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スカラ座で神々の黄昏。
第3夜の幕は指輪(最初、穴かと思った)。特に神々の黄昏では開幕や場面展開などとにかく幕が上がるたびに舞台美術に意表を突かれる。マクヴィカーの演出はやはり普通ではない。
3人のノルンはブリュンヒルデの岩山の逆側で始まる。第1のノルンはおそらく急遽変更でメイヤー。
そのまま岩山が回転してブリュンヒルデ登場。眠っているジークフリートを起こす。ジークフリートは良く寝たのか、抜群に通る声で歌う。フォークトは本当に好きな歌手だ。
ジークフリートの、大切なことはたった一つブリュンヒルデを愛すること! からどんどんテンポを上げていって凄まじい盛り上がりとなりティンパニー奏者が途轍もない音を出す。というか、ここまで鳴らすか? と驚嘆する。ヤングのドラマ作りは抜群に素晴らしい。そのままライン下りになだれ込む。こんなにエキサイティングなライン下りは初めてだ。音作りが凄すぎるからか幕は下したままでウォーナーの森の小鳥が遊びにくるような余分な演出はなし。ミラノまで足を運んだ価値がある。
(それはそれとしてスカラ座ってこんなにへたくそなオーケストラだったか? という感じはそこら中で受けるが、要は4夜ぶっ通しをしかも異なる指揮者で2回だけという変則的な公演なうえに、バイロイトと違ってそれほど頻繁に楽団員が演奏する演目というわけではないので、単純に練習不足なのだろう。が、それはどうでも良いほど、舞台の上の見事さとヤングの指揮っぷりだった)
第3場の幕が開くとフリークショーなのか? と奇天烈なギビッヒの館(のホール)。
ハーゲンは実にドスが効いた声の上に威風堂々で全然顔色悪いから仲間に入れない怪人には見えない(グロイスボック)。一方、グンターはいかにも若い領主っぽい衣装で、どちらもかっこ良い。グートルーネは実にグートルーネ(第3のノルンと二役で、ノルンはマイヤー以外なんかぱっとしないなと思ったが、グートルーネはきれいな声で良い)。
特に異常な演出もなく舞台の上では淡々とハーゲンが陰謀してグートルーネが実行してジークフリートがグートルーネを目で嘗め回す。筋書き通り。ハーゲンが乱暴にグラーネを馬小屋へ連れていく。
そのままヴァルトラウテとブリュンヒルデの喧嘩となり(ヴァルトラウテの馬が大活躍)、隠れ頭巾のジークフリートがノートゥングに誓う。
2時間息を尽かせぬむちゃくちゃに濃い1幕だった。
2幕。夢見るハーゲンとアルベリヒ。アルベリヒがなんか妙に油っけを抜かれた仙人みたいに登場(歌手も変わっているが、幽界へ行ってしまったからという演出かな?)。
ギビッヒのホールの壁が開くと向こうにファフナーのでっかな骸骨が飾ってある(というわけではないとは思うが、せっかくでっかな骸骨を作ったので流用したのかな)。
ハーゲンのハイホーっぷりはなかなか良い。実にさまになっている。
ブリュンヒルデは紐に繋がれて連行されてくる。ジークフリートが槍に誓ったあとのひったくって自分も誓うところの流れが実に迫力ある。本気でブリュンヒルデは混乱し怒っている。ニールンドってうまいなぁ。
あまりのことにグートルーネはすんなり結婚する気がなくなって抵抗するのをジークフリートが無理やり引っ張っていく。この演出はおっかない。ジークフリートが完全に薬でおかしくなっているのを強調しているようだ。
3幕、ラインの乙女が沼のようになったライン(でっかな手のような岩が突き出している)で歌いだす。この人たち、実にラインの乙女らしいきれいな声で美しいが、妙に迫力がある。
ハーゲンが、鴉の歌も理解できるか? で、2羽のカラスが飛び立つ。しびれる演出。期待通り、ワルキューレで出てきた被り物カラスが空を飛び去る。
ジークフリートが倒れると(直前のブリュンヒルデの救出の歌の美しさ!)、ギビッヒは全員去って一人取り残される。2人、見たことのない人が現れると、後からもう一人折れた槍を持った男登場。あー、鴉の報告を受けて鴉とヴォータンがやってきたという演出なのか。これは良い。
葬送行進曲も聞かせる。
この演出ではブリュンヒルデがグートルーネを偽りの花嫁と罵る場面はそれほど痛烈ではなく、ジークフリートが死んだことへの思い側に倒した演出に見える。
ラインの黄金のヴァルハラ(の階段)が現れ、神々が倒れていく(という演出だと思う)。最後、ラインの中で金色の仮面を取り戻した黄金が踊りながら、アルベリヒを沈めて殺す。連環をきれいに閉じた(だから幕もリングなのかも)。
終わったあとの拍手がないほど沈黙、余韻がすさまじい、誰かが拍手したとたんにシー!とたしなめる声。そしてヤングがピリオドを打つと万雷の拍手。
良かった!
