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日々の破片

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2015-05-28

_ 謎の独立国家ソマリランドを読んだ

とんでもなくおもしろかった。なんとなく海賊の話なのかと思ったら全然違った(というか、ソマリアはソマリアと考えていた時点でおれは間違っていた)。

ソマリアは南はイタリアによる典型的な旧型の植民地支配、北部はイギリスによる現地人による新型の植民地支配だったのが、1960年に独立を認められて、南北対立だの隣国との戦争だのを経由して現在に至るという国だ。

で、筆者のルポルタージュで、イタリアとイギリスの植民地経営の違いが影響して、平和で安心な北のソマリランド(独立国家として機能しているが国連からは認められていない)と、戦国時代の南のソマリア共和国(火事場泥棒的な独立プントランドを含む)に分かれているというのが明らかになる。

(2012年が最新情報の本なのでそれから3年たった今がどうなのかは別問題)

要は、ソマリア共和国の北側はソマリランドという名前の独立国を名乗っていて、そこでは平和な民主主義国家が築かれているというわけのわからない情報があって、そこをルポライターの興味で訪問して、本当にその通りでびっくりし、当地のジャーナリストたちとの交流により、なぜそういう不思議な国家が成立しているのかを明らかにしていく、というのが本書の骨子だ。

それだけで十二分におもしろいのに、実際に現地で過ごすことにより知りえた(および知りえない)情報をルポルタージュとして再構成することで、ソマリ人の生活、各氏族の生活と信条、アフリカの歴史、政治というものの成立事情(民主主義と独裁のそれぞれの持ち味)が明らかになっていく。

特に、金勘定を主体に物事を決めて行った結果として、世界でも類を見ない(少なくとも比較対象となる日本よりも)民主主義を回す国家が成立して運用されているというのが、すさまじくおもしろい。

最初、妙にはなにつく昭和軽薄体な文章でちょっと辟易したが(本の雑誌社の本なのか、と読み始めてから出版社を知った)、すぐに慣れた(が、ビールを飲みたいだの、面倒なことが書いてある部分はやはり慣れないが、にもかかわらず、私的体験を通じて実情を活写するというそれはそれで優れたルポルタージュ手法と考えれば納得はできる)。また氏族をわかりやすくするために戦国時代(鎌倉時代を含む)武将に例えるのは、最初ばかじゃないかと思ったが、これは実にわかりやすかった。おかげで、氏族の名前よりも武将のほうで覚えてしまった(が、読者としては全体の傾向を把握すれば十分なのだからそれで良いのだろう)。

謎の独立国家ソマリランド(高野秀行)

以下、興味深かった点。

・ソマリランドの国民は、即断即決、遅延なく物事が進み、これがアフリカか? と驚きの連続の入国からの数日。(その後、だんだんと何もしない午後というのが見えてきたり、いろいろ)

・ソマリアの語尾のアは、イタリアのアと同じ。なるほど。

・根っからの遊牧民(位置448)。なるほど。西欧もアジアも、国家は農民主導で作られていく(鉄・銃・病原菌)のだが、ソマリランドは積極的(主体的)に独立国家を作ろうと遊牧民が取り組んだという点で類例が無いのだな(たまたまチンギスハンという強い人間が次々と諸国を降参させていって元という国家となったというのとは違って(なので空中分解する)、国家として体制を維持しようという主体的な取り組みがあるという点で画期的)。それがさまざまな文化として立ち現われてくるのが実におもしろい。

・20%を支配者に支払うことで庇護されるという点で、税金の原初の姿があるのがおもしろい(位置4361)。

・一番偉いのは氏族の長老だが、長老には何の力も無い(交換可能)。力があるのは総体としての氏族。

・戦争が好きな氏族(北部)は、戦争とは賠償金による経済的決着だと知り抜いているので、戦争は起きずに金で解決する。戦争を好まない氏族が戦争を始めると交渉を念頭におかないので大虐殺などを起こして収拾がつかなくなる(南部)。

・イスラム原理主義者はマオイストに近い。目からウロコ。マオイストならわかるので、なるほど感がすごい。辺境の被差別民ほどマオイスムのよき支持者となる(カンプチアがそうだった)。原理主義の厳しい戒律は、辺境の被差別民にとっては単なる日常の延長に過ぎないとか(むしろ戒律に従わない都市部住民に対してルサンチマンを爆発させることの引き金となる)。

