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新国立劇場小劇場で焼肉ドラゴン。新国立劇場のアトレという月刊誌でやたらと取り上げているので、なんか観ないわけにはいかない気分にさせられて観に行った。
なるほど、これは実に良い演劇だった。
開演前から劇場内は焼肉の匂いが漂っているし、舞台上手の焼き肉屋ではおっさんたちが楽器を鳴らして昭和歌謡大会をしているはで気分は確かに1960年代末期(ちょうどおらは死んじまっただー、でこれは友人がレコードを持っていたので、1968~9年と知っている)の雰囲気が濃厚。
1970年のこんにちはが舞台なのかと思ったら、1969~1971の2年間の物語だったのだった。
ブルーライトヨコハマとか伊勢佐木町ブルースとか、焼き肉屋の3女(歌手志望)が歌いまくる。
哲男という次女の結婚相手があまりにも乱暴で気分が悪いのだが、物語が進むにつれて実はインテリ(学問修めたからってどうにもならんのはおれを見りゃわかるだろう、というようなセリフがある)で、共産党に加わったり、各種の解放運動や労働争議を戦ってきたということがわかり、社会の壁やら長女との心の行き違いやらから自暴自棄となっているのだなと理解できたときには、別れは近い。
最後、北、南、日本(少なくとも親元ではない)に3人の娘が別れていくが、なんとなく哲男の性格と来し方から、すくなくとも主体思想全盛の北ではそれなりに出世しそうに見える(正日時代になるとどうだかはわからんが)のが救いのような気がしないでもない。
屋根の上からの光景が2回語られる。最初はほぼ説明抜き、次は細かく説明で、特に2回目のシーンは1回目の思い出が残っている状態で演じられるだけに美しさがすごかった。父親役のイヨンソクという役者は抜群だ。
シナリオは緩急自在、笑わせるところは徹底的に笑わせる。特に終幕の太陽の塔のおみやげとリヤカーの2連発は死ぬかと思ったし、繰り返しギャグ(親友と抱き着くとか、碁盤ひっくり返しとか)も冴えている。
これは確かになんども演じられる傑作だと得心した(難点があるとすれば昭和歌謡が完全に過去のものとなったときに、コンテキストが消え去ったときだろう。もっともアリラン以外の韓国民謡は知らないわけだが、観ていて退屈するわけでもなんでもないので、問題ないのかも知れない)。
これまで知らなかったが、済州島の虐殺(米軍と李承晩による。日本はこれについては関係なさそう)に軽く触れられるのだが、台湾の2.28と同じく、日本撤退後の旧植民地での権力闘争は熾烈だったのだな(日本では表立っては血のメーデー、レッドパージと山村工作隊闘争くらいしかなく、虐殺レベルの問題は起きなかったのはラッキーだったのかも知れない)。
妙にテンポ感が異なる指揮者で序曲(とは言い難い短さだが)からびっくりというので、ものすごく楽しみにしていたのだが痛恨の極みで、いつも通り14:00からだろうと13:30くらいに着いたら、なぜか13:00開演で既にミミが歌い始めていた。結局、モニターで女神のあたりから聴いて2幕から入場できた。
噂のテンポ感については、ムゼッタのワルツがびっくりするほど(確かにびっくりさせられる)ゆったりとしたワルツではなくレントラーかというような(レントに引っ張られているのであって、本当にレントラーの速度かどうかはあまり関係ない)速度だが、歌手(伊藤晴)がちゃんとついていっているのも凄い。結果として限りなく甘美な歌となって、これはどれだけ固く石のように冷え切っているマルチェッロでも振り向かざるを得ないだろうと舌を巻く。逆にマルチェッロのおれの心はまだ熱いが相当薄まってしまったような気はする。
3幕も実に良い。
ガンチのロドルフォは実にきれいな声で抜群。
4幕、それまで他の歌手に比べて声も低いようなどうにもいまひとつに感じていたミミ(マリーナ・コスタジャクソン)も良く、ちゃんと一幕から聴いていなかったせいで気分的に受け入れられなかったのかな? と思う。
それにしてもこの演出(というよりも今回の字幕、いつもと変えているとは思えないのだが)のショナールの「もって半年だな」とか、いろいろショナール(駒田敏章)が目立つ。
