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日々の破片

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著作一覧

2021-10-24

_ ヴェルディのメリメ

メリメを使ったオペラといえば、なんといってもビゼーのカルメンで、それしか知らないのだが、妙なところでヴェルディと繋がりがあることに気付いた。まったく無関係ではあるのだが。

以前買った本の整理をしていたらメリメのエトルリヤの壺が出てきた。

エトルリヤの壷―他五編 (岩波文庫 赤 534-1)(プロスペル・メリメ)

全然作品の記憶はないが、確か読んだはずだから捨てようかなと考えながら、何気なくペラペラめくると、確かに冒頭の「マテオ・ファルコネ」の大事な一人息子を名誉のために殺す男の物語とか読んだ記憶がよみがえる。記録もあった

次の作品が「シャルル十一世の幻想」で、これは子供の頃に世界名作全集のような本の中にメリメの作品としてヴィーナスと一緒に収められていて、特におもしろかった覚えはないなぁと考える。というかシャルルでフランスの宮廷だと思ったらスェーデンなのかと読み返す(のだが、マテオと異なり記憶は甦らない)。

シャルル十一世と三人の従者は大広間で幻影の死刑執行の場面を目撃する。

最後のその死刑執行の説明のところであっとなった。アンカルストロームとグスタフ三世という名前が出てくるからだ。

その途端、メトのホロストフスキーのアンカルストロームとアルバレスのグスタフ三世の顔がちらついたのだった。

Un Ballo in Maschera [DVD] [Import](Elena Zaremba)

(アルバレスだけは同じ)


2021-10-18

_ 火葬場のない町に鐘が鳴る時の妙なおもしろさ

漫画BANとかいうアプリでちまちま漫画を読んでいるのだが、最近、「火葬場のない町に鐘が鳴る時」というのを読み始めて、これがあまりに奇妙でおもしろい(というと正確ではないのだが)。

その前に漫画BANで「僕たちの生きた理由」という漫画を最後まで読んだのだが、昭和40年代のマンガか? と首を捻ってしまうような絵柄とストーリー(学校に集まった子供が訳のわからない人形遣いに人形にされてしまうので逃げ回るのだが、最後に実は……という)でなんじゃこりゃ? と思ったというのが最初にある。

僕たちの生きた理由 (1)(渡辺和幸)

で、なるほど、小説になろう系があるように、マンガにもいろいろな発表形態があって、こういうヘンテコなのも発表できるようになったのだなと考えたのだった。

で、「火葬場のない町に鐘が鳴る時」という大仰なタイトルもあって、これも当然そのてのマンガだと思ったわけだった。がアマゾンに行ってびっくり仰天、講談社なのだった。

とびっくりするくらい酷い作品で、当然、ドドドドマイナーななろう系Webマンガなのかと思っていたのだった。

というか、なるほど読みながら脳裏で噂には聞く「彼岸島」とはこういう作品ではないのか? という声が聞こえてくるはずだ。ヤンマガって、ヤンジャンと名前は似ているがクォリティが全然違うんだな(と、嘘喰い、東京喰種、Liar Gameと感心しまくっただけに今やヤンジャン編集部の能力の高さには一目置いている状態になっているというかクレイモアもそれなりの水準だったから集英社ということになるのだろうけど)。

画がだめなのはおいておくとして(Liar Gameもひどい画だったが、こっちはむしろ悪達者的なだめさ)、物語が誤ったジェットコースターなのだ。要は一貫性がなく、次々となんでそうなる? の連続だからだ(一応プロットはありそうではあるのだが)。

小学生低学年の作文みたいなのだ。

朝起きて歯を磨いて朝ごはんを食べようと思ったら、母さんがまだ寝ていて用意ができていない(意外な状況)。しょうがないけど自分で作るのは面倒だから学校に行くことにした(投げやりな進行)。靴を履いて、紐を結んで(妙にディテールが出てくるなと思ったら)というのはバスケットシューズでこれはコンバースのパチモノのロンパースというバスケットシューズで、たかし君(誰だ?)が超高級品でいかしたバスケットシューズ(それ重要なのか?)が隣の安原雑貨店で298円(細かい)で売っているから一緒に買いに行こうというので先月の13日の金曜日に一緒に買いに行ったのだった(お前、学校へ行くことを書いていたのでは?)。途中で社会科の森元先生に会ったら「山梨県の名産物はなんだと思う?」と聞かれた。「やっぱり山梨でしょ」とたかし君が答えたが僕は知っている。山梨といえばほうとうだ。「いや、山梨ではない」と森元先生が勝ち誇って叫ぶ(叫ぶか?)。「だから、宮澤賢治のやまなしの舞台は山梨県ではないのだ」(一体なんの話をしている?)「さあ、これから岩手に東北新幹線に乗ってやまなしの謎を解くのだ」そう言うと森元先生は僕たちに新幹線の切符を2枚渡した。「30分後には上野を出るからすぐに駅へ向うのだ」

