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日々の破片

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2022-07-03

_ 70年代の死

70年代(77年より前ということになるのだけど)の文化にはあまりというかほとんど思い入れは無いつもりではあるが、それでも幾つかどうにも原点のようなものはある。

ということに、宮谷一彦の死で気づいた。

宮谷一彦の作品は、全盛期ではなく、おそらく80年代に入っていたかも知れないが、青山ユアーズの裏にあった喫茶店に置いてあったジャンピングジャックフラッシュが収録されている作品集(おそらく青林堂から出ていたものなのだが、その記憶が確かなら、主な発表の場がCOMなのに、COMの出版社が無くなっているためガロの出版社から作品集が出ていたというのは皮肉な感じがする)を何度も読み返した。光と影の書き分けが強烈であり、ここぞとばかりにアップになり、筋肉の動きが強調されるところに、何か普通ではない表現を感じたのだろう。

結局おれにとっての70年代文化というのは、小学館が先鞭を切ったマンガの文庫本で買った赤色エレジーと真崎守のはみだし野郎の三部作と(同時に買ったつげ義春は別格で時代性というものは今にいたっても感じない)、後から読んだ宮谷一彦なのだった。これで見ると林静一だけが異質で、真崎守と宮谷一彦はいずれも肉体の描写が(前者はマンガ的な丸みのある絵で、後者は荒っぽい素描に近い劇画的な絵という違いがあるが)生々しく、暴力的なところがある。

このうち宮谷一彦と林静一がいずれも後年のデルシャノンについて言及している感じ方の差が興味深い。

宮谷一彦は1971年のライクアローリングストーン(ジャンピングジャックフラッシュを書いているくらいだからストーンズかと思ったら、ボブディランからということを書いている)の中で、67年版のランナウェイについて言及している。サンキューというMCに自分が呼びかけられたかのようにジーンとしたというようなことだ。

一方の林静一は、91年のPH4.5グッピーは死なないの中で、年取ったデルシャノンが唯一のヒットであるランナウェイをボサノバにアレンジして歌っているのを聴いて物悲しくなったと書いている。

どちらも61年のランナウェイを聴きまくり、それから片や10年後に力づけられ、片や30年後に寂寥を覚える。が、その感想の持ち方が、それぞれの作風の違いに合っていると思えてならない(いや、それが70年代ど真ん中とそれから20年が経過した時点の違いということもあり得るが、それ以上に作風とのシンクロを強く感じる)。

ライク ア ローリング ストーン(宮谷一彦)


2022-06-28

_ ガランチャのリサイタル

すみだトリフォニーホールでガランチャ。このホールは初めてだが、実に調度が美しい。始まると音も良くて(弱い音が弱く、強い音は強く聞こえるし、残響も適度だ)気に入った。しかも椅子が疲れない。

2部構成で1部はドイツ・フランスの欧州ど真ん中で、2部がロシアとスペインという西南と東北の欧州辺境。

ドイツはブラームスで1曲目は拍子抜けするほどさらさらとした曲で喉を温めるのにちょうど良いのかなぁとか考えながら聴く。で、2曲目、3曲目と進み、やはりブラームスはそれほど好みではないなぁとか考えていたら4曲目が美しい。というかガランチャは素晴らしい。震わせる声ではなく細かな音がたくさん乗っているからだ。さらに5曲目は曲そのもの含めて抜群。でも6曲目は最後盛り上がるがやはりそれほど好みではないと考えているうちに、サビが独特な作曲家でベルリオーズ登場。名曲だ。

で、月の光が伴奏者のソロで、比較的速めのテンポだが美しい。というかドビュッシーは好きだ。

で、サムソンとデリラのあなたの声がになる。特に最後のサムソン、サムソンのあたりはぞくぞくするほど美しい。

最後のサバの女王はたぶん初めて聴くがこれも良い。

休憩をはさんでチャイコフスキーのオルレアンの乙女で、これは初耳。全然チャイコフスキー的ではない不思議な曲。

ラフマニノフから3曲、1曲目はまあラフマニノフかなぁくらいなのだが、2曲目がいかにもラフマニノフな半音を使った上昇形が2回続くやつですごく好きだ。3曲目も悪くない。

伴奏者のソロでグラナドスがあって、名前忘れたタイプの曲が3曲。最後の曲はCDで聴いたことがあるが、すごいテンポで盛り上げた。

アンコールはハバネラから始まる。最後、伸ばしに伸ばしてすごい。続いてオミオバンビーノカロで悪くない。3曲目は良くわからなかったが(フェイバリットらしい)ラフマニノフ。続いてマスカーニのサントゥッツァのアリア。ソプラノの曲じゃないか? と思ったらメゾでも歌えるらしいというか歌っていた(そういえばオミオバンビーノカロもソプラノの曲だった)。しかも考えたら持っているCDの中にも入っている。本来はそこで終わりらしかったが、その後、軽い曲を1つ、続いてやはり軽めの曲で本当におしまい。

