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日々の破片

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2024-07-16

_ 横浜で巨大恐竜展

何しろ全長37mとか、想像するのも難しいのでこれは見ようと妻と相談して巨大恐竜展へ行ってきた。

最初は昨日行くかと思ったが妻が調べたらパシフィコ横浜脇の駐車場が満車だったので、そんなこともあろうかと休暇を取っていた今日行ったのだった。途中、鶴見のあたりで猛烈な土砂降りになって傘を持たずに来たが大丈夫かな? と不安にならないでもないが、脇の駐車場が空なのを確認してあるから多分問題ないだろうと気を取り直した。

で地下に停めて、R出口から上に出ると脇に突き出たコンコースが屋根になっているので全然濡れずに会場に入れた。

入場料を払う段になって、平日は休日より安いことを知って(分散対策なのだろうが)なんか得した気分となった。

入るといきなりでっかなマンモスと名前は忘れた(というか名前はほぼすべて忘れた)でっかな肉食恐竜の骨(模型)があってでけぇなと感心する。次にシロナガスクジラの模型でこれまたでかい。大きいといろいろ生きていくのにお得だからというような説明がパネルにあったが、相当ダウトだ。

翼竜の骨見て、水上生活説とそれは間違い説で議論中の恐竜のロボット(水中説をとって泳いでいる姿らしいが、でかい)、トリケラトプス(知っている)の模型を眺めて、なんとなく流れはわかってきた。

いよいよお目当てのパタゴティタン・マヨルムの展示室なのだが、すぐに骨(復元模型)が出て来るわけではない。

パタゴニアで農夫が見つけた大腿骨が云々と説明があって、掘ったら6体分がまとめて出てきた。復元模型は元の恐竜の骨+一緒に見つけた恐竜の骨+想像で補った骨で作ったということが書いてある。説明パネルはそこで時間調整をできるように考えたのだろうが、ちょっと隠してあって(子供なら)楽しいかも知れない。この時、上を見上げなかったのは痛恨の一撃だったがしょうがない。

角を曲がるとまだ骨はなく、ビデオゲームっぽく100個の卵が最終的に6~8頭に減る生存競争(孵化、捕食者から隠れる、食事、災害を避けるなどなど)のタッチパネル展示が数か所ある。一か所説明とパネルの表示が食い違っているところがあったが、なかなかおもしろい(が、タッチと実際の動作が異なるような、よくわからん展示でもある)。

ティタノサウルスという種類らしいが、昔々恐竜王子が乗っていたこのタイプには別の名前がついていたような気がする。ちょっとティラノザウルレックスと名前が似ていて紛らわしい。

そしていよいよドーンと出てきた。ここまでで生前の姿は大体見当がつくように展示が構成されているので、骨を見上げていると肉が付いている状態を想像できるし、そうなるとそのあまりのでかさに(頭から尻尾まで歩くと30mを超えるわけだから)思いがけないことに畏怖の念というのを抱いてしまった。でかさは感動につながるものなのだな。

後ろ足には爪があり、前足は丸太状という良くわからない足をしている(なんか11匹の猫と恐竜の絵を思い出した)。

11ぴきのねこどろんこ(馬場 のぼる)

でかいから逃げる速度も速いから火山の噴火からも逃げられるというような説明が書いてあるが、そんなにしょっちゅう火山が噴火するわけないだろうと思わないでもない(が、その時代はそういうものなのか?)。

それにしてもでかい。尻尾の先は展示室をはみ出して隣の部屋へ突き出している。せっかくおもしろい構成にしてあるのに、頭上の尻尾に気づかなかったのは悲しい。

残りの展示ではロボットが吠えまくっているので子供が恐怖のあまり泣き叫んでいる。平日(とはいえ子供は夏休みだと思うが)なのでそれほど人出はないのだが、それでもそれなりにいることはいて、僕は気付かなかったが妻によると似たような中老年二人組も結構いたらしい。

ロボットで1か所、木を倒すと葉っぱを食べに首を伸ばすのがいて、どこにもそんなことは書いてないから音声ガイドだけで説明しているのだろうか?

