トップ 最新 追記

日々の破片

著作一覧

2024-02-03

_ 新国立劇場のエウギニ・オネーギン

シウリナがあまりに素晴らしかったので2回目。

さすがに3度目となると音楽の構造もきちんと見えてきて、あらためてチャイコフスキーの才能に舌を巻くと同時に、なぜ2幕の1場と2場の間に幕間を入れたのかもなんとなくわかった。

この曲は比較的ゆるやかに下降する序曲(弦に続いて溜息のように管が引き取る)のモチーフと、タチアーナの手紙の場面の中間に入りそのままあの人は何者?の絶唱につながる弦と木管の下降とそれに続く(多分弱音器をつけた)金管が抜群なモチーフ(むしろ以降の楽曲全体を支配するのはこちら)の2つが主要なのだが、2幕2場の序曲(場の始まりなので序曲というよりは単なる前奏というべきかな)が序曲を引き継いでいるから、2部構成に分割した場合の収まりが良いからだ。

序曲だけを考えると2幕1場は、1幕2場の手紙で出現したあの人は何者?のモチーフを1幕3場でタチアーナにとって何者かが明らかになり、2幕の序曲の冒頭からはっきりと提示されそれに続いて弦でパーティにふさわしく展開されるのでこちらで区切って、2つのモチーフの関連を示すほうが良いのかも知れないが、それだと2幕2場で実は最初の序曲がレンスキーの「未来はどうなる?」だという関連が埋もれてしまって今一つかも知れない。2幕1場はパーティー会場の人々の興味は最近越してきたオネーギンが何者か?ということにある(ワインをコップで飲む野蛮人らしい、という表現はおもしろい)のであの人は何者?のモチーフが使われるのは正しいし、実はあの人は何者? というのがオネーギンにとってはうんざりの対象だという点(実は哲学的に高尚な理屈でもなんでもなく、本当に何者でもない空疎な存在であり、それに対する自覚が無いわけではないからうんざりなのだ)にあるというのを受けて1部に収めるほうが座りが良い。

結局、大きな2つのモチーフは、未来はどうなる?とあの人は何者?で、まさに余計者の先駆者のエウギニ・オネーギンという作品にふさわしい音楽なのだった。

それにしても、オネーギンの手紙が実はタチアーナの手紙の文言をなぞったものだという点と、現実と折り合いをつけたタチアーナと折り合いをつけられないまま時間だけを浪費した夢見る夢子さんは実はオネーギンだったという幕切れはなんとも言い難い(そしてロシアのオネーギンは多分この後も、何者でもないまま、未来が見えないまま、年老いるのかなぁとなる。一方、ドイツのウェルテルはさっさと人生に終止符を打った)。

それにしても2幕1場の最後、決闘騒ぎが終わるとパーティの客たちが一斉にピローグ(ピロシキのでっかい版でロシアの誕生パーティといえばピローグって、ふと葬送のフリーレンの誕生日のでっかなハンバーグみたいだなと思った)に飛びついて貪り食う演出は強烈。


2024-02-10

_ 新国立劇場のドン・パスクワーレ

新国立劇場でドン・パスクワーレ。新国立では2回目。前回はがらがらでもったいないなぁと思ったが、今回はちゃんと入っていた。

ペルトゥージのドン・パスクワーレは普通に良い。ガテルの不遜な態度のエルネストはベルカントっぽく良い声で悪くない(あまり好きな音色ではないがそれは好みなのでしょうがない)。

特に素晴らしいのはマラテスタの上江隼人で飛び跳ねるおどけた演技も含めてマラテスタ。ダンディーニのときは声が小さいとか書いているが、やはりコロナ演出だったからか、今回はそういう不満も全然ない。とにかく演劇的な身振りがおもしろいので、実に良いマラテスタで楽しい。

で、ビーニのノリーナの声が素晴らしい。軽くて艶があってこのノリーナは好きだ。

指揮のバルサローナという人は交響的な構造をかっちり打ち出す人。意外なほど音楽の構造や音色設計がおもしろい(ドニゼッティは音色効果に貪欲で妙な楽器を使ったりするのが好きだというのを思い出した)曲だと初めて感じた。

全体に演出が過剰過ぎるくらいに歌手に演技を求める舞台なのだが、ドン・パスクワーレという物語が過剰なので(過剰さ余って平手打ちが飛び出す)合っているのだと思う。それにしても食卓のばかでかさと、それに並行する調理台のばかでかさが実におもしろい。料理人や給仕人が大声で無能の代表みたいにエルネストについて歌うところで、無能大将がうろついているのもおもしろい。

2幕冒頭のエルネストの自己憐憫の悲しい歌があまりに極端なので(むしろ、それまでドン・パスクワーレが、不遜な態度のまさにダニのようなエルネストを許していたことが不可思議だ。というあたりに設定の背景として遺産だか事業だかを引き継ぐ跡取りを作るための存在価値というのが重要なのだろうか)、全然異なるのだがリゴレット2幕冒頭のマントヴァ公のジルダを心配する心が痛む歌みたいでおもしろい。

それにしても、ドン・パスクワーレは金を使わずに貯めるだけの資本主義へのフリーライダー、エルネストは自分で稼がない伯父へのフリーライダー、ノリーナは×一とはいえ死に別れとかではなさそうで夫の収入へフリーライドする気満々の上昇婚志向女(それにしても、この演出というか字幕ではマラテスタとの関係が実の姉妹(妹は修道院)ではなく、単なる知り合いのようだが、実際のところ本来の設定はどっちなんだろう?)、マラテスタだけは医者の仕事もまじめにやっていそうな半面、結婚詐欺の片棒を楽しみながら担ぎまくる享楽主義者で唯一のまともな社会人のようだが太客フリーライダーというすべてが異常な話だなぁとは思った。


