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日々の破片

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2020-08-06

_ 水煮牛肉

今は無くなってしまったが、蓮根荘という箪笥町の近くの店に家族で行っていろいろ食べてた。

ある日、メニューに水煮牛肉というのがあるのに気づいて、はて牛肉を水煮とは、中華風のしゃぶしゃぶなのだろうかと注文した。

そしたらとてつもなく辛い料理だし、油の液体だし、びっくりした。味は良いからおれは食ったが、子供はこんな辛いの好きではないといってほとんど食べなかったような記憶がある。

さて、いろいろとインフラに東急を使っているせいでFinoという雑誌が毎月送られてくるのだが、富裕層向けなのでほとんど役に立つ情報を見たことがない。以前は、沿線散歩みたいな記事があったので、それでもそれなりにおもしろかったのだが(鎌倉時代の遺跡とか古墳とかが意外な場所にあったりして楽しい)最近はそれすらないのだが、8月号は違った。

唐突に四川料理の作り方の特集が出ていて、これがなかなかおもしろい。もっとも、唐辛子のヨーグルト漬けのようなまったく買う気が起きない調味料を使いまくるので、役に立つ立たないでいけば役には立たない。

しかし、その中に水煮牛肉があって、書いている通りに作るには、なんども中身をパンから出したり入れたり、油まみれのを刻んだりと、とてもではないがやってられないし、そもそも豆板醤も豆鼓も無いしこの料理のために買う気も無いが、換骨奪胎すれば、それなりに作れそうだと踏んだ。

ひとえに一種の勘違いではあるが、以前にS&Bの四川風辣油を買ってしまって、こいつの花椒をうまく使いたいというのもないわけでもない。

S&B 四川風ラー油 31g(-)

で、作り方を読む限り、重要なのは、トマトと香味油(といっても香料を胡麻油で炒めれば良いので生姜と長葱と胡麻油があればOKだ)、水煮するための中華風スープがあれば良いように見える。あとはバリエーションに過ぎない。幸い中華風スープの素というか、粉末調味料があるので、それを使えば中華風スープもできなくはない。

というわけで、やってみた。

まず牛肉の適当なやつを買う。Finoではしゃぶしゃぶ用と書いてあるが、安い肩やらバラやらのスライスのパッケージで十分だろう。北海道の牛のくず肉を100g 290円くらいでY'sマートが200gにパッケージして売っていたのでそれを買った。

野菜はレタスと書いてあったが、面倒なので青梗菜にした(別の日にサンドウィッチ用に買ったロメインレタスがしなびてきたので、それでも作ったが、確かにレタスはありだな)。

まず、牛肉に塩コショウと酒(Finoでは紹興酒となっているが料理用の日本酒で良いだろう)を適当に振って、片栗粉はないのでジャガイモ粉だと思うがを適当に100ccくらいに溶かしたのをかけてしばらく放置(面倒なので買ったパッケージのトレイをそのまま使う)。

次にフライパン(こないだY'sで安売りで買ったメイヤーのやつ)に胡麻油を適当に入れて熱してから、刻んだ生姜と長葱と、鷹の爪を小口切りにしたのがあったのでそいつを入れて、ネギがびたびたになるまで炒める。そこに青梗菜を入れて小さくなるまで炒める。小さくなったところでトマトをぐしゃっと握りつぶして入れる。水気がそれなりに飛んだところで、150cc(なぜかこれだけは計って作ったのは、中華スープの素をうまく溶かさないと味が濃すぎると修正がきかないからだ)の中華スープを加えてひと煮たち。皿に青梗菜とトマトのでかい塊を引き上げてから、牛肉を入れて色が変わるまで煮る。

そこに四川風辣油をがばがばぶち込む(ということができないように、ゴムポンプを押して出す仕組みになっているので10押しくらい入れる)。出来上がり。好みによって酢を入れるのだが、あまり油っぽくないので酢はオプションだな(油っぽいと酢は必須になるけど)。

