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日々の破片

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2008-10-09

_ 文化大革命

妻が撮り溜めしてあったビデオを飯食いながら見てたら、えらく感動してしまった。

あまりにも出来過ぎているから、もしかしたら新説あるいは珍説かも知れないが、それにしても説得力があったからだ。

その時歴史が動いた「ひらがな革命」

正直最初は大して興味も持たずに見ていたのだが、大好きな曹丕の「文章は経世の大業にして……」が出てきたので、思わずまじめに見始めたところ、菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。

発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠むに長け、あっちに美女がいればあっちへ出向き、こっちに美女がいればこっちに出向き、歌を贈ってはねんごろになるという堕落者である。親父のコネで出仕したのは良いけれど、どう考えてもあそびをせんとや生まれけむな男である。

一方、道真は毎日漢文を読みあさり、勉強しまくり、家族を顧みず、という生活。それでも和歌に心を動かされることもあるが、ひらがなで書かれたものをいちいち漢字で書きなおすという硬骨ぶりを発揮する。真の漢は漢字を使い、ひらがななどでは文章をなさないのだ、という確固たる信念あり。

さて、官僚はときどき配置換えをすることで、見識をむりやり広めたり妙な縄張りを作れないようにしたりすることは、平安時代でも行われていたわけで、菅原道真も四国の長官に赴任することになる。

そこで驚いた。住民はみんなぼろを着て、字(道真にとっては漢字のこと)も読めずもちろん書けず、どこかへふらふらいなくなってしまう。

律令制度は土地を国家が持ち人頭税を徴収することを基礎としているから、食えなければ逃げるしかないからだ。

これはいかん、と菅原道真は考える。

農業を育成するには、土地に人を縛る必要があり、土地に縛られていれば逆に落ち着いて文化を甘受することもできる。つまり、律令制度には致命的な欠陥がある。つまり、人頭税だ。(戸籍制度が適当だから逃げられる時代はその致命的欠陥は国家にとっての問題ではあるが、戸籍制度ががっちり組まれるとその致命的欠陥は国民のものとなるのだろうな、と恐怖を覚えたりもするのであるが、それは余談と予断)

こういうときこそ、中国に聴け、と菅原道真は考える。拝外主義者である(ひらがなを絶対使わないわけだし)

かくして都へ戻って遣唐使を出そうといろいろ進めていくと、中国の情報が入ってくる。黄巣の乱というのがまきおこっていて中国の政治状況がおかしくなっているらしい。

うむ、律令制度の本家もだめなのか。

愕然とする道真。

しかし、学があるということは良いことだ。

自ら新たな政治の枠組みをついに考えだす。

それが、地代だ。すでに荘園の萌芽があるが(班田収受の法から時代もたっているわけだし)、それを利用し、土地に税金をかければ良いのではないか。

さっそく建白書を作り新たな税制を作り、人頭税を廃止し……

そこに貴族が猛然と抗議をするのは当然であるが、そうは言っても国家存亡の危機にまで実は国家財政が傾いているので、そのあたりはなあなあにできそうではある。

しかし、道真改革に対して、猛然と反旗を翻したのは他ならぬ部下の官僚たちであった。なんと、学問の王様の道真ともあろうお方が、われらが模範たる先進国、中国由来の律令制度を否定するとは、四国でおかしな食い物でも食ったのであろうか?

かくして日本で最初の公務員によるゼネストが敢行されてしまい政務がストップしてしまう。

予算審議の最中に政治の空白が生まれる状況の始まりである。

官僚がそっぽを向いてしまうとどうにもならないので、それまで女遊びが過ぎるとして軽く見られていた藤原時平(道真の右大臣と並んで左大臣になっていはいるが遊んでばかりいるので誰からも相手にされていなかった)にみんなの注目が集まる。国家存亡の危機なのはさすがに殿上人にもわかっている。下級役人にもわかっている。

さて時平も困った。

が、女心を自在に操るまでに至ったこの男、状況把握のセンスがある。

とりあえず、まとめると

・人頭税をやめて土地に税をかけるべき(学問の神様の結論なのだから正しいと考えるべきだ)

・先進国中国由来の律令制度を変えるということは、官僚たちの知的基盤、あるいはアイデンティティの破壊となるので、それは不可能だ(というか実際に政務が滞っている)

つまりジレンマですな。

しかし、と、時平は考える。これがジレンマになるのは、後者の代表が前者を持ちだすことの不整合に由来しているのではなかろうか?