妻が見ていたらいきなり子供が来て木を押したら首がぬっと伸びてきてびっくりしたとか言って、見せてくれた。なかなかおもしろい。

肩甲骨の展示がありでかい。が、どうも見たような形だなと思ったら、鯛の中の鯛の骨みたいだ(あとで調べたら、こちらも肩甲骨らしい)。肩というと人間を想像してしまうが、前腕の接合部分をガードするための骨なのかなぁ。


2024-07-07

_ デカローグ 9, 10, 7, 8

新国立劇場でデカローグの9, 10, 7, 8。

9はまたまた浮気の話の艶笑譚。浮気相手の大学生が実にうまい。特にタイミング勝負も良いところの夫妻の母親のアパートに再訪するところは見事で死ぬほど笑った。スキーへ行くところの夫とのすれ違いっぷりも良い。最後は紆余曲折あっても仲直りっぽくて悪くない。

10は物語としては抜群におもしろい。いきなりステージ(アパートではない)で殺せと盗めを連呼するパンクバンドのギグで始まる。歌手が弟でまじめな会社員か役人っぽい兄と待ち合わせて死んだ叔父さんのアパートへ行く。と、他のコンパートメントとは異なり厳重に鍵があり、窓は釘で打ち付けてあり、警報ベルが完備していて鳴りまくると9の妻が何事かと見に来る。切手収集家というものがどういうものかが描かれる。詐欺師の切手売りですら、正しい切手の入手のために多段階取引をまじめにやって見せる(と思う)。

最後、兄弟は切手の収集を始める。最初は、体育、海豹、警察の記念切手で、ここの選択が兄弟同じというのは話作りのうまさだ。

10は死人も怪我人も出ないので、なかなか気分が良い。しかも兄弟の役者が実に良い雰囲気で仲良しだが疎遠、信用しあっているが信じ切ってもいないという関係を実にうまく演じていて観ていて楽しかった。

でかくて一見おっかないが、ご飯をくれるとほいほい尻尾を振ってついていって閉じ込められてしまって、まったく役に立たない犬も良い味だしていた。

7は(と、プログラム構成で順序が前後する)16歳で子供を産んだため、その子供を母親の子供として届けた(=自分は姉ということになる)母親が子供を母親から取り戻すために誘拐し、子供の父親の元に家出する話。父親が子供が自分の子供だと気づいてぬいぐるみで遊んでやったりするのが実に身につまされる。この父親は母子が河に身投げしたと勘違いして(橋の脚にくまのぬいぐるみが忘れられていたせいだ)永遠に河の中を寒いのにうろつくことになり可哀想が過ぎる。一方、母親が助けを求める駅員は実に良いやつで両親をだましてくれるのだが、子供は自分の母親を母親の母親だと完全に信じ切っているので悲劇的な最後の一方、他にどうにも選択の余地がないので母親は家族から解放される。

劇としては実におもしろい。それにしても実に父親が可哀想過ぎる。熊のぬいぐるみは忘れているし、おそらく死んだと思い込んでいるだろうから束の間の再会が単なるぬか喜びになっている。母親の役者が軽はずみで衝動的ないかにも頭が悪い女性を演じきっていてうまかった。その母親がまたいかにも口やかましくそういう子供の親にふさわしい気分の悪い母親を演じきっていて見ていて気分が悪くなるくらいにうまい。役者のうまさでは7が最高ではなかろうか。

8は10で死ぬおじさんが切手を集める話。ヒンデンブルク号の3枚綴り記念切手を入手してそのすばらしさを誰かに話したいのだが、回りに話がわかる人間がいない(10だと、切手協会の会長と、借金させてくれる詐欺師と切手商はいるのだが、友人とまではいかなそうだ)ので、近所のおばさんを捕まえては話す。このおばさんが良い人でまったく興味がないのに話し相手となる。実はこのおばさんは大学教授で、過去、カソリックの入信届のための助けを求めに来たユダヤ人の少女を追い出したことがある。実際は入信のために会うべき夫妻にスパイ容疑があるため、へたに連れて行くと一網打尽となる可能性があるための苦渋の選択なのだった。しかもその事情を話すことは、スパイだと気づいていることを周知させることとなり、それも組織防衛の観点からは無理があり、結局、冷たく突き放すしかなかったわけだ。そのことは棘となって残っている。そこにニューヨークから彼女の著者の翻訳者でもある女性が訪れる。実はその女性こそがかって追い出したユダヤ人の少女だったのであった。彼女は嘘をカソリック信仰に関するものだと考えていたのだが、実際には組織防衛のためのものだったというように重層的に組まれている。