・香味油を作っている時点で四川風辣油をだばだば入れるのもありというか、次はそうしよう。

全然、水煮牛肉ではないが(油っぽくないし、大して辛くもない)、まあそれなりに美味しいのでOK。


2020-08-05

_ 大井町のイトーヨーカドー

CATSを観に大井町に行って、早く着いたのでイトーヨーカドーの31でアイスクリームを食ったが、それにしても今となっては古臭い味だなぁと思う。

それはそれとして、店の脇に客からの質問とそれに対する店からの回答の掲示板があって、興味深く読んでいて3つを除いて気分が悪くなる。

3つのうち1つは、レジでいちいちヨーカドーアプリはお持ちか? と聞かれるが意味がさっぱりわからない。あればお得なら欲しいがどこに置いてあるのか? という問い合わせで、これはわかる。回答も、スマホをお持ちならサービスカウンターに来てもらえれば入れるよ、とあって、まあそんなものだろう。

1つは、服屋を増やせというぶっきらぼうなやつで、回答も、無理、というあっさりしたもの。

最後の1つは、KFCとリサイクルショップが欲しいというやつで、回答はいろいろ計画があって今の状態なんだけど検討するよというもの。質問に合わせて回答の丁寧さが異なるのがすごくおもしろい。

残りはすべて、店員に対する不平不満で、幾つかはあーそれは本当だったら(そしていかにもありそうだから)不快だよねー、なのだが、残りはすべて難癖のレベルだ。私服がどうしたとか、座っているのがどうしたとか、くそむしレベルの難癖に気分が本気で悪くなる。

子供が、良く引っ越し先を探すときに、~を見れば住みたいかどうかわかるという記事とかあるけど、駅前スーパーのお問い合わせ掲示板も使えそうだねーと言い出して、さらに、苦情しか無いっておかしかないか? 少なくとも幾つか感謝系といつもありがとうございます回答があるはずじゃん。もしそういう投書が無いのなら、文句垂れしか住んでない良い街は楽しい楽しいブータレブーの町だし、もしそういう投書もあるのに掲示していないのならこの店の店長は、読んで不快になるようなものにしか目配りしていない間抜けで、いずれにしてもろくなものではないと高説をたまわりまくる。

結構説得力を感じたので、なるほど、おれは大井町には住まないな、と納得してしまった。

_ CATSを観る(2度目)

前回観たのは9年前(読み返すと民主党政権時代のようだ)の横浜だが、ときどき思い出すことがあるし、というよりもアラジンを観ていてなんかCATSのほうが(何かが圧倒的に違うせいで)おもしろかったのはなぜだろう? と不思議だったので大井町に観に行った。

で、一言で書けば、キャッツはアラジンとは異なり、役者の肉体の美しさが圧倒的だということだった。これはライオンキングにも通じるが、とにかく劇団四季の連中は驚くほど美しい。

ここでの美しさというのは、顔の美醜といったことではない。キャッツとライオンキングでは人間が無理矢理動物の動きを真似る(全然似ていないが、それは問題ではない)ことで生まれる、筋肉や体の動きが、異様に美しく、しかもそれが強調される点にある。あるいは、人間の筋肉の動きと真似られる獣の動きの矛盾が舞台の上で演技として止揚されることによる肉体のダイナミズムと言えばより正確な表現だ。

特にキャッツの場合は、アラジンやライオンキングと違って、物語性に欠けるので、注視点は舞台の上での所作や歌に絞られる。そのため、とりわけ役者の肉体性に注目せざるを得ない。かくして、異様なまでにエロティック(ただしまったくセクシャルではない)なショーを観ることになる。

なんだろう? たとえば天井桟敷の若松武史を最初に舞台で観たときにある種の感動を覚えたのだが、それに近いものがある。

人間は美しい。

一言で言えばそういうことだ。その再発見の感動が本質と思う。

そういえば、本国でも本邦でも興行的に失敗したらしいが映画のキャッツも、おそらく作家は舞台の上での役者の動作の美しさを念頭に置いて作ったのだろうと、風評を聞いて考える。