そこでまずは道真に退場を願うことにして、うまいこと九州へ追い出した。ストを打っていた官僚たちも、土地に税をかけられることに戦いていた貴族たちも大喜び。

再び、しかし今度は時平を中心に政務が回り始める。

しかし、と、時平は頭を悩ます。へたすると結局道真と同じわだちを踏むことになるからだ。いずれにしても、道真改革は実行しなければならないわけで。いくら自分が大貴族の御曹司といったって、部下の官僚がストを打ったら手も足もでないのは、あの誰もが尊敬する道真が手も足も出なくなったことから明らかだ。

そこで、しょうがないので打開策を探るために勉強をしていてふと気付く。この漢字の塊のような文書群が、官僚たちを中国万歳、先進国の成果を後進国は受け入れていればよいのだ、という安易な考え方のもとになっているのではないか? っていうか自分の国のことは自分の頭で考えろよ常考。

そういえば、故郷のお寺の教えに、やまとことばはことだまでどうしたといかいうのがあったが、じっさいのところ、われわれがはなすことばとかくことば、これのかいりがかんりょうたちに、みょうなこていかんねんをうえつけていると、かていしよう。

そんな仮定ができるのは、この男が恋歌ばかりを作っていて、試験勉強のために漢文を詰め込まなかったからだろう。つまるところ、時平は他の官僚や大臣と異なり、漢字にも中国にもこれっぽちも未練はないし自身のアイデンティティもないのだ。

まずは、この国はこの国、やまとのくにだということを世に示すことから始めよう。そうすれば自ずと道は開けるに違いない。

そこで、天皇に歌はいいですよいいですよと吹き込み(おそらく財政問題のこともあり、醍醐天皇と時平は共同戦線を張っていたのは間違いないだろうと思う。道真追放にも醍醐天皇が積極的にかかわっていたようでもあるし)、歌集の作成の許可を取り付ける。次に、下級役人の中でも特にばかにされまくっている平仮名遣いを集めてきた。紀貫之たちだ。

まあ、というわけで、おれはひらがなで歌われる歌の良さを広く世に問うことにした。おまえらがんばれ。

なんと、自分たちの文学に初めてお墨付きを得られるとは! 紀貫之たちは感動してさっそく歌探しの旅に出る。足かけ3年かけて地方の旧家に残る文書やら木簡やらから歌をいっぱい集めてきた。

しかし、困りましたぞ、と貫之たち。

何が? と時平。

出てくる歌はみな、恋の歌ばかり。これではかっこがつきません。

うーん、と時平。恋の歌は良いものだが、確かにそれでは、説得力がないなぁ。やまとのくにはこいのくに、というわけにはいかんだろうし。

おおそうじゃ、と時平は面々を見て気づく。おまえらが作ればいいじゃん。

なんと、われらが作った歌をわれらが選んで載せて良いのですか?

だって、おまえらしかいないじゃん。

大感激した紀貫之たちは、歌詠みの本領発揮しまくる。ひらがなだからこそ可能な掛け言葉やらおのまとぺやらを駆使して、季節の歌やら風景の歌やらを作りまくる。

かくして、古今和歌集が完成した。

おお、これは読みやすい、と天皇も大感激。

さて、欽定の歌集とあれば、これこそ我が国の文化の道標、それまで漢文にあらずんば文にあらず、とひらがなをバカにしていた貴族も官僚もみな古今和歌集を読み、ひらがなに親しむ。いやぁ、恋とは良いものですな、いやいや季節のうつろうさまもまた良いものですよ、という調子だ。

いや、わたしは漢文以外は文とは認めませぬというのは、官場においては新しき文化の風潮に乗れぬ愚か者ということとなった。

さらにこの文化風は吹きまくり、寝殿造りのような建築分野、十二単のようなファッション分野にまでおよび、国風文化とまで呼ばれるまでに至った。

さて、諸君、我が国の財政は危機に瀕しているのはみなさん先刻御承知の通りだ。律令制度はしょせん外国の制度に過ぎぬ。我が国には我が国の美しい文化があり、それにみあった制度があるべきではなかろうか?