と、内容が凝っているうえに、かって助けを求めにいったアパートがスラム化した町にあるために危険地域となっていたり、授業風景で2の話が出たりと盛りだくさんで上演順としては最後になるのにふさわしいかも知れない。が、おそろしいことにたかだか1週間で、結末(当然二人の和解だと思うのだが)を完全に忘れている。


2024-07-06

_ 瞳を閉じての答え合わせ

エリセの「瞳を閉じて」を観ていて「トマトが熟れているよ」に違和感を覚えた。主人公が自宅に戻ると隣家の住人が主人公の畑について教えてくれるところだ。主人公は翌日畑に行ってトマトを収穫する。のだが、下のほうの1つ以外すべてのトマトが青いのだ。いくら異国(スペイン)とは言え、青いトマトに「熟れている」はないだろう(事実、その後に主人公は赤いトマトを隣人たちと食べる)。

というのとは全く関係なく、カゴメの株主プレゼントに当選してミニトマトの苗木が当たった。オレンジのトマトと赤いトマトだ。

妻が雨の日もかかさずに水をやって(まるで遠藤周作の間抜けエピソードのようだが、カゴメのトマト水やりアプリみたいなのを妻は使っていて、雨でもそれなりに水をやることになっている)育てて、収穫期に入った。

が、2日に1粒づつくらい出て来る。なんでだ? と思ってトマトを観に行ってすべてが判明した。

トマトはたくさん実をつけるが、熟度はてんでばらばらだったのだ。なんとなく紅葉や柿とか知っている植物は色が変わるとなると一斉に変わるのに、トマトは徹底した個人主義で熟すのだった。なるほど、瞳を閉じてでほとんど青いのもそういう訳だったのか。むしろ正しい畑の姿だったのだな。(出荷が小刻みに続けられるのでもしかして良い野菜なのだろうか?)

(奥のオレンジ色のは1つだけ、手前の赤いのは2個は完熟、2個は中途、残りは青い。瞳を閉じても下のほうのを取っていたから、どうも下から上に熟していくもののようだ)


2024-06-27

_ 漸進的前進

先日、眼鏡をかけていて、なぜおれはコンタクトレンズを使うようになったのか? と疑問になった。

全視野がまともに見えるというメリットは大きいが、そもそも眼鏡を使っていたのだから、最初からそれを希望したわけはないだろう(むしろコンタクトにして、おお世の中はなんと広いのかと感動を覚えた記憶があるから、それは先ではない)。とすれば、何かトリガーがあったはずだがそれが思い出せない。

と考えていたわけだが、結論は出ない。どうも高校3年あたりだなという記憶が出てきたが、それにしても謎だ。

ということとは別に妻に誘われてアマプラで十二人の怒れる男を観た。なんか、名前は知っていたが観たことなかったから観たら、なるほど語り継がれているだけあって名作ですな、と言う。おれも観たことないということで観ることになったのだった。

おもしろい。シドニールメットって「社会派」というレッテルがついているのでひどくつまらなそうだと敬遠していたのだが、少なくともこの作品は無茶苦茶おもしろい。

密室で十二人のおっさん(女性がいないのは時代性なのか、それとも未だにそうなのか(さすがにそれはないだろうと願いたい)はわからん)が陪審員として招集されて青年の尊属殺人(アメリカも少なくとも1950年代は別格の殺人扱いらしいことは伺える)に有罪か無罪かを決めることになる。有罪なら即刻死刑だ。

基本、みんなさっさと帰りたいのだが、ヘンリーフォンダが疑問を口にする。どんどん疑問が大きくなってくる。一人二人と、単純に有罪と決するのは無茶だなと考えを変えていく。(最後まで有罪を主張するおっさんは、家族関係のもやもやを被疑者にぶつけているだけということがわかるので、おそらくこちらのドラマで観る人もいるだろう)