キャッツ (字幕版)(ジェームズ・コーデン)

それを現代的な撮影技術を駆使して作れば、それはどう転んでもエロティックホラーショー(しかもセクシャルですらない)にしか成りようはないはずだ。

結果として、映画としての文脈からただただ外れたグロテスクな見世物で、劇場で生の肉体の動きを楽しむことに親しんでいなければ、一体なにを観れば良いのか理解しがたい妙なものにしかならないだろう。とすれば、映画観客や映画評論家から良い評価を得ることは不可能なはずだ。しかも、原作のミュージカルに忠実であらんとすれば、物語は存在しないのだから、ひたすら退屈なグロテスクな光景の連続としか読みようが無い。

というわけで、映画を観るのはおれには楽しみなのだが、不幸な作品となったのだろう。

ミュージカルという舞台芸術には間違いなくお約束がある。そもそも舞台作品はだいたいにおいてそうなのだが、文章芸術と異なり、人間は見逃し、聞き逃す。しかし時間は平等に過ぎる。

そのため、複雑な物語を舞台作品に練り込むのは至難だ。

不可能と言って良い。

特に、ミュージカル(源流となったオペラもそうだが)は、歌と音楽にも重要な役割があり、逆に台詞は説明の役回りが押し付けられ、それが多いと歌が減ることになり避けるべきとなる。

前回いつキャッツを観たのか調べるために検索したら、ロックオペラモザールを観たときの記録が出てきたが、レチタティーボ対無限旋律として作品のタイプを分析していておもしろかった。

この分類だとキャッツは無限旋律の極北としているが、むしろ端的に、モダンバレエといったほうが正しい。語られる内容はあまりにもどうでも良く、振り付けのための題材に過ぎないではないか。

だから、いずれにしても通常のミュージカルの物語は極めて単純になる。たとえば、「文化服装学院で青春を謳歌している女の子が、弁護士を目指す中央大学の学生に君は弁護士の妻にはふさわしくないよと振られてしまって、悔しくて中央大学を受験して法科の学生になる。そこで一生懸命に勉強して法学院の冴えない法律おたくの青年と恋に落ち、指導教官のパワハラ(TAに対する)セクハラ(本人に対する)と戦い、辣腕弁護士として独立する(キューティーブロンド、というかこのミュージカル好き)」とか「悪辣な貧困ビジネス経営者による孤児院での虐待に耐えかねて脱走した少女が犬と一緒にルーズベルトに直訴してニューディールを勝ち取る(アニー)」とか「オーディションをして俳優を選ぶ(コーラスライン)」とかのような3段論法のような物語か、またはアラジンやライオンキングのような既に観客が知っている物語を再現する、といったことになる。

Legally Blonde - The Musical Songbook: Vocal Line with Piano Accompaniment (English Edition)(-)

(キューティーブロンドというか金髪法律屋ってオリジナルがミュージカルではなくて、オリジナルが映画なのか? とすると上で少し筋が込み入っているのは、アラジンやライオンキング側の仲間だからなのかも知れない)

ところがキャッツには物語はない。

一応フレームワークとして、ジェリクル(なんだこれ?)の夜にゴミ捨て場に集まった猫たちが大騒ぎしていると、人間がうるせぇーと靴を投げる。がそれはそれとしてネズミやゴキブリを指導するおばさん猫、はぐれ者(というか中二病だろうと子供は言う)ラムタンタガー、コソ泥夫婦猫、列車猫(この歌抜群)、恐怖猫(犬がびびって逃げ出す)、劇場ネコ(大スターと共演したことがあり、当たり役はグロウルタイガーという海賊猫)などの有名猫を順に紹介しながら、ジェリクルキャット(姥捨て山に行く候補者っぽい)が誰に決まるかを待ちわびている。決めるのは長老猫だが、悪い猫マクヴィガーに長老が誘拐されてしまう。はぐれ猫のラムタンタガーが友人の魔術師猫ミストフォリーを連れてくる。ミストフォリーは人体隠しのマジックを行う(うまくいくかわからないので、本人後ろを向いてがくぶるしている)。無事、長老が出現する。そこに爪弾きにされている年おいた娼婦猫が歌を歌う。あまりに見事な歌なのでいつもは近寄ってはなりませんと止められている子猫が飛びついてしまうし、他の猫も皆、賛辞の嵐を送る。かくして娼婦猫が月へ送られることになる。おしまい。

