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日々の破片

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2014-07-19

_ 最近読んだマンガ

以前購入したもののまだ読んでいなかったがらくたストリートを読む。

がらくたストリート (1) (バーズコミックス)(山田穣)

これはいい。

ジャンルとしては変な日常もの(一応等身大の登場人物がふつうっぽい街に暮らしているのだが、異物がいろいろ入りまくる)だろうけど、間違えて孔子を引用する友人と知識の固まりの友人と主人公の妙に守備範囲が広い小学生3人組(+主人公の幼馴染の女の子)がまずとても良い組み合わせ。そこに宇宙人とか稗田礼二郎とか宇宙人のペットとか山の神様とかテキヤの大将とかアナログ技術者の父親とか妙に若い母親(絵が若いだけでレコードをかけるとなるとボウイとか言い出すのでおれと同じくらいの年齢なのかも)と主人公以上に守備範囲が広いお兄さんとその友人(2人の会話にはやたらと金田という固有名詞が出てくるが、アニメのスタッフオタクらしいので金田マジックの金田なんだろうけど、おれにはさっぱりわからないが、わからなくてもおもしろく読ませるんだから、作り方がうまいのだろう。おそらく、守備範囲を広く取っているから、必ずひっかかる点を押さえてあって、30の引用のうち12以上がわかればはまり込めるのだろう。というわけで金田はわからなくても稗田とかボウイとかはわかるわけで問題なし。で、そのあたりの機微をうまく会話に盛り込んでいるのがうまさの秘訣ではなかろうか)

妖怪ハンター 天の巻 (集英社文庫)(諸星 大二郎)

それにしても、それでも町は廻っているとか、このタイプのマンガの秀作が次々出てくるってのは良いことだ。

というのとは別に、以前から気になっていたうしおととらを読む。

うしおととら(1) (少年サンデーコミックス)(藤田和日郎)

なんか、女性関係を把握するためにも最初から通して読めというアドバイスをもらってなんのことだかさっぱりわからないまま、結局1から全巻読んだが、なるほど、やたらと女性が出てくるマンガだった(が、そこはあまり重要ではない)。これは確かに良い作品で繰り返し売られているのも良くわかる。マスターピースだな。

で、読んでいてつくづく感じたのが、実に少年サンデーなマンガだということだった。

1960年代に週刊の少年マンガ誌というのが出そろって、その当時の子供だったおれはほぼ全部読んでいたのだが、途中、1970年になると父親が購買対象を少年チャンピオンと少年マガジンに集約したため、サンデーやジャンプはたまに友人の家や床屋などでしか読むことがなくなったのだが、それでも1960年代の頃からのカラーはあまり変わっていないように思える。(キングも稀に読むことはあったが、まさにそういう分布だったのだろう、結局週刊誌としては最初に消えていった)

少年マガジンは、作家主義の雑誌で、カラーはその時点の主要な作家のカラーで決まる。で、なぜか主人公のヒーロー主体のマンガが多い。1960~1970年代は梶原一騎だ。水木しげるはゲゲゲの鬼太郎。赤塚不二夫はバカボンで手塚治虫は三つ目が通る。永井豪ならデビルマンだ(いやはやなんともってのもあったけど)。

こういった作品に対して少年サンデーはもう少しパターンがはっきりしている。

赤塚不二夫はおそ松くんで、藤子不二雄のオバQで、手塚治虫はバンパイアやどろろだ(いずれも大して人気は出ずに早く終わる。確かサンダーマスクもやたらと早く終わったような)。特に少年サンデーのカラーが顕著なのが水木しげるの作品が河童の三平なことで、全部(おそ松くんは直接的ではないが)、比較的普通な人たちのところに異界のものが訪問してきて居ついてしまうことから物語が始まる。鬼太郎は鬼太郎が主人公だが、三平は三平の家に居ついた河童やタヌキとの共同体のお話だし、オバQ以降の少年サンデーらしい藤子不二雄の作品はすべて普通の家に居候(怪物君は隣家にだが)として住み着いた不思議者とのお話で、遥か後になってうる星やつらを読んだら同じく普通の家に住み着いた不思議者のお話でサンデーはサンデーだなぁとつくづく思ったが、うしおととらも普通じゃないがまあモティーフは近いものがある。少年マガジンのタイプじゃない。ヒーロー主体ではなく、人間と異形のペアが主体だ。

あと、少年サンデーのマンガは少年マガジンのマンガに比べて女性が相当重視されている印象がある。もちろん巨人の星には明子がいるし、明日のジョーには紀子がいるし、愛と誠は愛が主人公だし、翔んだカップルはマガジンだが、主人公の愛ですら、重要ではないように感じる。

それに対して、BBの(名前忘れた)主人公の恋人はえらく重要だし(森山の次に重要)、うる星やつらではラムちゃん抜きでは作品が成り立たないし、あだち充のマンガも同じで女性抜きでは成り立たない。成り立たないのは、物語へ意思を持った人物として介在しているからだ。愛と誠の場合、物語の意思は作家の梶原一騎にあるから(そこがマガジンは作家主義と感じさせる点だ)、実は愛はいなくても物語が成り立つように思える。

で、うしおととらについても、作中の主要なエピソードを(途中の全員集合するところはどうでも良い気がするのだが)女性たちが支えているので、これもまた少年サンデーっぽいなぁと感じたところだ。一言でいえば、少年サンデーのマンガに出てくる女性はキャラがたっているということだな。(全然重要ではないスプリガンの女泥棒が異様にキャラだちしているのも少年サンデーのマンガということで納得してみたり)

で、家のネコを見ていて、ときどき、とらみたいだなぁと感じたりするのだが、つまりはとらがネコみたいなのだな。多分、すごく自分勝手なことを考えているのだが、そういはいってもなんだかんだと飼い主になついている感があるところとか、主人公との距離の置き方とかが本物のネコみたいだ。


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