みたいな感じ。

(ただ重要な点は、無茶苦茶なだけに次はどう来る? のようなおもしろさはあるということで(誤ってはいてもジェットコースターではあるわけだ)、そうでなければとっくに読まずに削除している)

で、どうにもこういう感触の作品の記憶というか手触りがあって謎だったのだが(僕たちの生きた理由のように昭和40年代というようなわけではない)手書きの手紙をソフトフォーカスで読ませるコマを見ているうちに気づいた。

これは90年代の駄目なホラー系アドベンチャーゲームのノリなのだった。

妙な短い台詞回しで謎めいたことを言って通り過ぎるNPC、突如うろついていると出てくる恐怖イベント、下手な手書き文字の手紙とか、妙にボーッとした絵柄、いきなり出て来て主人公を助ける妙に特徴的なファッションの謎の人物、すべてがアドベンチャーゲームっぽい。

火葬場のない町に鐘が鳴る時(1) (ヤングマガジンコミックス)(和夏弘雨)


2021-10-09

_ オクトーバースカイ=ロケットボーイズ

子供に誘われてシアターコクーンにオクトーバースカイを観に行く。

元になった映画(もしかすると逆でミュージカルを元に映画にしたのかも知れない)は観たことないが、宇宙兄弟は相当この作品からインスパイアされているのだな。特に、恩師(宇宙兄弟では学校の先生というわけではないが)の病気とか、炭鉱町からNASAの技術者になった人のエピソードとか。

1957年10月のスプートニクショックに見舞われた米国の炭鉱町が舞台で、現場監督の息子とその級友たち、兄、父母、担任の先生、炭鉱労働者で話が回る。

炭鉱へ潜る労働者の合唱から始まる。なかなか良い感じだ。

次に女教師が出て来て、この町の学校では何もできないというような嘆き節が歌われる。

場面変わって3人組が町をふらふらしているところになる。ロミオ、マーキューシオ、ベンボーリオみたいだなとか思っていたら、ホーマーという名前の主役は本当にロミオの甲斐翔真だった。朗々とした良い役者/歌手だ。が、ロミオと同じくどうもうつうつとして楽しんでいない。

眼鏡をかけた小僧が他の連中にいじめられながら通り過ぎる。

教室で教師が、スプートニクが町の上空を通る、これは凄いことなんだと教える。ラジオでスプートニクの音を聴かせるとマーキューシオがなにがロケットだよ、単なる雑音じゃん、ロックンロールのほうがいかしているぜと茶々を入れると、眼鏡がスプートニクの通過周期について説明しようとしていじめられる。

家に帰ると、フットボールの花形選手の兄貴がいることなどがわかる。父親は現場監督で夜になると夜間作業者からの電話があるため、大抵家にいない。

というわけで、一家からスプートニクを見に行くのはホーマーと母親(兄貴は仲間たちと飲むために来ている)で、ホーマーは遥か頭上を通過するスプートニクを見て深く感動する。

かくしてロケットを作ることを思い立つ。さっそく仲良し3人組で作ってみるのだが爆発するだけで終わってしまう。

そこで眼鏡を仲間に引き入れる。ここで兄貴の仲間たちと喧嘩になる(ホーマーの野郎がバカと仲良くやってやがる、みたいな調子なわけだが、どちらがバカなのかとか考えながら、ハマータウンの野郎どもを思い出す)。喧嘩になったおかげでマーキューシオやベンボーリオも眼鏡を仲間として認めることになった。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)(ポール・E. ウィリス)

デュードを野郎と訳すのは、ボウイのオールザヤングデュードにはふさわしいが、今の日本語だと「輩」だな。

(すごい名曲だ)

