていて感心した。

基本は、ジャンバルジャンとジャベルの対称にある。どちらも出自は最下層に近い(映画だとご丁寧に黒人にしていて――当時のフランスの有名な黒人といえばアレクサンドル・デュマ(混血だが)自身もそうだが、その親父がいろいろ軍隊で功績をあげてもなかなか差別されていてうまくいかないとかある――より強調されているのは牢獄で生まれたことまで説明しきれないからだろう――追記: 子供から映画ではなくそれは25周年ミュージカルだと教えられた。ということはミュージカルの舞台も家で観ていたのだった)が、片方は才覚をもって工場経営者(ブルジョア階級だ)にまで上り詰めて(その後もうまく資産運用をしているのは間違いない)、片方は当時フーシェによって創設されたばかりの近代的な国家警察の刑事という最新の職業人(ホワイトカラーに近いが、それでも雇用されて給与を得ているのでプロレタリアート)として職務のために誠心誠意はりきる。星の歌を聴いていて、なるほどミュージカルの作者も、この生まれたての職業に対してジャベルが圧倒的な誇りをもってこの職業はこういうものであるという宣言を歌わせているのだな、と感心した。と同時にそれだけにジャンバルジャン(ブルジョア)に「職務の奴隷め」と吐き捨てられているところのおもしろさも生きている。

次がマリウスという貴族の子供とテナルディエというルンペンプロレタリアートの代表でこの二人の共通性と対称性が抜群。あとマリウスが弁護士になるというのも、1791の時の弁護士という職業人たちの活躍を考えると実におもしろい設定だ。

とはいえ特に興味深いのはテナルディエで、宿屋の主人のときは町の哲学者を自称し、結婚式の場には男爵として乗り込む。暴動時には火事場泥棒として活躍し、ジャベルともなあなあの関係を持っていたりと、とんでもないエベール親父だが、まあそうだよなぁとユーゴーの社会観察の鋭さに感動する。もちろんだからこそ、マルクスはルンペンプロレタリアートを蛇蝎のように排斥することを訴えることになるわけだが、テナルディエの存在こそが社会がどう転ぶかの決め手となるのだった。というわけで、ミュージカル作者もテナルディエを音楽を使って妙に強調しているのがおもしろい。

そしてエポニーヌとコゼットというのが一見するとマリウスのせいで対称のように見えるが、そうではなく、同じルンペンプロレタリアートの子供のエポニーヌとガブローシュで、ここで、それまでの時代であれば労働力となる男子優先で育てて女の子は捨てるのが通常だったのにもかかわらず、この新しい時代の階級であるルンペンプロレタリアートでは男の子を捨てて女の子を取るという対称性のせいで、ここでもユーゴーの観察眼の鋭さに舌を巻く。そしてガブローシュがジャベルと親し気であるにも関わらず人生の命運を決める瞬間に革命側につく(この決断は失敗となるわけだが)のも興味深い。

もしエポニーヌが生きていたら、コレットのシェリーで垣間見られるが、年老いた娼婦はどういう老後を送るのか? の成功側(シェリーに出てくる元娼婦たちは若い頃に稼いだ金を貿易会社や石油会社に投資して、立派なブルジョアジーとして優雅な余生を送っている)になっていた可能性が高い。テナルディエの子育ての選択はおそらく正しい。それにしても工場主となり(おそらくその後は隠し持った資産をうまく運用しているに違いない)ジャンバルジャンもそうだし、新興の職業に忠誠を誓うジャベル(彼がまさにプロレタリアートなのは、自己の信念が揺らいだときに平然と自殺することにある。宗教の尾を引きずる旧社会の住人には不可能な選択だ)も、娘を残して息子を捨てるテナルディエにしても、出自のわからない女性を妻にするマリウスにしても、革命の落とし子たちそれぞれの描き方が本当に見事な作品(小説もそうだが、このミュージカルもそうだ)だ。


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