・海賊がビジネスとして成立できているのは、氏族間戦争での捕虜交換による金銭交渉と同一ルールなので、まったく違和感が無いからだ(ソマリランドでは国家が海賊を認めることはないが、プントランドでは大統領の氏族が海賊だとかいろいろ)。

・途中で海賊のビジネスをビデオ撮影したら海外の放送局に高く売れるだろうから、実際に海賊するには幾らくらいかかり、どのような手順となるのかを、プントランドで知り合ったジャーナリストたちと見積もるところがあるが、むちゃくちゃに面白い。見積もりだ! そこから得られた知見として、石油タンカーの運航状況を把握していて、ある程度の資本があれば、海賊によって莫大な利益を上げられるということ(というよりも事実)。これなら、噂のように日本人を含む海外の人間(組織暴力団である必要は一切なく、個人ベースで十分)が海賊のスポンサーとなっているのは間違いなさそうだと納得するところ。

・アラブ人の犬嫌いの理由を悟るところは想像もつかなかっただけに驚いた。

ソマリランド、おもしろいなぁ。


2015-05-24

_ 新国立劇場のばらの騎士

これは素晴らしかった。感動した。

ケチをつけようと思えば、元帥夫人のアンネ・シュヴァーネヴィルムスがいまひとつぱっとしない(歌が。しかし元帥夫人の立居振舞として、3幕はそれは見事なものだった。また黒い衣裳が実に合う。これこそばらの騎士の元帥夫人だ)し、3重唱に入る前に何か声質が変わったような妙なところがあったりしたが、それにしてもびっくりするほど良い舞台だった。

まずオクタヴィアンのステファニー・アタナソフが良い。まさにオクタヴィアンだ。ゾフィーはまあゾフィー。特筆すべきはオックス男爵のユルゲン・リンで何は無くとも声量が豊かなので説得力がありまくる。

というわけで一幕はさすがに2重唱はきれいなのだが、いまひとつ元帥夫人がぱっとしない感じで退屈だったものの、2幕は男爵が出てからのうっとおしいところも含めて見応え十分、3幕は圧倒的で最後は見事なまでに感動的。

以前、なんか妙な前奏曲だなと思ったが、さすがにシュトラウスの話法は大体わかってきたので、これがオクタヴィアンだということはわかるようになって、するとなんのことはなく最初から下世話な楽劇だなぁと感じる。パパラッパーパパパーが若さに任せて猛進するオクタヴィアンで、バラを渡すところに顕著に出てくる(その後、3幕でゾフィーと元帥夫人の間でおろおろすることろでも流れまくる)ピンポンパンポンみたいなのが混乱しているオクタヴィアンなのだな。順序が逆だが、アラベッラの3幕の前奏曲と同工だということは、オクタヴィアンその実体はマッテオなのかぁとか。

実に良い舞台だった。


2015-05-23

_ メトのカヴァレリアルスティカーナと道化師

東劇でメトライブビューイング。アルヴァレス(アルゼンチンの人らしい)をトゥリッドゥとカニオに配したカヴァレリアルスティカーナと道化師を観る。

最初はカヴァレリアルスティカーナ。ファビオルイージの指揮が、最初はえらくゆっくりと、しかしだんだんとうまく高揚させていき、最初から期待させる。

演出は両方ともデイヴィッドマクヴィカーで、メトだから全裸はないだろう程度のつもりで観始めたら、これは抜群だった。

カヴァレリアルスティカーナでは黒い長方形の一段高い場を設けて、そこが広場にも、教会にも、トゥリッドゥの酒場にもなる。回りに椅子を配したり、椅子を上に上げたりして、最低限の舞台装置を使ったヴィンラントワーグナー風の演出なのだが、細かな目配りが聴いていて、美しいメロディーにあふれているが単調でどちらかというと退屈な作品に非常な緊張感を与えている。衣裳は黒。男は黒い帽子に黒いスーツで、女性も黒い。

イタリアピアノ名曲選集―ヴェルディ、プッチーニ、マスカーニ、ドニゼッティ 全音ピアノライブラリー(ヴェルディ/関 孝弘)

(間奏曲の元ネタが収録されているらしいので買ってみた)

特に1幕が始まる前のローラのことを歌ったそこだけシチリア風らしい歌の前後で、男女3人のダンスが行われるのだが、拒否と罠と絶望がモチーフだと読解したが、それが抜群にうまい。