目立つだけに、それまで気にしたこともなかったが、プッチーニが脚本にいちいちダメ出ししまくったという逸話とあわせて、ジャコーザとイリッカが本当にいちいち余計なことを言って不快な野郎だから音楽家は一言多いダメ男にしてやろうと相談してああなった(が、コリーネに諭されて改心するわけで、ここにも実は何か実際のエピソードがあるのかも知れない)のかなぁと考える。
いずれにしても、どうにも、これまで観たどのラボエームよりも素晴らしかったように感じるだけに13:00開演を逃したのは痛恨の極みだ。
シャンテの最終回でウェス・アンダーソン。予告編でもう一人のアンダーソン(多分、三銃士しか観たことないが、こちらも良い監督)の映画についてデカプリオが野郎の映画は実に良い(演じていて抜群)みたいなことを褒め称えていた。
同じアンダーソンでも片やイギリス出身の職人娯楽作家、片やテキサスというイメージからはまったくアーティスティックではない地域出身の野放図作家とえらい違いがたまたま同じスクリーンで出て来るタイミングの妙がおもしろい。
ザ・ザ・コルダの物語は1950年バルカン半島上空で始まる。今は存在しないユーゴスラビアをフェニキアと読み替えることで好き勝手な絵が書ける舞台を用意したのだろう。
ザ・ザ・コルダは超大富豪であらゆるいかさま、かけひきを使いまくって、自分の富を最大化することに賭けている。
おもしろくないのはアメリカで、アメリカの産官陰謀団はザ・ザ・コルダを破滅させるために、ビスの価格を100倍に釣り上げる。
かくしてザ・ザ・コルダは計画中のフェニキア縦断鉄道(巨大トンネル)、大ダムなどなどの建設コストを負担しきれなくなり破産寸前と同時に世界中(どうやら元従業員連中の恨みをかっているらしく、主体はこの連中)から刺客が送り込まれているため、相続をさせるために一人娘を呼び出す。
それと同時に友人のギャングや親戚からフェニキア計画に対する出資額の増資を求めに娘と各地を旅する。
というのが大筋で、小ネタとして、一人娘はどうやら今は亡き(死亡理由はザ・ザ・コルダ自身による殺害、自殺、コルダの兄弟による殺害などいろいろ語られる)妻がコルダの兄弟(「伯父さん」という言い方をしているが、娘の伯父さんという意味だと思うが、別にコルダ自身の伯父であっても全然どうでも良い)と浮気して生まれたらしく、コルダに全然似ていなくて、伯父と目がそっくりという設定がある。
また、コルダと子供たちに昆虫について教える科学者の家庭教師(途中から秘書の役回りもする)と娘の恋愛や、家庭教師が実はアメリカの産官連合のスパイという設定もある。
が、
そんなことは全然ウェス・アンダーソンの興味の対象ではない。単にそういうシナリオにすれば好き勝手に撮りたいシーンが撮れるからそうしただけなのだろう。
というわけで、
飛行機が刺客が仕掛けた爆薬によって空中分解しそうになると、コルダ自身が操縦席の副操縦士の席に陣取り、文句を垂れる操縦士を空中に射出(タイミングが抜群で、あっけにとられるのが、おれにはルビッチの天国は待ってくれるの、閻魔大王が小うるさいおばさんを地獄へ送るシーンを想起する)する。このシーンは2回反復される。よほど本人、気に入ったのだろう。
最初のクレジットは固定した天井からの真っ平なコルダの入浴シーン(ただし、画面下手下で、何かいろいろ看護士らしき人物の妙な動きがあったりするのだが、細かくてよくわからないが、しょせん細部だからどうでも良い)。
こんなあほうな撮り方は初めて観た。延々と続くので笑いださずにはいられない。
とにかく冒頭から舞台セットがシンメトリー。これが爆発的におもしろくなるのはトンネルに入っていくところなのだが、最初の出資者の説得はバスケットボールの2on2だが、ここでは相手側の技を撮るのが楽しかったらしく、最後の決めのところは存在しない。