というのはあるのだが、まったく内容がない。元はT.S.エリオットが猫って妙なんですよと、いろんな猫について書いた文章を繋ぎ合わせて曲をつけただけなのだから物語性というのは無いのだ。あるのは、冒頭誕生した子猫がうろうろするとか(何度か娼婦猫になつこうとして、いつも引き留められる)、ラムタンタガーが妙なタイミングで妙な道具を持ち出して怒られるとか、ゴキブリ軍団が掃除をする(魔法にかけられて?)とかのエピソードだ。

ただコアとして唯一強く印象付けられるのは、狆とテリアの東から来た犬と西の犬の縄張り争いと、シャム猫軍団とグロウルタイガー(西洋猫)という、2回、形を変えて語られる東西の縄張り争いで、一体これはなんだろう?

1920年、イギリスを舞台に、薄幸の美少女と中国から仏教伝道のために渡英したが阿片漬けになってしまった中国人青年の恋を描いた「散り行く花」という映画がつくられている(グリフィスなので制作はアメリカではある)。

T.S.エリオットがキャッツの元ネタを上梓したのは1930年代だが、1920年あたりのイギリスの状況というのは、そのての黄禍論後の東洋対西洋な感覚が濃厚にあったのかも知れない。キャッツでのジェリクルナイトはそんな1920年代のロンドンに違いない。

キャッツ (ちくま文庫)(T.S. エリオット)

開演前にゴミ捨て場を見回ると、TBSの天気予報の鳥がたくさんいるので、TBSがスポンサーについているのかなと思うが、だからといって2020年の東京が舞台というわけではないのだ。

という具合に、物語はなく、ひたすら猫に扮した人間が肉体美を強調する不可思議な舞台がキャッツなのだが、やはり好きだな。

劇団四季ミュージカル『キャッツ』メモリアルエディション(通常盤)(劇団四季)


2020-07-31

_ ジョニーは戦場へ行った

妻が図書館でジョニーは戦場へ行ったを借りてきたので一緒に観る。

戦場で爆弾(地雷と覚え違えていた)で手足と顔面を吹き飛ばされて芋虫状態で軍の病院に隔離された兵士の映画だ。作家はダルトントランボで、赤狩りで追放された作家の一人でもある。

なぜか忘れたが妻がジョニーは戦場へ行ったについて話たので、最後看護婦さんに殺してもらうんだよね? と言ったら、そうじゃないと書いてあったけどと言い返すので、はてまったく記憶にないぞと気づいたのだった。ベッドに寝たきりのを窒息させて殺すのは、よくよく考えたらベティ・ブルーだった。

確か、中学生の頃、名画座で観たのは間違いないのだが、驚くほど記憶になく、見返したら理由はわからないでもなかった。優れた脚本家ではあるのだろうが、必ずしも優れた映画作家ではないのだ。したがって、シーンに印象が無い。

始まるとクレジットの上に第一次世界大戦での出兵の様子がおそらく当時のニュース映像か何かを使って映される。ここでも記憶が間違っていたことを知り、ジョニーはベトナムへ行ったのだとばかり思っていたのだが、実際は欧州へ行ったのだった。したがって、当時のニュース映像からシームレスに物語が始まる。

本能的に急所を守るために体を折り曲げていたために助かったのだろうが、脳に損傷があるから実験用にしようと軍医が話す。しばらくして倉庫に隔離された負傷兵の物語が始まる。