徹底的な合理主義者の眼鏡が、「合理的に説明できる」(ので、有罪と主張していた)に続けて「無罪だ」と言うところが実に良い(もっとも実際には犯人の可能性もあるので、ここでの「無罪」は疑わしくない、という意味なわけだが)。

十二人の怒れる男(ヘンリー・フォンダ)

その理由として眼鏡の跡が鼻の脇にあるという点が挙げられていて、冒頭の疑問に対する答えが出た。

夏になって、耳の付け根が眼鏡の重さに耐えられなくなって炎症を起こしたからだ。(そうそう鼻の脇に跡がついたもんだというのも思い出した)

少なくとも40年以上前、まともな矯正用の眼鏡はガラスレンズだった。近視用は度数が上がるとそれに連れて厚みを増す。最後のほうでかけていた眼鏡はフレームから前後1cm近く(は大げさとは思うが)はみ出していた。プラスチックは軽くできるがすぐ傷がつくしまったくお勧めしないと眼鏡屋に言われたのも覚えている。だからガラス一択だったわけだが、おそらくガラスの場合、屈折率を細かく変化させることは難しいのではないか?

遠近両用メガネのレンズは遠視用の場所は削り取られたように同じレンズの中に異なる円が作られていたのを見た覚えがある。

それから数十年たって、プラスチックで自由自在に屈折率を変えられるようになったのだろう。

眼鏡の一つは三種類(遠、普通、近)の多段レンズだが見た目そんな仕掛けがあるとはまったくわからんし、そもそも全然薄い。

ただでさえ軽いプラスチックで、屈折率をある程度自由に設定できるのであれば、耳の付け根に炎症を起こさせたり、鼻の脇に跡がついたり(十二人の怒れる男)するような重いレンズである必要がない。

世の中良くなるものだなぁと眼鏡を見ながら思うのだった。

_ メトの青髭公の城

サントリーホールへ、メトオーケストラ+ヤニク・ネゼセガンとガランチャとヴァンホーンの青髭公の城を観に行くという気持ちだったが(なんといってもバルトークとガランチャが好きだしセガンも好きなのだった)、実際に観ると第一部のオランダ人序曲とペレアスとメリザンド組曲(ラインスドルフ版)も圧倒的で、楽しめた。

あまりに青髭公の城に気を取られていたせいで(そもそもどれだけ好きかと言えば、ショルティのLDから、ブーレーズの新旧2枚、ヤーノシュ・フェレンチク版(LPからCDに切り替わった当初、ブーレーズ版がCD化されていなかったので買ったのだが、意外と良いもの)と手元に残っているのだけで4種類はある(ケルテス盤もあったようなそもそも無かったような)くらいだ。

が、よくよく聴いていれば、19世紀末から20世紀初めのオペラのオーケストレーション技法という側面からの一貫性を持たせたプログラムだったのだな。

というよりも、まずオーケストラの音のバランスに驚いた。

上手前列のほうにいたので第2バイオリン(驚いたことに第1と第2を向い合せる配置だったのだが、メトってそうなのか、それともこの楽曲構成だからこうしたのかわからん)の音しか聴こえないのではないかと思ったら、とんでもなくバランスが良い(もちろんホールの良さというのも大きいだろう)。

とにかくオランダ人のタンタタタタターンが繰り返されていきなりドーンと来るところの迫力でガツンとやられた。

セガンはめりはりの付け方が抜群だが、振りが(指揮棒を持っているのだが)音を引き出すのがうまいのだろう。千年王国冒頭のファウスト博士が大地の精霊を呼び出すところみたいだ(ファウスト博士のビジュアルは小澤征爾みたいだが、関係なかった)。

セガンはどんな服を着て来るのかと思ったら、ラメでキラキラして歩くと靴底が赤いのが印象的な靴が目立つが、全体には黒い詰襟っぽいおとなしい服だった。

聴いていると時々頭が揃っていなかったりもするのだが、とにかく迫力ある音作りというのだろう。それでいて木管がきれいなので雑な印象は全然ない。ペレアスとメリザンドの玄妙さとか、こんな良い曲だったのかと再発見の喜びもある。(長さ的には、オランダ人と組曲ではなくアッシャー家の崩壊というプログラムもありだろう)