最高なのは、ザ・ザ・コルダが底なし沼にはまって助けに行った家庭教師ともども灰色の石地蔵になっていることろで、どう考えてもこの石地蔵を撮りたかったのだろう。そこからどうやれば石地蔵(ちょっと八甲田山を想起する)を作れるかを考えて、底なし沼を思いつき、底なし沼にはまったシーンとして単に首だけ出している(まるで肩まで入浴みたいだ)シーンを考えついたのだろう。というわけで、唐突にザ・ザ・コルダが娘と家庭教師を置いて歩き出し、何か声がするので二人が後を追うと、底なし沼に首だけ出ている(もちろん首から上はきれいな状態)入浴シーンとなり、家庭教師が助けに行ったかと思うとそのまま沈んでしまい、次には石地蔵が二人となる。もう一人のアンダーソンであればスリル満点の活劇シーンとなるところだろうが、こっちのアンダーソンの興味はそこにはない。なんて自分勝手な野郎だ。抜群におもしろい。
時々入るモノクロのシーンは適当やっているのだろうと思ったら、実はちゃんとシナリオ的に意味があり、金のことしか頭の中にない修道院長かな、に、臨死体験(しょっちゅう死にかけるのだ)でいろいろ思うところがあるというセリフで引用される。
最後はザ・ザ・コルダは奴隷に富をのような正道に目覚めて町のレストランを娘と一緒に経営する(家庭教師は娘と婚約する。指輪もちゃんと偽物ということでシナリオとしては一貫性を持たせているのがおかしい)。
席を予約したときはガラガラだろうと思ったが、日曜の20時の回とは思えぬほど人が入っていて驚いた。やっぱりおもしろい映画は人を呼べるのだな。
シアタークリエでジャージーボーイズ。
以前日生劇場で観たのとは舞台装置が異なって、ミラーボールの代わりに客席などが映るモニターが上手下手と上部にあり、3階構成となっている。
とにかくゴールディーの音楽が良いのでそれだけで楽しいのだが、フランキーのファルセットを鼻にかけて歌うことで再現しているのはちょっと辛い。
以前ニック役だった人がトニー役になっていて、これは良いトニー。一方ニック役の人が小柄でがっちり型でイメージとは違うのだが、逆に強そうでこれまた良いニック。
とにもかくにも実に楽しめた。
家族で豊洲のユナイテッドシネマでヒックとドラゴン。
Ⅱのアイスクリーム屋が閉店するというので食べに行くことにしたのでついでに観ることにした。
アイスクリーム屋はおいしいし、それなりに盛況だし、なぜ閉店と思わないでもないが、とにかく店員が少なくて品出しに1人取られるとクープする係とレジ打ちが1人なので全然列が進まない。持ち帰り専門(ただし脇に椅子が数脚ある)なので回転率は良いはずなのだが、ここが問題で、結局のところは人手不足による閉店なのではないかなぁ。
数日にかけて何種類か食べたが桃のソルベに桃の果肉がトッピング(ストロベリーアイスクリームであればストロベリーがトッピングというような同族の組み合わせみたいだ)のやつが抜群に美味しかった。
ヒックとドラゴンはアニメ版を先日ミュンヘンへ行く帰りの飛行機で吹き替え版で観たのだがあまり音が良くなくて聴き取りにくいところがあったことは別とすれば、とれも良くできたアニメだった。あのてのやつに良くある(というのは映画、ビデオ層ということなのだろう)、ちょっと仲間うちからはみ出したやつが、はみ出しているだけにみんなの困りごとを別の方向から解決してヒーローになる(チキンリトルとかズートピアとかベイマックスとかたくさんある)パターンの物語だ。というわけで、実写版も良いものであろうと観ることにしたのだった。
で、アニメと今回観る実写でそれなりに変えているのかと思ったら、どう見ても全く同じで再現力がすごいというか、脚本=監督がアニメで完成しているのだから実写であっても変えないという強い意志で作ったのだろう。と、ほぼすべてアニメ版と同じだが、1点、ドラゴンを撃退する方法の1つにマタタビがあったと記憶しているのだが、実写版では綿毛を使っているので、ここは変えたのかな?という点はあった(マタタビはドラッグと意味的に同じになるので子供用実写映画としてはよろしくないなど理屈は考えられる)。ただ機内環境から聞き取りにくかったし画面も小さかったので本当にマタタビだったかは自信ないが。