スカラ座でジークフリート。
マクヴィカーの演出では、幕がラインの黄金では「手」、ワルキューレでは「目」、ジークフリートでは蛇のようなもの(ファフナーと考えるのが筋だと思う)と、最初の2夜と異なり人体の一部ではなくなった。
ということは、手はアルベリヒ(指輪をはめることになる)、目は片目のヴォータン(または蛇の目のウェルズング)、と来て巨人族ということで、争う各種族を示しているのかも知れない。すると神々の黄昏では口(ギビッヒが郎党を集めるハイホー)か、それらを燃やし尽くす炎となるのかなぁと想像してみる。
ジークフリートでもマクヴィカーの演出は(目立つ範囲では)独自の解釈のようなものはなく、登場人物の造形と舞台美術に完全に寄せたものとなっている。これって、もしかしてマクヴィカーにとっての本番はメトなのかな?
ただ、とにかく脇役にも徹底的に造形を施しているところが特徴だ。
ラインの黄金の黄金、ローゲの炎のゆらめき(千手観音手法)、ワルキューレのヴォータンの使い魔の鴉。というわけで、ジークフリートが連れてくる熊が外連味たっぷりに黒子が操作しながら暴れまくる(ミーメのアブリンガーースペラッケ(なんで読むのか見当もつかない)がヴォータンのウェルトンを圧倒するほどの巨漢なので熊と互角に渡り合っている)。
森の小鳥は予告映像にちらっと映ったので見ていたが、モヒカンのアスプロモンテと脇で操作される鳥。アスプロモンテはきれいだがドスが効いた声なので印象的。2幕のカーテンコールでスキップしながら列に加わるところが最後まで小鳥っぽくて好感を持った。小鳥が存分に魅せてくれることもあいまって森のささやきは全編実に良い。カーテンコールでホルン奏者が出てきたのはちょっとおもしろかった。なんか楽団員をとても大切にしている雰囲気がある(そういえば第1夜では幕間に引退するオーボエ奏者を称える催しもあった)。
ファフナーは幕の絵から大蛇として表現するのかと思ったら、巨大な骸骨で意表を突かれた。
若々しくてきれいな声の印象が強いフォークト(マイスタージンガーのワルターやローエングリンは良く聴く)だが、年を重ねたおかげか、ノートゥングを鍛えるところの朗々たるしかし全然絶叫的ではない歌声にはしびれまくる。すごいジークフリート登場だ。
ブリュンヒルデの岩山はワルキューレに引き続き上を向けた顔面の中の掌。
グラーネはブリュンヒルデと同時に目を覚まし後ろのほうで動いている。グラーネに人間をアサインして存在感を強調するのって、もしかして前回のバイロイトの演出(血祭にあげられる老人)の影響かも知れない(というわけで、神々の黄昏での扱いには興味津々)。
男じゃないぞで客席で笑い声が起きるのがおもしろい。予定調和っぽい。(そういえば、ラインの黄金のローゲの登場シーンの千手観音のちらちらでも笑いが起きていたがというかおれも笑ったが)読み直しが無いこともあってリラックスした演出とも言えそうだ。
目覚めのところの突き上げからハープがパラパラと落ちてくるところの迫力が凄くて、ますますヤングの指揮が好きになる。
ワンダラーは席からは良くみえなかったが少なくとも大げさな眼帯をしていないように見える(小さいのをしていた可能性はある)。僕はウェルトン好きだな。
2幕のカーテンコールに小鳥が出ていたってことは、ブリュンヒルデの岩山行で、鴉再登場、小鳥姿をくらますとかは無いなと思ったら、やっぱりなかった。まあ無用な処理ではあるが、なんとなく見たかったので残念。
