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妻が、アメリカンニューシネマの傑作らしいけど観たことも聞いたこともないというし、おれも全然知らなかったので「泳ぐひと」を100円払って一緒に観た。
自分探しのロードムービー(ただし徒歩+泳ぎ)という枠組みからは確かにアメリカンニューシネマだった。
が、それ以上にカルト作品としか言い様がない。
時制は飛びまくるし(一応、徐々に現在に近づいているようには見えるが、そうは言っても入れ子になりまくる)会話に刻々変わる状況が織り込まれる(途中の映像にも無いわけではない)が、わかりやすくはない(というか、わからん点も結構ある)。
何が起きる何を言いだすかまったく予測がつかないので、目が離せないおもしろさだった(とはいえ、20歳の売り出し女優とのシーンは長過ぎてうんざりしたけど)。
物語は、友人宅のプールサイドで世間話をしているバートランカスターがふと思い立って、友人の家から家がある丘の上まで順にプールがある家(当然知人の家ということになる)を順にプールを泳ぎながら帰るという冒険?に挑戦するところから始まる。
最初は順調なのだが、段々と歓迎されない雰囲気が出て来る。若い頃の友人の家では母親が息子が苦しんでいるときには足も向けなかったくせに(どうも死んだらしい)と怒る。娘のベビーシッターをしていた女性の家まで来ると、明らかに物語の位相がずれてくる。それまで若々しい肉体を誇っていたバートランカスターの頭の分け目を大写しにして、ハゲかけていることをこれでもかと映し出す。調子にのって足まで挫いてしまう。
しかも話が、かってベビーシッターとして雇っていた頃に、彼に恋していた女性という最初の設定が、現在ベビーシッターをしている少女に変化し(彼の娘も子供として語られる)、最後には年老いて魅力を失った自分に幻滅して逃げ出す女性に変わる。
道は落ち葉で埋まっていて、彼はキノコを踏む。秋になった。
さらに、彼が失業しているという話をしている家、彼の妻が家財道具を処分しているという家、そして高速道路をどたばたと横断しようとしてはできないという壁にぶつかる。どうにか高速道路を超えて市民プールに来ると、彼に金を貸しているがそれまでのいろいろないきさつから強く言えない人やガツンと言ってやりなさいよのおばさんとかまで出て来る。混みあった市民プールを無理やり泳ぐ姿は物悲しい。
雨が降り出し寒さに震えながら家につくと、庭は荒れ果てている。冒頭で娘たちが楽しくテニスをしているはずのテニスコートのネットは破れているし、まったく人気はない。その娘たちは市民プールでの話では警察の厄介になっているらしいし、実際玄関を叩いても誰も出て来ない。破れたガラス窓からカメラが室内に入り込むとガラクタが積み上げてある。まるでそれを踏み台にして首を吊ったか、その中に拳銃で頭を撃って倒れこんだかのように見える。カメラが戸外に戻ると、彼はまだ玄関を叩いている。
ちょっとおれの知っているアメリカンニューシネマとは毛色が違い過ぎる。まず、まったくリアリズムではない。だが、アメリカの暗さを描くという点では確かにアメリカンニューシネマということにはなるのだろう。
バート・ランカスターってアパッチ的な肉体俳優かと思うと、フィールド・オブ・ドリームスのムーンバット先生がそうだが、若手のわけわからん作品に平然と出てきて抜群の存在感を示すとても変わった役者だなぁ。しかも、ハゲにしてもたるんだ腹(最初に泳いでいるときとは全然違うが、寒さで肩をすぼめて前かがみになることで、うまく体をたるませている)にしても、あまり二枚目アクション俳優が喜んでやる役とは思えないが、自分で出資しているわけだし、芸風の広さは驚くべきものがある。
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