伴奏者よりも微妙にガランチャのほうが背が高いがいずれにしてもそれなりに長身の二人に対してピアノの譜面めくりの人がやたらと小柄(少なくともガランチャに比べれば小柄)で、彼女が出てくるとアンコールで歌うということで拍手が大きくなるのがちょっとおもしろかった。

それにしてもブラームスのような大して好きでもない作曲家の聴いたことのない曲でも見事に聴かせてくれるのだからとんでもなくすごい歌手だとあらためて思った。本当に良いものを聴けた。

Revive(エリーナ・ガランチャ & バレンシア自治州管弦楽団 & ロベルト・アバド)


2022-06-26

_ 犬王

豊洲で犬王。なんかやたらと周りで評判が良いので観てみるかと思った。時代劇好きだし。

という程度の知識で観に行ったら、とんでもない(良い意味で)作品だった。物語はシンプルなのに、すさまじく重層的なテーマで一度観ただけではもったいないのでもう一度行こうと思っているうちに時間がたってしまった。

現代の都市の一角から物語は始まり、すぐに壇ノ浦に二位の尼と安徳天皇もろとも天叢雲剣が沈んだのを(この作品では天叢雲剣を納めた櫃に尼と天皇をくくりつけたことになっている)手に入れたい足利将軍の意向により壇ノ浦に武士が派遣される背景の説明となる。

壇ノ浦では素潜り少年(友魚)が父母と暮らしている。父親はこのあたりの漁師の統領らしく派遣された武士が談判している。少年は思い当る節があるので父親に合図をし報酬を受けさせる。

漕ぎだした舟から潜った少年は見事櫃を引っ張り出し天叢雲剣を手に入れる。父親が抜くとまるでレーザー光線のように刀身からの光があたりを薙ぎ倒し、父親は両断、少年は目を持って行かれる。

一体何の話だ? と不思議に思いながら(演芸の話というのは知っていた)観ていると、少年は旅に出て(父親の亡霊がついて回る)厳島神社で琵琶法師の謡う平家物語に惹かれるままに弟子入りする。やっと芸事の話になったと思いながら観ているうちに旅は続いて友魚はいっぱしの琵琶法師(法師ではないように見えるが)となり師匠と入京する。

一方、とここできっかいな姿の踊りを踊る妖怪が犬と共に登場(犬を連れて登場する見るからに一方の主役なのでこいつが犬王だなと見当がつくし事実そうだった)。はて? と観ていると足が生えてきたりする。父親の舞踏家が目玉ぐるぐるの謎の面と契約して日本一の舞踏家となることと引き換えに体を与えたことが語られる。百鬼丸みたいだな。被った面の片方の目と口の部分から目が見えるので生の顔がとてつもなく歪んでいることが示される。彼が面を脱ぐと見た人間はことごとく肝をつぶす。それを楽しみながら京の町をすごい勢いで駆け抜ける。

京の町を友魚が歩くシーンでは、鍛冶の音、(具体的なものは忘れた)などの町の音が映画館に素晴らしい音響で次々と再現される。ここがまずとんでもなく凄かった。

橋の上で二人が出会う。例によって犬王は面を取るのだが友魚はまったく動じない。目が見えないからだ。かくして二人は魂で共鳴しあい友人となる。

友魚は犬王が多数の魂を連れていることに気づく。平家の亡霊らしい。一方友魚自身が連れている父親の亡霊は影が薄くなりついには消えてしまう(友魚は琵琶法師のギルドに参加したため友一と名前を改める)。

犬王は亡霊の言葉を聴くことを教えられ、未だ語られぬ平家の物語を知る。

友一はロックバンドを組み(ベースは異様にでっかな琵琶)橋の上で犬王の公演の宣伝を行い、犬王は大がかりな仕掛けを使ったパフォーマンスを繰り広げる。(でっかな鯨は覚えているが、仕掛けは縄で結んだり、からくりを人力で回していたりで、それっぽくリアリティを作って描写していておもしろい)

噂は足利義満(世阿弥(まだ藤若)の後援者として描かれる)に届き犬王のパフォーマンスを金閣で行うこととなる。犬王は友魚(今では自分の一座を持ち友有と名乗る)をバックバンドとして指名する。日野業子(だと思うのだが)はまた龍が観られると期待する(その前に観た龍とはなんだろう?)。