さらに炭鉱附属の工場で働くポーランド人(Rの発音がРのグルルルルなのでロシア人かと思った)に頼んで金属の排気管を持つ筒を作ってもらう。ポーランド人は、ホーマーの父親(監督だからだろう)に隠れて作業するのは嫌なので最初は拒否する。しかし、ホーマーから空を見上げてスプートニクが飛ぶのを見て衝撃を受けたことを聞かされ、遥か離れた地点でも同じように空を見上げる人が存在するということに対する思いに感じ入って(故郷を離れた人だからだよな)引き受ける。

問題は、ロケットを飛ばすには爆発が必ず起きることで、しかもここは炭鉱町で、爆発=事故なことだ。

さらに、炭鉱を支配する企業からみれば、学校に通わせるのは単に義務教育(高校みたいだから義務ではないか)のエクスキューズのためであって舞台でのセリフを使うと「天井に頭をぶつけない程度の知恵さえつけてやればそれ以上は不要」なわけだからなかなか前途は多難だ。

が、やっと教育――生徒に希望と自由を獲得する手段を持たせること、という信念を発揮できるために自分が実行できることを見つけだした教師が強力に協力する。手始めに校長にロケット工作に対する説得を行い、許可を得る。

段々高く飛ぶようになると、町の人たちもそれなりにロケットボーイズの打ち上げを楽しむようになってくる。

が、打ち上げに失敗して炭鉱にロケットが飛び込む事故が起きる。ついに父親の堪忍袋の緒が切れる。ポーランド人は工場勤務から炭鉱勤務に変えられてしまう(が、給料的には左遷ではなくむしろ栄転なので複雑)。

さらに兄がフットボール特待生のような条件で大学進学が決まり、父親は炭鉱夫の跡取りとしてロケット工作をやめさせようとする。

が、母親や級友たちの後押しもあり、なんだかんだとロケットボーイズ活動は続く。

が、ついに本当の炭鉱事故が起きてしまい(端的には人手不足によるチェック体制の甘さ)ポーランド人は死に、ホーマーの父親も入院となってしまう。

かくしてホーマーは家計を支えるために自分が炭鉱に潜ることになる。

・曲としては2幕最初の母親、教師、級友の女性3人による歌が良い。

・印象的なのは炭鉱の「空の星は隠れ、船は入江に着き、人は死ぬ」みたいな帰るところに帰るみたいな歌だった。

・どうも物語がうまく進み過ぎてミュージカル的なおもしろさには乏しいように感じた。歌と踊りが派手なのは燃料用アルコールを入手するために酒場に行くところだけのようだが、この曲はそれほどおもしろくない。

・ミュージカル的なおもしろさには乏しいかも知れないが、舞台としては実に良い舞台で、抜群におもしろい。題材の良さも光っているのだろう。

というわけで、問題は炭鉱労働だ。

・ロケットの名前をAUK(ペンギンだよな?)として「反語」という言葉を使うと通じないといのはおもしろい。学力的にはホーマー>=眼鏡>>その他のようだ。父親が現場監督という地位にあるのだからそれなりに優秀でリーダーシップがあったのだろうな。

・ヒューストンに対抗してコールストンというのはちょっとおもしろかった。

確かに死と隣り合わせの危険な職業なのは間違いない。が、同じ死と隣り合わせの漁師と比較すると給料が安過ぎる。3ヵ月働いてあとは遊んで暮らすだの、ニシン採れすぎて御殿が立つとか炭鉱では(経営者以外では)あり得ないわけだ。

危険なのに給料がそれに見合わないとなれば、否が応でも職業に対する誇りと仲間意識だけが肥大することになる。これは労働的には悪循環となる。

だから閉山していくのは巨視的には良いことなのだな(とはいえその文化に首まで浸かってしまって逃げ場がない個々の労働者にとっては死活問題だからサッチャーはサッチャー扱いとなるのはしょうがない)。

石油はボウリングするし爆発すれば危ないのは変わらないにしても、人間が地底に降りる危険はない。

原子力は爆発した場合の危なさはそれどころではない。というかバケツで運ぶような運用をしてしまうと炭鉱よりも危ない。

と考えると、風だの太陽だのは、労働環境面でもまったく良い点しかない(電池が重いとかは別の話)。

それにしても、1957年に労働者国家の影響で炭鉱労働からの離脱を考える高校生が出てくるというのは歴史物語としてもうまくできている。1960年代には炭鉱は衰退産業となる(とはいえコールウッドの閉山は1980年代)わけだから、炭鉱労働者になるよりも別の道へ進むほうが明らかに合理的だ。

(おそらく、ロケットボーイズが全米科学賞とか受賞した背景に、そのような産業切り替えを考えた意思決定もあるのではないか?)