スカラ座のワルキューレ。
前奏曲からなかなかの雰囲気。
1幕はオーソドックスな演出だが、フンディングの暴力性を強調した演出とっていて、食い物を持ってこいにしろ、ベッドで待てにしろ、やたらとジークリンデを殴る蹴る。とんでもないDV野郎のうえに、そもそもが略奪婚なので夫婦として成立していないのを強調している。当然のように、厚くもてなすと言いながら丸腰のジークムントを脅しつける。
2幕の始まり、ヤングは拍手が終わらないうちに振り始める。これも意表を突かれた。
幕が開くとヴォータンは2羽のカラスに指令を出している。カラスが出てくるのにも意表を突かれた。2羽とも下界へ去る。カラスを可視化した演出は珍しいのでは。
おそらくカラスは3幕でヴォータンにブリュンヒルデの裏切り(実はヴォータンの真意を考えての自発的行動)を注進するために観ているのだと思うが、わからなかった。そもそも舞台には出していないかも知れないが。
グラーネは上半身裸の男(足にはぴょんぴょんバネを履いている)。フリッカの羊車はえらくゆっくり動く(フリッカが重いからという演出か?)。
1幕でフンディング夫妻がどういう生活をしているかをフンディングをことさら暴力的に振舞わせることで強調しているだけに、フリッカの夫婦についての能書きがすべて空しく見えるように仕組んでいる。が、そもそもヴォータンのウェルズング戦略が、すべての仕込みをジークムントがたどるだけという自発性があると思い込んでいるだけの操り人形だという指摘は完全に正しいのでどうにもならない。
ここでフリッカは契約を主張していると考えるとヴォータンのウェルズング戦略の間違いが明らかとなるのかも知れない。略奪婚(ようは強姦だし)のうえにDVしまくりであっても契約は契約とフリッカは主張している。契約こそがヴォータンを主神の位置に置いているのだからこれは明らかにヴォータン側がおかしい。しかもフリッカはジークムントの動きの仕組まれ方も完全に把握している。そもそもヴォータンが片目を引き換えにするくらいにフリッカは賢明なはずだ。(ラインの黄金で、装身具になるのかしらみたいなすっとぼけたことを言い出しているので、頭の弱い人のように見せているが、実際はそんなことはあり得ない)
ヴォータンは戦略を練り直す必要がある。仕込みはなし。すべては自発性に任せ、第三者視点ではヴォータンの思惑とは異なる動きをする連中に指輪を任せるしかない。
ジークムントの剣を直接ヴォータンが槍で受け、背後からフンディングがジークムントを突き刺す。この背後から槍で突き刺す形はジークフリートとハーゲンで再現させるための布石かも知れない。
犬はフリッカの前に跪け!でフンディング(グロイスブック)がいきなり倒れる演出は、グロイスブックが巨漢だけに迫力あった。
3幕、でっかな人面の小山にヴァルキューレが集まっている。馬も駆け回る。人面の小山はこの後、ブリュンヒルデの山に流用される。
ローゲがブリュンヒルデを守る仕掛けは、ブリュンヒルデが英雄以外は近寄らせたくないという意思の尊重であって、ヴォータンの自発的仕込みではない。
あとは、ジークフリートが勝手にブリュンヒルデを眠りから覚ませば良いと、ヴォータンは満足して去る。
ウェルトンのヴォータンは迫力がある。ローゲを呼ぶところは圧倒的だった。
ニールンドのブリュンヒルデはふつうに良い。ミクネヴィシュート(?)のジークリンデは弱弱しいジークリンデ(歌はきれい)。