基本は白黒の現在のモノローグ(最初はサクレクールあたりの病院で、1年以上経過した後も同じ病院のようだ。サクレクールという名前は仮に歴史的な事実だとしても意図的だろう)とカラーによる過去の回想と夢で、徐々に回想が減り夢が多くなる。思い出すことの残りが乏しくなることを示している可能性はある。

モノローグによって、抜糸のたびに、腕の切断を追体験し、脚の切断を追体験し、歯がないことを確認しようとして舌がないことを知り、ただ穴があることを自覚するところはモノローグの強さだ。ジョニーは見ること聞くことはできないが、人が入ってきたときの振動を感じることはできるので、それによって少しずつ事情を飲み込んでいく。

観ていてオルドリッチやロージーのような同時代人の赤仕草というか、何か別の意味を持つのだが、はっきりどころかほのめかしもせずに了解を求めるという作法が強い。オルドリッチやロージーはそれを無視しても問題ないほどのエンターテインメント性があるのだが、ダルトン・トランボにはそこまでの力量はないと感じる。しかし脚本、この場合は主として台詞回しということになるのだが、は抜群だ。

最初の回想では恋人、婚約者、妻か微妙ではある女性との最後の夜、その直前の女性の父親とのやり取り、そして出征時の駅での別れとなる。別れ際、二人は抱き合うのだが、女性側に促されて腕を回す。

父親の死に立ち会い、釣り竿について謝る。

子供時代、父親が釣り竿の手入れをしているのを眺めている。中国製の漆を塗る。おれの周りはすべて小さい。おれも家も畑もお前も、すべて小さく何一つ自慢にはならない。でもこの釣り竿だけは違うんだ。この釣り竿がおれの唯一の誇りだ。最後父親はジョニーを抱擁し、腕を回してくれと言うがジョニーは拒否する。

現実世界では医者の指示を守っている看護婦が薄暗い部屋でジョニーを看護しているところに婦長がやってきて、これはありえないと窓を開ける。ジョニーは額に熱を感じて嬉しくなる。

ジョニーは友人と父親の3人でキャンプへ行く。父親に友人が持ってこなかったので釣り竿を貸してくれと頼む。父親は目を見て、お前がおれのを使い、お前のを貸すのなら良いと言って貸してくれる。

カヌーで急流を進むと、あっと言って釣り竿が河へ落ちる。

父親に失くしたことを報告する。探し回ったけど見つからなかった(嘘かも知れないし、上のシーンの後に実際に探したのかも知れない)。

父親は、たかが釣り竿だ、と言って許す。

回想が次はパリで買った英語を話す娼婦(アメリカから流れてきたらしく子供はブルックリンの寄宿舎にいて、そのためにも稼ぐ必要がある)に進む。ジョニーは何もせずに眠ってしまう。

看護婦が変わり、ベッドをより窓際へ移す。

(この時点か、それとも婦長が窓を開けさせたときか既に記憶にないが、これによってジョニーは1日の経過を認識できるようになり1年以上が過ぎたことを把握できる。頭の中に表を作って消しこみ法で週、月、年を記録していく)

彼女は同情から涙を流す。その涙が胸に落ちたので不思議なものとしてジョニーは認識する。

ジョニーは爆弾にやられた日を回想する。司令官が前線に視察に来る。伍長に悪臭について尋ねる。ドイツ兵が有刺鉄線に引っかかって腐敗しているのだ。司令官は弔うように命令する。敵兵であっても死者には敬意を払うべきだ。

夜、伍長が死体の回収と埋葬を行う志願兵を求めるが、誰もやりたがらないことはわかっているので適当に指名する。ジョニーも選ばれる。敵兵を穴に埋めようとしたところでドイツ側の攻撃が始まる。ジョニーは塹壕へ逃げるが爆弾が落ちてくる。

後日、看護婦はバラを1輪コップに差す。もちろんジョニーには何が起きたかはわからない。このシーンでコップがアップになって切り替わる。

少なくとも、ジョニーは自分に好意的な看護婦が担当になったことを理解する。

一方、夢の世界では父親が見てきたサーカスの口上を真似することを思い出し、そのまま自分が見世物になることを考える。恋人は去っていく。このシーンでは色使い、砂、カーニバルの馬車というか移動式小屋といい、すさまじくステレオタイプなサーカスの幻影になるのだが、ステレオタイプの原型の1つなのかも知れない。