というか映画ではなく、本当にNASA技術者の自伝が元ネタだったのか(ということは宇宙兄弟は映画ではなく、こちらの自伝を援用したのだな)。

ロケットボーイズ 上(ホーマー・ヒッカム・ジュニア)


2021-10-06

_ ネコに点滴

黒の調子が悪くて水すら飲めなくなっているので点滴を家ですることになった。

で、医者のお手本をメモして5日の晩、6日の朝と晩と都合3回やったがなかなか大変だった。

何がいやかといえば、やはり生きていてかわいいネコに針を刺さなければならないところで、当人はなんともなさそうな顔をしていても、そこはネコだから激痛に耐えているのかも知れない(ということは無さそうだが)とか、とにかく針が皮を突き破って内部に入るときに手応えがたまらなくおっかないし嫌な気分だ。

それにしても、皮と肉の間に液体を入れてそれが体内に吸収される(というのは排尿するからわかるわけだが)というメカニズムが不可解きわまりない。なんとなく、駱駝の瘤とはこういうことですか(実際には脂肪らしいが)みたいな気分を作ることで納得はするが、それにしても不可解千万だ。妻も、一体どこの誰がこういう方法で水分を補給させることを考えついたのだろうと不思議ちゃんになっている。

猫点滴セット

具体的な手順は、点滴バッグ(200cc入り)のゴムキャップ(最初にアルコール綿で消毒してから)の3箇所空いた穴のいずれかに、比較的太い針を装着した注射器の親分みたいなやつ(目盛は60ccまである)で刺して吸い込む。これがなかなか固い。点滴液が冷たいと嫌がるだろうから電子レンジで数秒温めても良いと言われたがさわった感じ問題なさそうな温度(でも考えたらネコの体感温度も体温に依存するだろうから人間より3度くらい高めに考えた方が良さそうだな、と今気づいた)なので温めずに済ませた。

吸い込むと、それなりに空気が入るので、針のあるところを上になるように斜め上向きに持って押し込んで空気を抜く(このために、針を装着する場所が偏った位置にあるのかなと思った)。とはいえ間違いなく抜き過ぎて液漏れさせるので(と1回目で経験したので2回目からは)流しでやるようにした。要は加減がわからないから完全に空気を抜こうとするからだな。

次に長いチューブ付きの細い針の受け側を注射器の太い針にさす。のだが、これが難しい。受け側は逆流しないようにだろうが、すさまじく狭い穴あるいはそもそも穴が開いていないので、老眼には不可能だ。というわけで、眼鏡を外して近眼状態にして問題なし。次にチューブ内の空気を抜くために少しピストンを押す。これも流しの上でやる。

で、いよいよ点滴を開始することになる。

肩甲骨の間の摘まめる皮の場所をアルコール綿で拭いて消毒兼毛をならして皮膚が見えるようにする。

左手で皮を摘まんで、一方右手で細い針についているバタフライ状の摘まみをザラザラを外側にして摘まんで、首側から尻尾側に向けて針を刺す。

のだが、初回は妻が顔のほうを抱っこしていたので尻尾側から首側へ向けて刺したら途中で針が抜けてしまった。どうも液体を注ぐ向きと体の流れは一致させないと良くないようだ。可哀想なことに初回は都合3回刺し直すことになって実に申し訳ない。

刺したらバタフライ部を広げてそこで押さえる(正しい向きに刺すと押さえなくても問題ないようだ。と3回目の経験というか、医者は押さえていなかったな)。

皮に針を刺してもその時は痛いかも知れないが一度突き通してしまえばあとは問題なさそうだ。むしろ、下手に針を動かして中の肉に当たると痛いのではないか(痛覚が肉にあるのかな? 打撃を感じるはずだからあるのだろう)とか考えると、できるだけ皮側に針を留めたいのだが、あまりごちゃごちゃ動かすわけにもいかないので加減が難しい。

で、こちらはおっかないので片手でバタフライ部を軽く押さえているので片手で注射器のピストンを押し込むのだが、むちゃくちゃ固い。

医者の見本を見ていると1ccあたり2秒くらいのテンポで注入していたが、その速度を維持するのが精いっぱいで、途中、手を変えることになる。途中、少しテンポが速まったかなと思うとネコもビクッとするので、単調なペース配分は重要そうだ。