実に美しい水上のパフォーマンスなどを経て3曲目のスローバーラードの途中で龍が渡り廊下を駆け抜ける。ここの映像はすごく美しい。最後、犬王が自分の代わりに日本一の舞踏家の地位につくことを恐れた父親、平家の亡霊たちなどが入り乱れて止揚される。犬王は人間に戻る。

足利義満たちは公式の平家物語以外を謡うことを禁止する。犬王は琵琶法師とのコラボレーションを禁止されるがためらいも見せずに受け入れる。一方、友有は断固として拒否しバンドメンバーは切り殺され、本人も拷問され(いざり車で移動することになる)さらには河原で首を斬られて果てる。

現代に戻り、犬王と友魚は邂逅し成仏する。

亡霊が消えること(何かの影響からの離脱)と自己の芸術の完成がテーマの一つなのは明らかだし、そこは観ていてまったく違和感はない。そのため、自己の芸術を手にした友有はそれを手放すことを拒否して死後も漂うことになる。一方、亡霊が消えると共に語るべき物語を失ってしまった(が人間となった)犬王は王に庇護された芸術家としてルーチンで生きるしかない。したがって友有と袂を分かつことに問題はなく、世阿弥と異なり何かを後世に残すこともない。それと友情は別の話だから最後に懐かしく出会える。

町の音が音楽へ昇華されることもテーマなのは京の町の美しい音響芸術から明白だ。

大衆を巻き込む芸能(拍手や掛け声や合唱をパフォーマーがオーディエンスに求める)に初めて出会った人々の反応というのもテーマだろう。

観ていて、そして観終わって実に気分が良いのは、悲惨な死を遂げる(そもそも目は斬られるし、父親は殺されるしで、あまりハッピーではない)友魚にしろ、体を無茶苦茶にされて父親からまともに相手にされてもいない犬王にしろ、パフォーマンスによって充実して生きていることが明らかに示されているから、観ていて悲劇的な物語には感じないからだろう。そこは映画として実に見事だと思う。なんにしてもおもしろかったのだ。


2022-06-24

_ 駅馬車

BSで駅馬車をやっていたので録画して観た。そういえば数週間前のリオ・ロボもみたので、ジョンフォードとハワードホークスにジョンウェインを配した西部劇の代表作を観たことになる。多分、本当に子供の頃にテレビで観たような記憶がないわけでもないが、まともに観たのはこれが最初だ。

駅馬車が町にやってくる。到着した身重(しかも臨月らしいのだが、そういう厄介な特徴は台詞だけに留まっていてちょっとおもしろい)の婦人は騎兵隊の大尉である夫の駐在地に来たわけなのだが、残念、彼は隣町へ移動した後だった。かくして駅馬車の旅を続けることにする。

一方、町では婦人会が反道徳的な人たちの追放を始めている。

かくして娼婦が町からの追放を突き付けられる。同様に始終酔っ払っている医者も追放される。かくして二人は駅馬車に乗らざるを得なくなる。そういう町だから酒の行商人(なぜか牧師のような服を着ているのでいつも間違えられる)もこの町での商売に見切りをつけて(かどうかはわからん)やはり駅馬車の人となる。というか医者に試供品を飲まれまくる。

その婦人会の親玉の夫は銀行をやっているのだが、今まさに預けられた5万ドルに目が眩み(だけではなく、この町に見切りをつけたのかも知れないし、奥さんが狂信的で気持ち悪くて我慢の限界となったのかも知れないし、ちょうど町の電信が故障したのを奇貨としたのかもしれない)やはり駅馬車に乗り込む(ただし町外れで)。電信が故障したというのはある種の伏線となっていて、やたらと頭取が駅馬車の出発を急がせる理由となっている(が、残念、目的地に着くと電信は直っているのだった)

さらには妙に紳士的に振る舞う賭博師は身重の婦人の護衛を自らかって出て駅馬車に乗り込む。ジョンキャラダインなのだが狐過ぎる。なんとなく七人の侍の久蔵を想起して、こいつは死ぬと思ったら本当に死んでしまった。

南北戦争をどう呼ぶかで、医者と賭博師の間で言い合いがある(というか、医者が反乱というような言い方をすると、賭博師が解放戦争だと言い直すように迫る)。

その頃保安官事務所にはリンゴ・キッドが脱獄したという情報が入ってくる。ということはやつは駅馬車に乗り込むに違いないと保安官も駅馬車に乗る。

アパッチ族が進軍したという情報があるため、騎兵隊が護衛につく。その情報をもたらすのはシャイアン族なのだが、「ていうか野郎もアパッチじゃんか」「ばか、ありゃおれたちの味方のシャイアンだ」というようなやり取りで説明される。