クリスマスの夜、看護婦が胸にMerry Christmasと書くのをジョニーは認識し、今日がクリスマスだとわかる。これで、日付がわかるようになったと喜ぶ。

夢の中で父親から頭を使えと教えられる。

頭を使ってモールス信号を送る。最初の医者が残したすべての運動は単なる痙攣だから鎮静剤を射てという指示によってやめさせられる。

しかしこの病院の司令官の視察時にはモールス信号だと気づいた看護婦か担当医によって通信兵が同行している。

意思の疎通が取れることが確認される。

最初の診断をくだした軍医は司令官によって退場させられる。

司令官はジョニーに何ができるかを尋ねる。それに対して、サーカスの見世物にしてくれ、さもなければ殺せ、と答える。

司令官はカーテンを閉めることを指示して去る。

看護婦は神に赦しを乞いてから気道へ空気を送る管を遮蔽する。ジョニーはそれに気づき感謝する。

そこに司令官が戻り、元に戻させる(この後の司令官の行動をどう読むかで物語はまったく異なるものに変わるだろう)。

ジョニーは取り残されてSOSを発し続ける。

ジョニーは戦場へ行った [DVD](ティモシー・ボトムズ)

出口なしの閉塞状況で終わっているように見えるがそうではないのではないか? と思った。司令官が看護婦に管のスイッチを戻させる(のではなく本人が戻したような)のに、高圧性もないし怒りもない。いずれにしても、赤仕草は異なる時代から読み解くのは簡単ではない。おそらく、最も素直に読めば、敵兵を埋葬するように指示したように、自らは手を下すことなく命令する司令官と重ねていてるのかも知れない。であれば、殺すことは悪であり、単に暗い部屋に生きたまま敬意をもって埋葬すると読むのが筋かも知れない。その場合、看護婦はジョニーに重なるのだろう。しかし状況は戦中ではないので異なる結末があるかも知れない。しかしベトナム戦争中ではある。意味は徹底的に多層化されている。

パラサイトのラストに通じるものがある。


2020-07-27

_ 猫の看病

最近立て続けに一緒に暮らしている猫が病気というか怪我というかをして特に一匹は厄介な状態なのでずっと付き合って看病したりしていたのだが、いろいろ発見があった。

・猫もスカンクのように臭腺を持つ

後ろから見たらお尻の穴の下に2箇所大きなハゲができていてなんだこれ? となって病院へ行く。

猫にもスカンクように臭腺があって(ただし攻撃には使わないらしい)、そこに膿が溜まって爆発したとのことで、そんなものがあることにまったく気づいていなくて驚いた。

・猫の舌は鮫肌山葵下ろし並みの強力さ

手を舐められたりしたことは普通にあるのでザラザラしているのは知っていたが、本気で舐めると鑢をかけたような恐ろしさ

・猫の皮膚は強靭

良く良く考えてみれば、撥でベンベン叩いても平気だから打楽器と弦楽器ハイブリッドの三味線に使われていた(今も使われているのかな? 四谷の三味線屋さんは廃業したような雰囲気だが)くらいだから当然なのだろうけど、猫の皮膚はとてつもなく強靭

・猫のおしっこの仕方は合理的

猫は(雌猫の場合。雄はわからないや)座っておしっこをするので、それで砂(要は浸透性がある素材)でやるのかとあらためて知った。

結果として氷山のように表面の一か所が湿って、その下に巨大な塊ができる(固まる系の猫砂を使っているので、まさにそういう感じになる)。元気になったら砂を上から掛けるようになったのでそこまではっきりはわからなくなってしまった。

常陸化工 トイレに流せる木製猫砂 6L×6個 (ケース販売)(-)