カヴァレリアルスティカーナは裏切りと復讐の物語なのだが、先日子供と話していてサンタの裏切りの物語ととらえていて驚いた。言われてみればそういう要素はあるのだが、おれにはトゥリッドゥの裏切りの物語だからだ。当然、ローラの裏切りの物語と観る人もいるのだろう。それだけ裏切り合えば血を見ないはずがない。

というわけで、ファビオルイージの指揮、マクヴィカーの演出、エヴァ=マリア・ヴェストブルックのサンタ、アルヴァレスのトゥリッドゥ(それから黒人女性だと思うのだが、アメリカ人名だったローラと、トゥリッドゥのママも)すべてひっくるめて、これまで観た聞いた中で最上の出来栄えだった。あと、アルフィオを演じたジョージ・ギャグニッザ(以前、スカルピアで観て、とんでもないハンプティダンプティだが、逆にその体型のせいで堂々と傲慢な立居振舞となって印象深いが、良く見たら名前もジェームズキャグニーみたいな良い名前だ)の堂々たる馭者も良かった。結局、すみからすみまで良く、マスカーニを見直す。

Lodoletta(Mascagni/Tavolaccini/Campora/Paoletti)

(カヴァレリアルスティカーナでは単調極まりないオーケストレーション(弦、弦、ハープ、弦、弦、ハープ)が、ロドレッタになると文句なく新イタリア楽派の重鎮と呼べるすばらしい音楽となっていた)

で、道化師。同じくマクヴィカーだが、今度は打って変わってベリズモ。馬に乗ってラセットのネッダが登場(しかも横座り)、トラックが着く広場、舞台小屋、派手な衣装、ボードビリアンを3人使ってトニオやネッダをサポートさせる。シルヴィオはマーロンブランドが港湾労働者をやっていた映画みたいな感じで、1950年代あたりを舞台にしたのだなと感じる(というか、幕間にそういう説明があったような気がする)。

マクヴィカーの演出はカヴァレリアルスティカーナに比べると力量の70%で鼻歌混じりに作っているような感じだ。が、元々抜群に音楽そのものが優れているのでこれで良いのだろう。リラックスした楽しめる舞台でありながら、それだけにカニオがもう道化師じゃないぞと開き直るところは圧倒的だ。まさに迫真の演技、静かに、泣ける、だ。

トニオがアルフィオに引き続きギャグニッザで、少しもトニオではないと思ったが、あの奇妙な体型でネッダに言い寄るところはそれはそれで抜群の説得力だった。

それにしても、ついさっきまでマスカーニも悪くないなと感じていたのに、いざ道化師の最初の音が鳴ると、彼我の才能の差は明らかで残酷なものだ。

レオンカヴァッロの才能は、言葉と思想と音楽の一致で、音楽の瞬時の気分の切り替えにあるのだと思う。その切り替えに最初に目をみはるのが、トニオの前口上の途中なのだが、最初から完成され過ぎているのが不思議だ。

ヴェリズモ・オペラ・アリア集(プッチーニ/ツァンドナイ/アルミリアート(マルコ)/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ管弦楽団/フレミング(ルネ)/ヴィグヌデッリ(バルバラ)/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ合唱団/チャコン=クルス(アルトゥーロ)/カウフマン(ヨナス)/サイトウ・カオル/ラティス(エマ))

(この中にザザという後年のレオンカヴァッロの作品のかわいい天使さん、お名前は? という曲が収録されているのだが、実に素晴らしい曲(ルネフレミングの声はあまり好きではないので、このCD自体はほとんど聴かないのだが、この曲だけは何十回も聴いた)。一度だけ新国立劇場のミニオペラみたいな企画で上演されたことがあるらしいが是非とも観てみたいものだ)


2015-05-19

_ レ・ミゼラブルを観る

随分前に子供がDVDで買ったレ・ミゼラブルを一緒に観た(子供は映画館にも行ったはずだが、おれは初見)。

ミュージカルとして音楽のできが良いのはCDで何度も聴いていたから知っているわけだが、映画としては以前たださんが炎上したのを眺めて、それほど期待はできないのだろうなという気はしていた(とは言うものの、映画鑑賞者としてのたださんのベクトルとおれのベクトルが全然違う可能性はあるので、観ないことにはわからない)。

Les Miserables 10th Anniversary Concert(Various)