スカラ座でヤングとマクヴィカーのラインの黄金。
どんな演出なのかわくわくしながら観ていると、いかにも神話的な衣装の基本的に原作に忠実な演出が始まる。
アルベリヒは登場時にはサテュロスで山羊の角がある。で、サテュロスらしくスケベ心全開でラインの乙女たちに戯れかける。
ラインの黄金のモティーフとともに一条の光がさすと、全裸(と思ったら褌は履いている)の黄金仮面が横たわっていて、くねりくねりとエロティックなダンスを始める。それと戯れるラインの乙女、茫然と眺めるアルベリヒ。この全裸(ではない)黄金仮面がラインの黄金なのか。
ってことはアルベリヒはこの黄金仮面を誘拐するのだなと見ていると、黄金の仮面を剥ぎ取って去っていった。このあたり記憶はあいまいなのだが、愛の断念でサテュロスの角をもぎ取っているかもしれない(ニーベルハイム以降は角がないように見える)。
一転、天上では右に階段、左に塊の妙なヴァルハラに神々が集う。ヴォータンはふつうに片目、槍を持ったヴォータン。フリッカは髪の毛を羊の角のようにくるりんと二つ巻いている。各自歌わないときは仮面を被っている。ドンナー、フローは三角に見える小山のようなぶかぶかの衣装(特にドンナーが美声で聞きほれる)。フライアだけは白いスラッとした衣装で一人だけ雰囲気が異なる。
ファフナーとファーゾルトは竹馬に乗った男とその後ろの半裸の男の2人で1組。半裸男はそれぞれ手足として動く。最初、歌手が半裸男(それにしては良い男っぷり)だと思ったら、竹馬のほうが歌手だった。なんか安定しなさそうだが、そんなことはなく堂々たる歌いっぷり。
圧巻はローゲで3人一組(見事に体は重ねている)で千手観音みたいにそれぞれが腕を動かしてチラチラ炎を示す。髪は赤。このローゲは軽やかで実に素晴らしい。
ニーベルング族は侏儒かなと思うくらいな連中(明らかに子供とわかる人もいるが、どろどろの服なので本当に侏儒も混じっていてもわからない)。
エルダはマイヤー。
ドナーが実に朗々たる良い声で雷を呼び出す。
神々は階段を上り、階段が雛壇となる。
ローゲが去り際にフライアとちょっと絡む(見つめあう)が演出意図は読めなかった。血まみれのラインの黄金が蠢く。
ヴォータンはフォレの代役でブラウンリー(ミュンヘンでも歌っていた)。悪くない。
とにかくローゲの出現シーンの腕の炎がすべてを持って行った感はある(場内に笑いが誘われている、というか実際可笑しい)。
結構、金管がひっくり返って、スカラ座ってこんなものなのか? とも思ったが、全体として大満足。
スカラ座でちょっと驚いたのはトイレで、数はそこら中にあるのだが、少なくとも男性用は個室が1つあるだけ。平土間用には男女兼用の入り口のトイレもあり、中は個室が2個(見た感じでは)。小便器もなければ、チップの鉢もない。意表は突かれたがこれはこれでありのようだ。
拍手はフライアが一番大きかったような。美しいフライアだった。
東劇でヨンチェヴァとベチャワのアノドレアシェニエ。抜群だった。指揮、歌手、演出はメトだからのコスプレであまり好きではないとはいえ、とても良かった。
何しろおれが一番好きなオペラでもある。
中学~高校の頃、NHKイタリアオペラのテバルディとデルモナコのライブ盤を買って死ぬほど聴きまくった。で、当時のLPだから対訳がついていたから大体の会話は覚えているはずだった。