・猫のうんこは油性コーティング

前から不思議だったが、やはり油性コーティングされているのでうんこした後の肛門がすっきりしているのだなと再確認。

というか、人間も同じような仕組みだったら、トイレットペーパー屋さんは破滅だろうなぁ。

・猫は流体

筒状の伸縮自在布に手足の穴を開けたものでくるんでいるのだが(トイレの仕方が上述なのでそんなのでも問題なく排泄できるのには感心した)、気づくとするっと腕が穴から抜け出して首のところから出ている(要はもろ肌脱ぎ)とか、尻尾がなぜか後ろ脚用の穴から出ているとか謎状態になる。良く観察していたらもろ肌脱ぎになるのは、ベッドの上に飛び乗るときに起きることがわかって(意図的に脱いでいるわけではなさそう)、一体どう腕を動かしているのか不思議ではある。

筒に包まれたしろぼう


2020-07-23

_ マルクスのドイツ・イデオロギーを読む

読了したのは数週間前、購入したのは数ヶ月前だが、マルクスのドイツ・イデオロギーを再読したので記録。

前回は多分高校の頃に青木か岩波で読んだのだが、それから数10年、ほぼすべての哲学的諸概念をちょっとできるようになっているだけに、あれ? こんなにおもしろい本だったっけ? と実に楽しく読めた。もちろん、わざわざ再読したのは、今度の翻訳が良いという話をなにかで見たからだ。したがって、翻訳が良いという点もあるかも知れない。が、主な違いはスターリン主義のスティグマの有無らしく、でもそれは所詮細部だ。細部の比較検討は専門家に任せれば良いのでどうでも良い。とにかく、純粋におもしろかった。そして、自分でもちょっと驚いたが、マルクスの本気に感動した。

とにかく手稿なので、突然、TODOリストになったり、同じことを大事だと言わんばかりに繰り返したり(出版のあかつきには削除だな)、後で書くになっていたりするが、それもまた細部に過ぎない。

要は、まだ経済学という視点から人類の平等の実現を構想する前の若い(といっても27歳だが、哲学者としてはもちろん当時であっても若い)マルクスがエンゲルスの協力のもとに、当時の主流な左派哲学者群に対して、お前らは間違っていると断ずることが眼目の書がドイツ・イデオロギーなのだ。

完成させなかったのは、すでに哲学の領域で云々しても世界を変えることはできないから、より現実的に、缶詰がいかに構成されているかを考えたほうが良いと考えたからだろう。かくして、哲学者マルクスは、経済学者マルクスになり、第1インター内での組織者マルクス、過去の革命から知見を引きずり出す歴史学者マルクスと転身する。

というわけで、フォイエルバッハやブルーノ、おれも好き大正時代の人たちも好きだったシュティルナーを矢面にして、皮肉やあてこすり、嘲笑の的にしながら、どうやって世界を見るのか、そしてそれによっていかに世界を変えなければならないのかを書きまくる。

ほとんど統一原理ここにありといわんばかりの勢いなので、出てくる概念、用語、名詞にことごとく「諸」をつけるありさまだ。かくして世界の諸様相を巡る諸概念、つまりは諸個人における諸活動は……みたいな調子。

が、その気負いが、実に好感が持てる。本気で世界を変えるつもりだったのは間違いなく、水木しげるの悪魔くんに「釈迦、キリスト、マルクス、そして悪魔くん」と並列させられるのも無理はない。

ドイツ・イデオロギーでの論旨は明快である。すべての事象を解釈するには、それが経済活動と密接不可分だということをまず考える必要がある。要は唯物史観を持ち、世界が持つ問題を経済活動の矛盾点に焦点を合わせ解決する方法を考えることが必要であり、そうでなく、単に個人の考えだけで完結させるのであれば、それはまったく世界に対して意味がない、そういうことだ。

かくして、なぜか巻末に収録されている有名なフォイエルバッハのテーゼの最後の一文となる。

哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。しかし、肝要なのは、世界を変えることである。

新訳 ドイツ・イデオロギー (マルクス主義原典ライブラリー)(マルクス)


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