そもそも注射器は針側を下に向けているので、ごく少量なら空気があってもピストンの丸みのところに入るので問題なさそうなことに余裕が出た3回目には気づいた。が、とりあえず今回の最後なのでいささか遅い。

で、針を抜いておっかないので元あった鞘に戻して、医療廃棄物なので別にしておく。

これ一人でやるのは無理だな。家は親子3人がかりでどうにかできたが。とにかく心理的には針を刺すのはいやだし、肉体的にはピストンを押すのが相当辛い(右手の親指が痛い。途中、手で注射器側を握って顎で押すというのを試したが、これは悪くない。悪くないが全然ネコが見えないので反応がわからずこれはこれでおっかない)。

それにしても不思議なのは猫の皮だ。

なんで、あんなにたるんでいるんだろう? 人間の皮も同じなんだろうか。なんとなく、人間のは摘まんでも厚みがあるから皮だけではないように思うのだが。

・針はいやだが、錠剤を飲ませるのよりは猫もおとなしくされるがままになるので、その分は気が楽ではある。が、薬は一人、点滴は家族総出なのでちょっと違うか。

・薬は奥歯(というか臼歯)が無いということに子供が気づいてからは口の根本に指を入れて開けさせることが比較的簡単にできるようになった。


2021-10-05

_ 新国立劇場のチェネレントラ

前回のシラグーザのは実に楽しかったチェネレントラだが、今回は新演出。

なんか映画の撮影でプロデューサーというか映画製作会社の息子の太っちょが監督のアリドーロに女優を探せと命令するところから始まって、なんとなくポンポさん的な。

で、始まるとどうもチェネレントラ以外の声が小さい。従者に扮したドンラミーロがチェネレントラと出会って歌うところでもオーケストラにかき消される。

おそらくコロナ対策でオーケストラピットをあまり深く沈めずに浮かせているのではないか? そのためバランスが悪いのだと思う。

とはいえ、ルネバルベッラはなかなか良い声だし(もう少し突き抜けるような声のほうが好きだけど)皆の衆探しに行こうはアンコールに応えて2回歌って(シラグーザもそうだったから、そもそもうまくハイCを飛ばせたら2回歌うというような慣習なのかな?)、なんといっても脇園彩は抜群ではなかろうか。最後の説教じみた歌も全然退屈しなかった。

で、映画演出は、最初なんかどうでも良い演出だなぁと思っていたら、本来は扉を開けるであるとか、回廊を抜けてくるであるとか、物語的に唐突に人が入って来るところがあるわけだが、そういう箇所で3~40年代ハリウッド風の階段を作って降りてくるから、なるほど映画にする意味は立派にあったのだった。

ただ、パリオペラ座バレエ団のシンデレラも映画だったし、モチーフとしてはそれほど斬新というわけでもないかも知れない。

アリドーロが乞食の衣装をかなぐり捨てると天使の羽根をつけてクレーンで動くのだが、クレーンの音のほうが歌声より大きいのはどうかと思った。アリドーロのサゴーナという人は立ち居振る舞いは実に立派でうまいのだが、声が小さくて残念だ(というわけで、日本人のバスなのかと思って観ていた)。ダンディーニも演技も立ち居振る舞いも実にうまくて笑わせてくれるのだが、やはり声が小さい。このあたりはオーケストラが後ろでジャンジャン鳴るわけではないので、コロナ演出で声を飛ばさないようにしているのだろうか? とも考える。

というわけで不満点がないわけでもないのだが、とても楽しめた。

・以前、バックステージツアーに参加したとき、誰かが「日本人の歌手をもっと主役級で起用しないのか?」と質問したら、劇場案内人が「日本人を主役に置くとお前らがチケットを買わないからそれは無理」をすさまじくソフィスティケートした言い方で答えていたが、先日のドンカルロスのポーザ侯の高田智宏やジークリンデの小林厚子は圧倒的だったし、今回のチェネレントラも主役は日本人だがほぼ満席だったので何か時代が変わったのか、または客側ではなく運営側が招聘しにくくなって日本人を起用したら、誰もチケットを買わないという想定がそもそも間違っていて普通に集客できたというだけかも知れない。


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