うむ、そうかも知れませぬの。

かくして、時平は無事、律令制度からのランディングに成功したのであった。

そのころ、九州の地で道真は辞世の歌を七言律詩で書いていた。

本日のツッコミ(全13件) [ツッコミを入れる]
_ きしだ (2008-10-09 06:32)

番組みてないので、一気によみました。おもろかった

_ arton (2008-10-09 11:09)

無茶苦茶おもしろいよね。時平って家柄に頼って道真を讒言した単なる悪役だと思ってたけど(そう思われることには全く無頓着みたいだけどそれが家柄ってことなのかな)、この解釈だとやたらといかしてるし、こりゃ紀貫之も頑張るだろうなぁ。

_   (2008-10-10 02:49)

面白かったー。<br>日本の歴史を知らんのが恥ずかしいわ。<br>とりあえず小学生向けの日本の歴史コミック的なものから読み返します。

_ はら (2008-10-10 07:54)

artonさんの解説を読めてラッキーだった。やっぱエロは国家を救うってこと?

_ はぶあきひろ (2008-10-10 09:05)

おもしろい! 是非番組を見たいと思いました。感謝ですm(__)m<br>やまとのくにはもえのくに、ですかね〜(w

_ arton (2008-10-10 10:21)

そこ〉ラブソングしか集まらない は番組の隠れた山場で本当はもっとおもしろいんですよ。くそまじめなナレーションで「しかし彼らの前に思わぬ難問が待ち構えていた」と来て引っ張るから。

_ arton (2008-10-10 11:18)

というか、立案は固く適用はえろくが治世の要諦ってことか。

_ あんあん (2016-09-19 22:46)

なにも、人頭税を土地からの税に変えることは<br>菅原道真が考えたことではなく、<br>道真の80年ほどまえから大宰府で実施されよそでも<br>まねされている「公営田(くえいでん)」の制として<br>ちゃんと実施されているのですよ。<br>太宰府天満宮のいつもの大嘘つきが考え出したほら話ですよ。<br>この番組を解説していた平田耿二(こうじ)なる学者も、<br>「消された政治家 菅原道真」文芸春秋(2000)という本では道真が人頭税を土地からの税に変えようとした、などと<br>文書に残るのでは、さすがに学者生命に係るとおもったのか<br>そんなこと一言も書いていず、土地からあがる税にしたのは<br>道真よりもっと前からある大宰府で実施された「公営田(くえいでん)」であることを記述して、その考え出した人の名前も<br>ちゃんと記述しています。<br>それに道真は淫靡な男で、子供が23人もいる精力絶倫男です。

_ あんあん (2016-09-19 23:48)

道真は、配流の後、大宰府で行われた事情聴取に<br>自分で進んでしたのではないが、源光だったかだれかの<br>誘いを断り切れず、といって謀反の企てがあったことを<br>ほのめかしています。時平公が先手をうって早くことを運んだので、証拠が残りにくかったのではないですが。<br>それに讒言などといわれていますが讒言文書なるものをよむと<br>道真はことばは(辞は)順(素直)、こころはその逆、そんなことはみんな知っているんだぞ、とかかれています。<br>そこらへんが本当なのではないですか?

_ あんあん (2016-09-28 14:22)