が、今回、映画ならではの字幕を見ていて、相当記憶違いがある(か、当時の対訳が間違っていたか)に気付いた。
一番大きいのはラママモルタの私は愛! 私は神!の「私」 はマッダレーナのことではなく、マッダレーナに語り掛けた光のことだった(もちろん、その光は内的心理の外形化だから、そういう意味ではマッダレーナ自身と言えなくもないが)。すると、母親が死んでひどいことになったけど、ベルシのおかげでどうにかやって来れた、その時にシェニエに再会して(と身の上話をしているうちに)興奮しまくって、ついには私は神! と叫ぶという狂気の愛の歌ではなくなってしまう……。
同じことは、ジェラールのパンテオーネの歌についても言える。おれは、告発状に、「裏切り者、反動軍の兵士、外国人……」とか書いているうちに、おれは一体何やってるんだ? おれは高い理想に燃えて人民のためにパンテオーネを打ち建てようとしているのに、なんと堕落してしまったことか! という歌だと思っていたが全然違う。
幕間のインタビューでゴロヴァテンコ(この人のジェラールは実に素晴らしい)が、ジェラールは微塵も反省、後悔なんかしていないよ! と言い切るので???となったのだが、この対訳では確かにそういう歌ではない。
裏切り者、反動軍の兵士、外国人、こういう連中と戦い、人民の涙を糧として、世界に愛のパンテオーネを打ち建てるのだ! 人民を抱きしめ接吻をするのだ! という歌だった(どちらにころんでもパンテオーネの件が美しいのは変わらないわけだが)。
したがって、内心忸怩たるジェラールが、私は愛なのです! と言い切るマッダレーナに押されてシェニエの弁護に走るというのではなく、恬として恥じることないジェラールが、やりたいならやりなさいよ、私はすべてを失って、ただあの人への愛だけが残っているのだから、全然OK! というマッダレーナの本気っぷりに打ちのめされてシェニエの弁護に走るという話になる。
いやー、まったく違う話ではないか。
とはいえ、この曲のすばらしさはまったく変わることはないわけだが。
最近のメトライブビューイングは、幕間に指揮者にピアノを弾かせながら聴きどころを紹介させるのだが、ルスティオーニの説明は聞いて良かった。
というのは、大空を見上げ言葉を引っ張り集めて(まるで、ファウスト博士が精霊を呼び集めて彼らの力を借りてメフィストフェレスを地底から引きずり出すみたいな)詩を作り出すという説明や、裁判の場面で罪状否認もそこそこに、舟歌に変わる、それは大海原を船で航海するからだという説明は目からうろこ。舟歌とは! で、確かにバルカローレだ。全然気づきもしなかった(というか、裁判での歌はまったく注目もしていなかった)。あるいは、ラママモルタを助けを求めるでも願いを言うでもなく、なんか自分のことを延々と喋るだけの妙な歌、という説明もうなずかざるを得ない。イリッカの作詩術とジョルダーノのどんどん楽想を膨らませて大爆発させる作曲法が見事に絡み合って、この音楽史上の大傑作が生まれたのだな。
それにしても、1幕では居並ぶ貴族や僧侶が顔をそむけるカデット(立憲君主主義者)としてのシェニエの左っぷりが、共和制になったとたんにカデットとして極右(憲法下とはいえ王権を認めるわけだから)扱いされる、政治の相対性はおもしろい。おそらくイリッカとしては、蝸角の争いみたいな印象を持っているのかも知れない。
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