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ポスターの色と構図があまりにも決まっていておもしろそうなので『左利きの少女』を観に行った。
狭い社内で遊んでいる幼児と女性が二人、少しずつ様子が見えてきて右座席の女性が子供を抱っこしていて、左座席の女性が運転しているのがわかる。荷物と会話から引っ越しらしい。やたらと高層ビルが目立つ(ちょうど、中央高速を八王子から新宿へ向かう感じだ)。
そもそも中国っぽいなと思ったが、どこの映画かも知らずに見始めていることに気づくと、台北に到着。台湾映画だったのか。
3人は細長いマンション(日本のワンルームに近いが、やたらと細い(が、後のほうで別の部屋が出てきたりしてよくわからない)に狭いと文句を言いながら落ち着く。この細さがその後の映像にも生かされている。ディープフォーカスというわけではないが、ベランダの向こうを見る構図とか、母親を映しているシーンの端に子供が映るとか。
というくらいに、ポスターで見た通りの抜群の構図とシーン作りで実におもしろい。
中盤、家族がばらばらに動くところが極端に激しいモンタージュの連続になって、いささか辟易してくるが(とはいえコンテキストは保たれているので実に明確ではあるが、疲れるは疲れる)、それが終わるとまた引いたシーンが戻ってくる。
物語には語られない過去がいろいろある。夫が蒸発したので、貧乏どん底に落ちたために高校にも行けなかったと娘は恨み骨髄(浪花節になりそうな、言葉を話せなくなった父親からの手紙をいきなり捨てる思い切りの良さには思わず喝采)、が、妻はそれほど恨んでもいなさそうで、何やらいろいろ理由がありそうだったり、恨み骨髄娘はそれが元でぐれたのか、単に高校に行けなかったということ以上の事情がありそうだったりする。
と、家族愛物語なのかと思ったら、もちろんそうなのだが、単純な浪花節ではなく、映画としておもしろいだけではなく、物語もなかなかおもしろかった。
良いものを観られてハッピーだった。が、映画館を出たら猛烈な土砂降りなのには参った。
映画だからどこまで現実生活なのかはわからないが
・台湾の高速道路では二輪車用の別レーン(かつ完全独立)がある
・跡取り息子重要っぽい
・マンションではペット禁止
・還暦祝いは親類縁者を集めて盛大にやる(ごちそうがおいしそうだった)
・わりと商店の人たちはルーズ
・ジョニーの稼ぎが不明(売っているものが買われているところは一切出てこないのに、それなりに金を持っている)
・大学生は遊ぶ存在っぽい
・檳榔は1つまみごとに石灰をくるんで冷蔵庫で保管
・檳榔は200元
・タバコを吸うのはベランダとか屋上
とかも物珍しくておもしろかった。
東劇でメトライブビューイングの『フリーダとディエゴ 最後の夢』。
作曲家はガブリエラ・リーナ・フランクという人で、この作品が初めて聴く曲だが、良くまとまった曲だった。圧倒的な感じはないが佳曲。
死者の日にディエゴリベラが先に亡くなったフリーダカーロを呼び出そうとする。最初フリーダは呼びに来たカトリーナ(死神かな? 骸骨)に帰還を拒む。が、結局なし崩しにディエゴのところに戻る。
2幕、ディエゴは巨大な壁画を作成中で始まる。カヴァラドッシではない。
演出はダイナミックで踊りも色彩も美しい。
新国立劇場でエレクトラ。なんといってもタイトルロールのアイレ・アッソーニのエレクトラが素晴らしい。歌い方、声、声量どれをとっても素晴らしい。一方妹のヘドヴィグ・ハウゲルドはちょっとうるさいなぁと感じたが、最後の姉妹二重唱は見事で、つくづくシュトラウスの女性重唱の美しさを堪能できた。
曲としてはサロメもそうだが、この時期(表現主義だろう)のシュトラウスの怪鳥のような不協和音の連鎖はもうどうでも良いなぁと感じる。とはいえおもしろいはおもしろいので微妙なところだ。
ホフマンスタールの作劇でほぉと思ったのは、エレクトラが斧を渡していないと衝撃を受けるところで、なんでわざわざこうしたのか? と考えさせるところだ。あり得るとしたら斧を使えばそれは父親殺しに対する復讐というコンテキストとなるところが、(多分)剣を使うことで新たな王朝の創出となることだろう。なんか劉朝が王朝となりまた劉朝に戻る漢みたいだなと思った(が、王莽とエギストには簒奪方法についてはまったく共通点はない)。子供はさらに、最後がクリソテミスがオレストの名を呼ぶところに意味を見つけていた。
かくして復讐という文脈を外れることで、この演出のエレクトラはクリテムネストラ(もちろん藤村実穂子はうまい)を瞑目させて立ち去ることもできる。
浜離宮朝日ホールでシラグーザのリサイタル。初めて行く会場だがこじんまりしているわりには立派なホールになっていて、歌手のリサイタルや室内楽にはよさそうだ。
前半はオペラ、後半はカンツォーネとなっていて、考えてみるまでもなくカンツォーネのコンサートというのは初めてだ。
オペラは、まずはネモリーノで新国立でも聴いているが当然ながらのシラグーザ。が、オペラとして聴くのではなくピアノ伴奏で歌だけ聴くと全然別の印象で、明暗のつけ方もうまいわけだが、ピアノが実に音色豊かで楽しい。
で、グノーなどを挟んで最後がなんと冷たい手だとなるわけだが、なんか昨年だか一昨年だかに初めてロドルフォを歌ったそうだが、実に良い。なんかフローレスの印象があるのでベルカントテノールがリリックを歌うとちょっと気持ち悪くなりそうだなと思ったが、全然そんなことない。どうやって生きているのか? 生きているのです。というか、オペラの舞台で見たい。
カンツォーネのほうは、トトとかララとか同じ音の繰り返しの作家の曲がどちらも実におもしろい。名歌手が歌えばポップも抜群というか、このリサイタルはオペラもカンツォーネもポップの極みだったのだ。
とにかく実に楽しい。ピアノの人(この人の表現力は、ホールとスタインウェイの力もあるかも知れないが、抜群だと思う。オーケストラいらないじゃん)もリスト編曲の面倒そうな曲も楽しそうに弾いているし、シラグーザの表情も楽しく、妙に幸福感に満ち溢れて、こういう経験は初めてかも知れない。
アンコールを子供と幕間に何をやるのか? と話し合って、あっちは多分女心の歌だろうというので、こっちはカンツォーネといったら一番有名なのにm演目にはないわけだからオーソレミオだろうといったら、両方とも歌ってくれた。特にオーソレミオは舞台から降りてきて客席往復で、実にサービス満点、最後まで楽しかった。
配布物のパンフレットを読んで仰天したのは、シラグーザが還暦を迎えているということで、最初にチェネレントラで王子を観たときに30前の若手だからこれだけの技量と良い声(美声というのとは微妙に違うのだが、実に好みにっている癖がある)の持ち主を呼べたのだなと思っていたが、全然違って40過ぎの大ベテランだったわけだ。身軽な人なのだな。還暦過ぎてバリトンというわけでもなく普通にテノールとしてリサイタルをやれて声を張り上げられるのだからただものではなく感服しまくり。
新国立劇場でウェルテル。
なんといっても脇園彩のシャルロットが圧倒的。声量もあればつやもある。
ユルケヴィチの指揮はえらくメリハリがついている。冒頭、ちょっと驚いた。
ウェルテルのカストロノーヴォは好きな声ではないが、悪くなかった。
というわけで全体、ものすごくよいものだった。
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