ドビュッシーは実に良いなぁ(思い出したが、最初にクラシック音楽を真剣に聴いたのは、ドビュッシーの海で、あまりにおもしろかったのでクラシック音楽を聴くようになったのだった)。

青髭公の城は最初の語り(場内アナウンスを利用しているのかな?)からまじめにある。

第5の扉が開き、広大な領地が立ち現れるところ(オーケストラが実に荘重に轟く)でのガランチャのアーアーは凄かった。それにしてもこれだけのためにパイプオルガンを響かせたのかなぁ。というよりも、ホールにパイプオルガンがあるから青髭公の城を選んだのかもしれない。

城の溜息が実に大きな音で鳴るのだが、どういう楽器を使っているのか(基本、第2バイオリンと上手側だったのでガランチャと辛うじてビオラと後ろのキーボードしか見えない(キーボード奏者が見えないのはちょっと不思議)。幕間に見たハープが赤かったり、妙な管楽器が赤いのが気になった。セガンの靴底といい、赤に何か意味を持たせているのだろうか。(オーケストラを見ていて気付いたが、驚くほどビオラを使う(逆にバイオリンを使わない)曲なのだな)

それにしても物凄いものを観られた。


2024-06-22

_ グレゴリアンの蝶々夫人

東劇のメトライブビューイングで蝶々夫人。蝶々さんはグレゴリアンなので当然のように観に行く(それでなくともプッチーニは観るのだ)。

素晴らしい。

これまで、ある晴れた日には、ついに狂ったなと思いながら聴いていたのだが、全然違う。

グレゴリアンが役者=歌手と言われる理由も良くわかった。

どう観ていても、ピンカートンが戻ってくることを信じ切っている(物語上、シャープレスが感じている通りの)子供(14歳が3年後だから17歳か18歳だろう)にしか見えない。帰ってくることを確信して、ある晴れた日を歌っているのだから、(そしてピンカートンにそんな気持ちは一切無いことをこちらは知りぬいているだけに)こんなに悲劇的な歌は無い。これまで聴いたどのある晴れた日よりも心を揺さぶられた。驚いた。

演劇的なオペラとして(演出ともども)完全に出来上がっているのだった。

(スズキが吾郎を殴るところの演出の細かさには驚いた)

惜しむらくは(その一方で、水平横並びに結婚式の参列者が登場するところの効果は抜群なので痛しかゆし)花の家に続く坂道を舞台最奥に存在することにしているので、坊主のチョーチョーサーン!という怒声があまりに奥床しく聴こえる点で、ここはたとえば新国立劇場の粟津演出のように舞台の前面のほうから豪快に怒鳴って登場するほうが良いように思う(というか、粟津演出を見慣れ過ぎているだけかも)。

衣装を担当している中国の人(子供は幕間に、色遣いが韓国風と評していたが、中国風だったらしい、牡丹とか)が意図を話しているのを聞くとそれはそれでおもしろかった。確かに全然和風ではないのだが、アメリカで最初に成功した中国人デザイナーとしてのアイデンティティと、西洋人が考える蝶々夫人の日本イメージ(ということは単なるオリエンタル洋式)をミックスした結果の作品なのだった(ご丁寧に、「日本人のジャーナリストから全然和風ではないと言われたけど、だってファンタジーじゃん」とまで説明していた)。

パルンボが退任とかで、ゲルブから記念品を授与されているところを幕間にやっていた(演じていたのか)が、蝶々夫人にちなんで(ピンカートンが興味を持つと蝶々夫人が中身と父親不在の理由を語ることになる)漆塗りの黒い箱を渡した。

まさか、将軍ゲルブ拝領の懐刀ではなかろうなと思わせて、祖先の二体(これもなんか和風ではなく、和風なら位牌あたりにするところだ)が出てきてちょっとおもしろい。

ピンカートンはロンディーネに引き続きテテルマンで、これまた良いピンカートン。花粉症からは完全に抜け出したようだ(花盛りの家の前でさらばを歌うのに)。というか、つばめのときは田舎から出てきた好青年に対してこちらでは現地妻大好きなクソ男と、全然違う役柄を全然違う人間として演じていて、この人も良い役者だった。


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