町を出ると案の定リンゴ・キッドが乗り込んでくる。保安官はリンゴのライフルを取り上げる。

という最初の町を出発するまでにすべての物語の前提を凄まじい勢いでまくし立てる。うまい。

そして行く先々ですべて回収していく。

夫を訪ねてきた身重の婦人に対しては、夫が戦争で傷ついたというショックと、ショックによって産気づいて、医者が取り上げて娼婦が赤ん坊の面倒を一生懸命みる。

たった17歳で収監されていた(おそらく女性を知らない)リンゴ・キッドはその姿を見て結婚をもちかける。

渡し舟はアパッチに破壊されているため、馬車に浮きをくくりつけ、馬に渡河させる。本当にこういうことあったのかなぁ?(馬車は木箱だからできなくはないだろうけど)

アパッチが襲撃してくる。馬車に追いついた一人が馬にまたがり馬車から外そうとする。が、保安官かキッドに撃たれる。それでもしがつみくのだが、さらに撃たれて転がり落ちる。その上を後続の馬が駆け抜け、おまけに馬車も通り過ぎる。すげぇアクションだ。

南軍の矜持と貴族的な振る舞いにやたらと気をつけている賭博師は南部の大物の子弟だということを最後にぽつりと呟きながらフラグ通りにアパッチの襲撃で受けた銃弾で息を引き取る。

頭取は逮捕される。

婦人は蔑んでいた娼婦に対して心からの謝意を述べる。

保安官はキッドの復讐を見て見ぬふりをする。そしてキッドは父親と弟の仇を討つ(早打ち合戦はまったく描写されずにライフルの音が1発、拳銃の音が1発、さらにライフルの音が2発聞こえる)。

医者と保安官はキッド夫婦を送り出す。

なるほど、これは誰が観ても傑作としか言いようがない作品だった。

駅馬車(字幕版)(ジョン・ウェイ)


2022-06-19

_ ガイズ&ドールズ

子供の父の日プレゼントで帝国劇場にガイズ&ドールズを観に行く。

舞台はニューヨークはブロードウェイ、1930年代。通りにはばくち打ちがたむろしていて、時折救世軍の行進が通る。

まず舞台のギミックがおもしろい。

主なシーンとなる街角(救世軍の伝道所がある地下へ通じる入口があるビルと、地下鉄の入り口がある)、救世軍の伝道所(というわけで、前のシーンとこのシーンで舞台が上下する)、飛行場のタラップ、飛行機、ハバナのクラブだが、行きのタラップと飛行機のつながりがおもしろいと思ったら、帰りはもっとおもしろかった。タラップが下がると街角の地下鉄の入り口になる。さらに、やたらと広い下水道。幕を閉めるとその手前が14年間も婚約状態のまま放置されている歌手(男が真人間になったら結婚するという約束をしているのだが、まったくばくちから足を洗わないので結婚できないし、男側も自分がまともに家庭を持つことに尻込みしているのでどうにもならない)のショーの舞台となる。

最初、透過スクリーンに大東宝の映画(シネスコサイズ)の始まりが映される。うまくできているので、透過スクリーンの向こうが本物の舞台となっているとは思わず、よくこんなこった映画を舞台のために撮影したなと驚いた。最後も同様に映画の終映が映される。

この開幕の音楽というか序曲が実に良い。音楽では1幕最後の一番の主人公の女たらしのばくち打ちのスカイと救世軍の軍曹のサラのデュエットが美しい。サラが酔っ払って暴れまくるところの元気いっぱい感が実にうまい。マドモアゼルモーツァルトの人だった。

でも、なんか自分でもよくわからないが、最後スカイに頼まれてたくさんのばくち打ちがしぶしぶながらも楽しそうに救世軍の集会に行くところが実に好きだ。

この作品の登場人物のようなろくでもないが愛すべきでもあるばくち打ちがたくさん出てくる作品を以前読んだなと思い出した。

ブロードウェイの天使 (新潮文庫)(デイモン・ラニアン)

(表題作は病気の捨て子の面倒をしぶしぶながら見る羽目になったばくち打ちが仲間のばくち打ちに助けられながら(もちろんブーブー文句を言われまくりながら)育てる物語で、このあたりの本当はいやでいやでしょうがないというそぶりを見せながらも実は真人間的な真情があってくそまじめに助け合ってしまうところのニュアンスがすごく似ている。だから表題の「天使」はもちろん薄幸の孤児のことなのだが「天使たち」にも通じる)

というか、そもそもラニアンがガイズ&ドールズの原作者だったのかと今Wikipediaを読んで知った。


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