(赤と黒の歌とか好きだが、全然、スタンダールとは関係ないのだった)

ミュージカル映画としては以下は良かった。

・ガブローシュが象(象のでかさは映画だ)から出てきて去るところまで。ただし、映像のテンポはいまひとつ。

映画としては以下は良かった。

・テナルディエが登場して次々と抜いていくところ。もう少しつなぎが良いともっと良い。それに対応してジャンバルジャンがコゼットを貰い受けに行って抜かれたのを次々と抜き返すところ。ここは映画だった。

・ジャンバルジャンが身分証を破り捨てた後、カメラがどんどん引いていくところ。おもしろい(が、エシャーの塔みたいに仕掛けておくともっとおもしろそうだ)

どうもおれが大して好きではない音楽の箇所は、映画作家にとっても好きではなく、同じく観ている人も好きではないと判断したらしく、まじめに映画を撮ることにして(音楽を聴かないと前提して)、誰もが好むきれいな音楽の箇所は、映画を撮ることを放棄した(誰もまじめに映画を観ないと前提して)としか思えない。生産性は高いが、そういう産業映画を作ったのだなという感じだ。

それにしても、ミュージカルなのに行進シーンが無いのはひどい。少なくともラマルクの葬列からバリ封するまでのところは歩けるのではなかろうか。

その点については、愛と誠のほうがよほどミュージカルとして優れている。

愛と誠 コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]

途中マリウスとコゼットがお互いの名前を知り合うところは、濡蛙の語らいみたいでちょっとひどい。

せっかく、ジャベールの最初の歌では足を踏み外すことなく高いところを歩くことで信念の人だということを示しているのだから、実際の物語では自殺だとはいえ、せっかく橋の上をふらふら歩かせているのだから、対比として足を踏み外させてしまえば良かったのにと思った。

それはそれとしてヒュージャックマンは良い顔で、これなら適当に引いてヒュージャックマンだけを映していればそれで十分だったように思う。

レ・ミゼラブル ブルーレイ [Blu-ray]

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_ ただただし [炎上なんてしてないよ!www]


2015-05-17

_ グエルチーノを西洋美術館で見る

子供と上野に行ってグエルチーノを見る。誰だそれ? と聞いたら向うも知らないらしい。混んでるのかな? と聞いたら、有名じゃないから空いてるんじゃないかという。

で、行ってみたら、それなりに人は入ってはいるが、それでも美術館で美術を見られる程度に余裕の空き方だった。

で、チェントだのボローニャだの書いてはあるが、どういう文脈でこんな聞いたこともないやつの展覧会をしているのだろうと思って、冒頭のあいさつ文とか読んだら、自分の不明を知るばかりであった。

2012年にチェントで大地震があって、郷土の誇りのグエルチーノ(ここまで読んで、単なる田舎画家かと思ったが、それもあとで覆されることになる)の美術館が半壊して復旧の目処が立たないので、各地を巡業しているのだそうだ。西洋美術館にはゴリアテの首を持つダビデを所蔵している関係からも当然のようにグエルチーノ展を開催するということだった。同じ地震国で美術の保存が難しい国同士、交流しましょうみたいな言葉も書いてある。

3つおもしろい点があった。

まず、構図のうまさで、そこら中に三角形がある。特に見事な三角形(を作るためにちょっとキリストが傾いている)復活後のイエスとマグダラのマリアの画を、隣の部屋の壁に開けられた窓から最初見て全体の三角形の美しさにほおなかなかの画だなと思って近寄ると、イエスの傷が実に上品だったりするのだが、ベラスケスが見に来て影響を受けたらしいとか書いてあって、えーベラスケスの三角形に影響を与えた人なのかと驚く。確かに色彩の強弱と構図の巧みさは見事なのだが、それを確立した側の画家だったのだ。

次に作風の変化として、だんだん、巫女さんやクレオパトラとか女性が一人でいる画が増えていくのだが(ということは、そういう画の注文が多いということなのだろうけど)、すべてがすべて斜め上を見ている。それが余りに妙なので、過去の作品に戻って見直すと、斜め上に木枠のもの(文書なのか鏡なのか)や、幼子イエスや、天使がいるのが、そのまま単体作品にも利用されているのだ。この構図でしか書けないのか? と思うと別にそういうわけでもないので、写実的な絵画を壁にかける人が、目線を合わさなくても済むようにしているとしか考えられず、それがおもしろかった。レーニという当時のライバルの作品も展示されていたが、こちらの女性も斜め上を見ていた。