前回の文、訂正します。源光は時平公サイドのひとで、道真配流に協力した人でした。道真が謀反を起こすように誘ったのは、おぼろげな記憶では、源のなにがしかと思いますが、いま資料がないのでわかりません。あしからず。それと、道真が遣唐使の廃止<br>をしたのを、道真が「もう、唐から学ぶことはない。」としてと一般に流布されていますが、道真の遣唐使廃止の上奏文には、そんなこと一言も書かれていません。唐が危険になってきてるんだじょ。あぶないんだじょ。 公卿、博士みんなに、話し合って遣唐使の可否を決めてもらいたい、国の大事にして<br>独り身の為のみにあらず、且つはかんせいの陳べ(誠心を陳べ)伏して処分を請う。謹みてもうす。と国の大事でひとり<br>わたくしのためのみではない。と自分のためが前面に出て、それを(私事を、自分のことを)国家のことにすり替えている、そんな文章です。道真の進言とか建議とか言われていますが、<br>読んだ限り、愁訴、哀願と言った方が適切だとおもいます。<br>道真より前小野篁が遣唐使に行くのを拒否して処罰をくらったから、拒否したらヤバいとおもって意見書のようなかたちをとったのではないかともおもいます。それに道真は讃岐守に任命されたとき、ある宴で「行きたくない。京を離れるのはいやだ」と言って、衆目の面前で泣き崩れるという醜態をさらしています。また、良官で知られる藤原保則が讃岐守の前任者だったのですが、保則は「新太守(国守)は現代の大学者であるが<br>(ちょっと道真を立ててやっているとおもう)その内の志を見れば、まことに危胎の士(危険な人物)である」と評しています。実際、讃岐守になった道真は、役人(官僚)ならば民衆が<br>苦しんでいるのを、策を立てて、実際に動いてやらなければ<br>ならないのに、趣味の漢詩で、民衆がかわいそうだと、詠う<br>だけだったといいます。私がもっている百科事典の道真のところには「彼の治績にはとくに目だった点はないが」とか、道真が配流の罪に問われたことについて「道真が全然無実であったか否かは、わずかに疑問のてんがある」と書かれています。<br>それはそうでしょう、道真配流の後の、大宰府での事情聴取で<br>「みずから進んでやったことではないが、誰それの誘いを断れなくて・・」と天皇廃立の企てがあったことを告白しています。

_ あんあん (2016-09-28 14:59)

それに、「その時歴史が動いた」の道真の番組では、道真の政治家としての業績は、「消されたんだ」といっていますが、消されたのならわかるまい、とおもうのですが、巧みな番組の作り方で、消されたんだ、といいつつこんなこともやった、あんなこともやった、とやけに詳しく、道真の功績なるものを述べている(宣伝している)変な番組です。けされたのなら、そんなことは解るまいとおもうのですが・・・。<br>それに道真の業績を消すなら、道真が配流される前年(900年)、道真の文筆活動、仕事の集大成である菅家文草(漢詩と文章から成る)をまず最初に消す。よって菅家文草なるものは、今この世に残ってはいません。それに、なんでも漢詩や<br>文章にする道真のことだから、それほどに政治改革に意欲を<br>燃やしたのなら、そのことを述べた漢詩や文章が菅家文草に<br>残っているハズなのに、そのまま残っているとおもわれる<br>菅家文草に残ってはいません。これは、道真が政治改革など<br>したものではないことを物語っています。道真は守旧派で、<br>道真が政治の場からいなくなったことで、政治家として<br>優秀な(有能な)藤原時平公と醍醐天皇の息の合った(ウマが合った)行政改革・政治改革が速やかに展開した、というところが本当のところでしょう。

_ あんあん (2016-09-28 15:35)

それに、「その時歴史が動いた」の道真の番組では、時平公<br>の政治上の功績・業績(醍醐の治)は道真が考え出したことの(改革の)焼き直しに過ぎませんでした、時平公がやったことは道真の考えたことのレールの上をなぞっているにすぎませんでした、といっていますが、時平公が道真の考えた通りのことをやったというのなら、道真が考えたという税制改革(課税<br>を人にかけることから、土地にかけるものにかえること)を<br>時平公がそのまま醍醐の治で行っていなければならないのに、<br>醍醐の治で、課税を人から土地に変えるなどという施策が行われたなんて記録はありません。<br>それに、道真が問民苦使を派遣しました、と番組をみていると<br>問民苦使なるものを道真が考え出したように錯覚させる作りに<br>なっていますが、(たしかにその頃派遣さえているようですが)問民苦使なるものは、奈良時代からある制度で、道真が<br>新しく考え出したものでもなんでもありません。

_ あんあん (2016-10-10 08:37)

道真を醍醐天皇廃立の謀反の企てに誘った者の名前がわかりました。源善(よし)でした。よろしくお願いします。


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