2024-02-11

_ 瞳をとじて

友人から目を閉じてに行こうと誘われた。

はて、Les yeux fermésがリバイバル上映されたのか? と思ったが久しぶりにテリーライリーを聴くのも悪くはないと二つ返事でOKした。

が、映画館の前売り買おうとしたらビクトルエリセの瞳をとじてだった。妻(昨年から一緒に行こうぜと言っていた)に行くか? と言ったらその日はパスと言われたのでとりあえず友人と観ることにした。

いきなりがさついたちょっと16mmっぽい映画が始まる。ユダヤ人のレヴィと呼ばれる老人、中国人の召使が住むLe Roi Tristeというデカメロンから取ったらしい館を男が訪れる。庭には両面の胸像。

チェスの駒。

扇を持ったチャイナドレスの女性の写真。

上海に探しに行ってくれ。

オーソン・ウェルズの上海から来た女を考える。

と、実はこれは主演男優の失踪のために中断された映画の断片だということが示される。不滅の物語みたいだ。

と、現代のスペインに舞台は変わり、映像は普通に映画となる。

ひげの初老の男がテレビ局だか制作会社だかに現われる。オーディションか? と受付に聞かれる。プロデューサー(だと思うが、番組ではキャスターも務めている)の名前を出して面会の予約があると答える。

失踪した男優についてのドキュメンタリーに、その映画の監督として出演するための打ち合わせだったのだ。

その作品の関係者は皆死んだ、と答える。俳優は手先が器用だっという話。

が、どうやら唯一の生き残りらしい編集者の元を訪れる。編集者は大量のセルフィルムと映写機に囲まれて暮らしている。2リール残っている。

壁のポスターが2枚。右側は赤と黄色の派手なもの。

ポスターを変えたのか? ニコラスレイのフィルムが手に入った。大傑作だ。

(ポスターはちらっと出ただけなのでまったくわからないが、黄色と赤の派手なのだとすると、テクニカラーの大砂塵だろうか? と思うのは、後知恵で、この後西部劇の歌が出てくるからだ)

プロデューサーに頼まれて俳優の娘に会いにトレドの美術館へ行く。

美術館の従業員食堂(だと思う)で会話。

古本屋で自分の処女作(廃墟)を見つける。表紙の見返しに献辞がある。

送り先の女性に電話をかけるが使われていない。

女性の兄弟を通じて連絡を取る。

私が売ったわけではないのよ。引っ越すときに置いてきたのが巡り巡って手元に来たのね。

ピアノを弾いて歌う。

男は海辺の町に来る。そこに住んでいるのだ。

リッキーと呼ぶと犬が大喜びでやって来る。

隣家の男と短い会話。犬の面倒を見てくれていたらしい。トマトが熟れているよ。

家の裏の菜園。トマトは青いが手前に一つだけ赤く熟したのがある。

夜、隣家の夫婦、大足と呼ばれる男(あとで釣り船のオーナーらしいとわかる)の4人で飯を食う。

男はマイクと呼ばれている。スペイン名のミゲルは英語でマイクだからだ。

ギターを取って歌い始める。途中で隣家の男と掛け合いになる。

just my rifle, my pony and me

この曲は良く知っている。赤い河だな。と思うが赤い河に歌うシーンは無いから不思議に思う。

あとで調べるとリオブラボー(2番で掛け合いになるので同じだ)の挿入歌(主題歌は皆殺しの歌とした場合)だった。が、曲は赤い河で出てきたとあるので、記憶はそれほど間違ってはいなかった。というか、リオブラボーのそのシーンは完全に忘れていた。

凄まじく長いシーンなのだが、すごく良い映画だ。

家主たちが売却を決めたらしい。次に住む家を探さなければ。車を直す必要がある。

海で釣り。細長い小さな魚が網の中に10匹くらい。

その後、テレビを見た女性から老人ホームで暮らしている記憶喪失の老人が俳優ではないかと知らされたプロデューサーから連絡が来る。手先が器用なので雑用をしてもらっている。

男はバスに乗って老人ホームがある町へ行く。

犬が別れを惜しんで家を囲む柵の向こうに立ち尽くす。

修道女から男の名前がわからないのでタンゴ歌手の名前で呼んでいると言われる。

一緒に漆喰を塗ったり作業をする。持ち物に映画の小道具の上海の女性の写真と小道具のチェスの王(悲しくはないが悲しみの王)が出てくる。俳優その人だと確信する。

娘が呼ばれてくる。電気が点いているからまだ起きている。小屋に入る。真っ暗だ。暗がりの中手探りで寝室(なのかなぁ)のドアを開ける。全然起きていないで眠っている。

ソイアナとここで自己引用。

どうもわからないから帰る。

なぜ、彼は写真と駒を大事に持っているのか? 映画だ。

男は廃業した映画館のオーナーと話をつけ、編集者に残存したフィルムを持って来いと連絡し、娘にまだ留まるよう告げる。さらにプロデューサーも呼ぶ。

映写室。おれのやつより良い映写機だ。

男は修道尼僧、プロデューサー、娘、俳優に座るべき位置を指定する。

映画が始まる。

男が娘を連れてルルワトリステに戻る。

レヴィはほとんど死んでいる。連れられてきた女性の顔を拭う。偽物? それとも中国風厚化粧を落とすため?

偉く長い映画だと思ったが、観終わってしまうとあっという間だった。映画を堪能したという余韻が強く残る。


2003|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|

ジェズイットを見習え