最後に、几帳面な弟が注文と売掛回収簿みたいなものをつけた(弟が死んだ後は本人がつけたらしい)が残っていて、それの分析結果が書いてあるのだが、サイズと中に書かれた人間の人数と頭、胸から上、全身といった構成要素によって価格が決められているということと、20から40歳までどんどん価格が上がっているのが、40後半から価格が下落している(若手の台頭に対応するためというような説明があるが、おそらくカストロ戦争などの影響で支払い側の懐事情もあるような気がする)ということ。システマティックな価格付けや、年齢による価格下落というのがおもしろい。最初のほうにも、価格を値切られたらしく脇役の2人は弟子が書いたという説明付きの画があったりして、今となっては芸術だが、当時は完全に産業なのだということがわかっておもしろい。弟子の書いた2人の脇役のうち1人は手に聖痕があるので聖フランチェスコだと思うのだが(というのはその直前の画の説明で、聖痕があるので聖フランチェスコとわかると書いてある)そちらは単に弟子がふざけて書いただけでフランチェスコとは認められていないのかな? とか不思議に思った。

聖フランチェスコの聖痕だけでなく、いろいろお約束があって、鍵を持っていればペテロ、車輪があれば聖女カタリナ、ラクダの毛皮(というか茶色い毛皮で十分なのだろう)をまとっていれば預言者ヨハネ、白い鳥は聖霊(左にイエス、中央に白い鳥、右に父なる神という三位一体の画があるのだが、右が単なる爺さんにしか見えず相当不思議な感じがしたのだが、このあとも神を描いた画はどうにも良くない)、なかなかおもしろい。ビジネスなので記号を利用することで生産効率を上げているのだなと考えると、カトリックのイタリア(でもこの頃はガリバルディより前だからイタリアという国家意識はかけらも無いと思う。南はスペイン領で教皇領がどーんとあって、ボローニャやらヴェネツィアやらマントヴァやらの公国に分断されているからだ)の17世紀(江戸幕府の成立ごろの時代を生きた人だ)の合理性というのが良くわかっておもしろい(ガリレオの裁判と同時代の人なのだ)。

ちょこちょこ画の脇に書いてあるエピソードもおもしろいものがあって、ある画は、注文と異なるサイズで書いてしまったため、受け渡し日の前日に気付いて1晩で仕上げた。そのため、自由な筆致であるとか書いてあってそんなに早く書けるものなのかとか。また、当時は良い画を描くと、そのコピーを欲しがる人がいるので、元の注文主の許可を得て、引渡し前に弟子にコピーを作らせるのだが、偉い人にコピーを所望された場合は自分で描いたとか。靴屋は靴を作り書記官は筆写し画家は描くだなぁ。

と、知らないことばかりで実に楽しめた。

・若い頃の2つの作品は顔料に何かを混ぜていないので透明化して木目が出たというのと、修正前の足が出たというのがあって、若い頃は技術的に未熟だったのかなぁとか。

・奇跡を授けている像の左側に暗く祈る像があるのはそういう効果だと説明しているけど、これも透明になって祈っている像が出てきてしまっただけじゃないのかとか。

・ルクレティアの画を描いてくれと頼まれて描くと、血が出ていて気持ち悪いから修正してくれと頼まれて修正した(当時は血なまぐさいのを好まない客が多い)というのがあったが一体なぜそもそもルクレティアを注文したのかとか。

・セバスチャンって矢に射られて殉教したと思っていたら、この時代では矢は急所を外れて助かったことになっていて、癒されている画が多数作成されたとか描いてあっておもしろいなぁとか。

・グレゴリウス15世は在位2年で死んだから、まるで皇帝ティートのように悪い噂が無いのかなぁとか(グエルチーノは一緒にローマへ行っている)

・カストロ戦争の難を避けるためにボローニャからチェントへ戻ったというようなことが年譜にあったが、カストロ戦争ってなんだろう? (検索しても、キューバのカストロばっかり引っかかる)

・それまで単に普通の画を天井に設置していたのを天井画として描いた嚆矢らしいが(という説明がある)、天井画はないので良くわからない。ただ、妙に下から見上げた視点で描いた聖母昇天があって、構図無双だなとは思った。


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