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日々の破片

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2014-07-04

_ 1930年代アメリカも世界の終末を見ていた

500円の図書カードをもらったので、本屋に行き、最初マンガを買うかと思ったが特に物理的な本として欲しいものはなく、この書店には岩波文庫が充実しているからドイツ文学かロシア文学でも買うかと眺めていたがそれほど充実していなくて何もなく、ふと見ると聞いたことないアメリカ文学があり、価格も540円でちょうど良いし、妙に薄っぺらいし、題名も奇天烈、帯には「≪孤独な娘≫よ、わたしを助けて、わたしを助けて」とでっかく書いてあってこれまたなんだかさっぱりわからないインパクトがあるのでそれを買って、通勤用に読み始めた。

とんでもない本だった。

孤独な娘 (岩波文庫)(ナサニエル・ウェスト)

冒頭、主人公の孤独な娘(というのはペンネームだ)は、新聞社の一室で読者の悩み相談の原稿を書くのに苦しんでいる。社名からここはニューヨークだとわかる。

悩み相談といっても、どうも日本の新聞のやつみたいに、1対1の形式ではなく、複数の手紙に対して1つの回答を書くもののようだ。

ささっと背景が説明される。

新聞社の売り上げ向上策のひとつとして読者にインタラクティブな幻想を抱かせるために作ったコーナーで、社内ではジョーク企画として扱われていること、適当に宗教的な美辞麗句をちりばめた総花的な回答を掲載すること、主人公の若者(ペンネームは孤独な娘なのだが、男だ)は牧師の息子でそれなりに宗教的素養があることから雇われたこと、時代は大恐慌が落ち着いたとはいえ、まだまだ不景気で職につけたということだけでめっけものなので、是が非でもこの職にしがみつきたく感じていること、などなどだ。

彼はとりあえず手紙をいくつか読み始める。

お産が重く次に妊娠したら命が危ないと医者に言われて、夫にもう子供は産ませないと病院で約束したのに退院したらすぐに約束を破られて、また妊娠してしまった女性から、どうすれば良いのか? という質問(彼女はカソリックなので堕胎はできない)。

16歳の女の子の自分もほかの子のように遊びたいのだが、生まれつき顔面が陥没しているため両親以外からは人間扱いされていなくて生きているのが辛いという質問。

13歳の妹がアパートの屋上である男によからぬことをされたので妊娠が心配だが、母親へ言うと逆に妹が折檻されることがわかっているので困っているという15歳の少年からの質問。

読まされたこちらがどよーんとするのと同様に孤独な娘も打ちのめされてタイプする手が止まる。

そこに上司がやってくる。ぱぱっと手紙を眺めてぽいっと投げて、いかにもでたらめな美辞麗句をふんふん口述させる。後は自分で考えろといって出て行く。

この上司はこの後も出ずっぱりなのだが、実に軽薄にしてスマート、知的にして無慈悲な、ニューヨーカーだ。

孤独な娘は、牧師の息子ということだけで雇われた(本人に宗教的な気持ちはまったくない)ので、最初は上司とウマもあって、適当に書き飛ばしていたのだが、徐々にアメリカ1930年代を覆う空気のうち読者たちの側に精神を同調させはじめている。

1955年の翻訳ということで、ジーザスクライスト! と罵るのだが、「ちぇっ」と訳してルビでジーザスクライストと書き、訳注でイエスキリストの意味と説明してある。

古い翻訳だが抜群に日本語がうまいので、一体誰が訳したのかとあらためて表紙を引っくり返して丸谷才一と知る。そりゃうまいはずだ。

丸谷才一は中学生のころ、笹まくらを読んで心を揺さぶられたが(元々はNHKラジオの朗読の時間で聴いたのだったが、結局本で読んだ)、日本語のうまさ(語彙選択のセンス)は圧倒的だ。

笹まくら (新潮文庫)(才一, 丸谷)

(太平洋戦争を徴兵忌避者として切り抜けた男が、戦後もなにかからの逃走者として絶えず不安な人生を送る(その象徴が笹まくら――藪での青姦――という雅語)様子を描写することで、近代的自我が持つ不確かな現実感と表面的な平和の裏にある暴力の予兆に対する不安を象徴させた作品、お、さすがに読後30年もたっているだけにすぐさま教科書的な解答が書けたぞ)

そこで読者はジーザスクライストがキーワードとわかる。

最後の章に至るまで、孤独な娘の魂の放浪が続く。仕事(実質的な仕事、つまり宗教的な美辞麗句を垂れ流す、ではなく、魂の救済を求める読者からの真摯な声に応える、という徐々に芽生えて来た主人公の気分のこと。このネジレが本書のテーマとなる)に対する葛藤から就業放棄して寝込んでみたり、酒場(本来の当時のアメリカ人の読者にとっては自明なことに禁酒法時代なので、特にそういう説明はないのだが、訳者がうまく処理しているため、読者のこちらも自明に禁酒法の下ということがわかる)で上司や同僚と酒を呑んで暴れたり、公衆便所に潜む同性愛者をいたぶったり(kill by numbersってこういうことなのか、とえらく納得した。down in the parkだ)、婚約者をいじめたり、上司の奥さん(を誘惑し|から誘惑され)たり、外交官に捨てられたせいで不具者と結婚した女(ここにもドラマがある)の悩みの手紙を個人的に解消させてしまったり、また寝込んだりする。

その合間にも職場に行って手紙を読み、上司が持ち込んだ手紙を読まされる。

肩幅の広い女(これも聖書にある言葉なのだろうか?)からの手紙がインパクトが強い(翻訳もうまい)。

そういった外界のできごとに応じて、孤独な娘は世界を否定したり、寛容になったりするが、最後、巌のような心の持ち主となり、すべてを受け入れられるようになる。そして、キリスト! と叫びひと悶着あった末にあっけなく死ぬ。

もちろん、ジーザスクライストの受難物語の1930年代アメリカ版を意図したものだろう。

作者は30代まで極貧(といってもパリへ遊学したりしているが、文学者として生計をたてようとしたから極貧になったと考えても良いのだろうな、というか1920年代に文学者が食べていくのはどう考えても大変なことだろう)、後にハリウッドに招かれてシナリオを書くようになり、そこで結婚、やっとのことでとった長期休暇で奥さんとドライブに行って奥さんともども交通事故で死ぬ。

この作品は解題しているやつによればブラックユーモアだそうで、確かに書き方は内容が異様なまでに深刻であるにもかかわらず滑稽な表層を持つ(これも丸谷才一のうまさが光っている)。が、そういってしまうと新約聖書もブラックユーモアということになってしまう(という読み方も確かにできなくはない)。

確かに岩波文庫に収まるにふさわしい文学の傑作だった。

が。

#コミットしてこの日記の題を見て思い出したが、元々はイリアエレンブルクを持ち出して第一次世界大戦のアプレゲールな気分(世紀末が何事もなく過ぎ去ったら、世界の終わりが待ち受けていたという衝撃)についてヨーロッパとアメリカの違いについて考えていたのだが、それは忘れていた。


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