物語の主軸は暴力で敵対勢力を片付ける方法の守旧派に対して、敵対勢力の敵対理由を知ることで共通の敵を見つけ出して解決する(ということと、実は敵対勢力と考えていたものがそうではなく協調できる相手であるということを認識する)というのをバイキングのリーダー(強い)の息子(ひ弱)という親子関係の悩みと、敵対勢力のドラゴンと仲良くなることで協調関係を作るということ、あと強くて自分の代わりに次期リーダーになりそうな女子に対する恋心を成就させてしまって良かったねの3本柱で実装している。
この仲良くなる(そもそも自分が怪我をさせて動けなくなっているのを餌付けするという、よくよく考えてみると卑怯な感じもするが)ドラゴンが、黒くて顔ぺしゃんこで口が広くて爪じゃなくて歯がここぞという場合以外は引っ込んでいて、おでこに手を当てると静まって、口の端というか頬を撫ぜると喜ぶ、何から何まで猫なのがとても良い。多分作者は猫飼ってるだろうと親近感まで湧きまくりなので観ていてハッピーだ。
原題がHow To Train Your Dragonで、全然ヒックとドラゴンではなくて、まるでマイスタージンガーのワルターのマイスターの歌の題のような直截さなのもおもしろい。
あと、アニメは吹き替え版で観たので気づかなかったが主人公の名前はヒックではなくヒカップで、語呂的にも意味的にも大きくは外してはいないのがおもしろかった。
結論からいくと怖い映画は大しておもしろくなかったが関連したやつはおもしろかった。
まずは『コンジアム』。始ると日本語を喋るので字幕版に変えようとしたが(おれは読むのは超速いし読解力は人並み以上だが、聞くのがものすごく苦手。このあたりもあって洋画は全然OKなのだが吹き替え版と日本の映画は古典以外はほぼ観ない)、吹き替え版しかない。が、乗りかかった船なので我慢して観た。
モキュメンタリ―っぽく、韓国版ユーチューバー6人のチームが廃墟となっている精神病院を探検して皆殺しになる話だが、興味津々なところ(機材の使い方とか、いかにビュー数を稼ぐために仕込んだり、ビデオを構成したりとか)はあるものの、肝心なホラーとしては最後の3つ前くらいの部分を除くと別になんだこりゃという感じでいささか拍子抜けだった。
特にドラマツルギー的にだめだろうと思ったのは、一番可愛い看護士さん(当然、この人を主役にするのだろうと観ていた)が後半ほとんど出ずに(というのはユーチューバーとしては大した能力が無いからなわけだが)、いつの間にか殺されていることだった。が、考えてみたらおれがかわいいと思うかどうかと、インプレを稼げるかどうかは別だな(と、物語のメタ構造もドラマのうちなのだろう)。
次に『箪笥』を観た。妻によれば定評があるホラーらしい。
どうにも、「となりのトトロ」の5年後みたいな人物設定だなぁと思いながら観ているわけだが、観始めてすぐに、ポランスキーの『反撥』か? と思春期の少女の妄想話だなぁと感じてげんなりしたが、乗りかかった船なので最後まで観た。しかもなんか『君たちはどう生きるか』のようですらある(単に継母ものだからそう感じたのだろうが)。
最後まで観て、やはりとなりのトトロの5年後+反撥だなぁと(であれば、となりのトトロや反撥を見直したほうが良いし、見たこたないから悲しみよこんにちはを観たいなぁとか)しか感想がない。
つまらなかった。
最後に『Exit』、これはおもしろかった。
パニックもの+パルクール(というかボルタリング)なのだが、主人公がこのタイプの映画で途中で滑落死はありえないとわかっていても、見せ場の作り方がうまいし、最後に二人(主人公の無職青年と、大学時代の後輩(かって無職青年が告白して振られた))で手に手をとってパルクールしていくところはとても良い。
パニックの作り方が、猛毒ガスが徐々に下から上に昇ってくるので、8階建てビルから10階建てビルに飛び移って、10階建てビルから15階建てビルに飛び移って(というほど単純ではなく、防毒マスクをつけて地上を駆け抜けたりいろいろある)と、パルクールとパニックものを見事に組み合わせているのには感心した。
ただ、主人公の親類縁者の無能っぷり(ギャグ要素要員たち)がさすがにうざったいのが難点だが、ドラマ的には必要なのだろうからしょうがない。
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