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日々の破片

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2015-03-28

_ イオランタと青髭公の城

メトライブビューイングの2本立て。

イオランタはすっかり貫禄がついたネトレプコでチャイコフスキーでそれほど期待していなかったのだが、えらく良かった。

特に第五交響曲最終楽章みたいなメロディの二重唱はあまりの素晴らしさに心が揺さぶられまくる。

ベチャワが光ある世界の美しさを歌うと、ネトレプコが光のない世界の美しさを歌う。なんてコレクトなんだ、19世紀なのに。その詩の正しい美しさを歌うネトレプコがまさに天使で歌っている間は恰幅のよさもなにも目に入らずただただ音楽がある。つくづくすごい歌手だなぁ。

最後ルネ王が1人闇の中に取り残される。

青髭公の城は聞き慣れたブーレーズの演奏と異なりやたらと豪快。ゲルギエフ。演出はいささかこりすぎで、幕間にイオランタの後日談を意図したと演出家が語っていたが嘘だな。メトの予算でプロダクションを作りたかっただけだろう。もちろんオペラ史上最大の傑作なだけに悪くなかった。

青髭公の城の7つの扉は青髭公の精神を示す。最初の5つについては、青髭公はあまり抵抗せずにユディットに鍵を与える。6番目を見た後のユディットの態度に対して7番目は自ら開く。キーは6番目の白い水を湛えた湖の部屋にある。拷問部屋、武器庫は青髭公の怒、宝物庫と花園は喜、領土は楽で、これらはいずれも他者の血の上に築かれたものだ。しかし6番目の湖は哀で、ここが青髭公の絶望的な孤独を象徴する。その部屋だけ血が流れていないのは、そこには青髭公の存在しかないからだ。

しかしユディットにはそれがわからない。彼女は浅はかな誤読をして7番目の開放をねだる。彼女は城に光を入れるのだと最初に宣言している。青髭公は孤独を分かち合えるのではないかと期待していたのだ。だがそれは裏切られる。

青髭公は4度目の絶望の果てにユディットを7番目の部屋に封印する。この部屋は失われた信頼であり、後悔であり、愛の残骸なのだ。

ベーラ・バラージュの台本は明解そのものだ。

メトの演出は青髭公の絶望ではなく何やら謎めいた恐怖感に基づいた物語を語っていてそれほど感心しなかった。ただし、前口上(やたらと紳士淑女の皆様方が出てくる)付きの完全版だったのはこれまで耳にしたことがなかっただけに良かった。

バルトーク:歌劇《青ひげ公の城》 [DVD](ショルティ(サー・ゲオルグ)/バルトーク/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団/コヴァーチュ(コロシュ)/シャシュ(シルヴィア))

(演出はあまり感心しなかったので口直しに買い置いておいたレーザーディスクを開封して観たらなかなか良かった)


2015-03-26

_ 今日のカルチャーショック: アメリカでは店の名前を使わない

ARTSが作った電子レシートの標準がいまいちなので、修正案を作ろうと検討していたら、店に関するエンティティに名前がないことにおれも気付いた、みんな気付いた。店に関するエンティティは、識別子(まあ必要だ)、電話番号、住所なのだ。企業名はもちろんあるが。でも名前がない(追記:あくまでも電子レシート標準の定義の話で、店名という概念が無いわけではないです)。

識別子があるから名前はいらないんじゃないか? と考えたが、いや待て、これはレシートでコンシューマリーダブルな必要があるじゃん。

たとえば手元にガトーフェスタ・ハラダのレシートがある。

最初にビットマップでロゴが打たれている。パティスリークリエーション ガトーフェスタ ハラダ。

次に店の名前と電話番号がある。シャトー・デュ・ボヌール 0274-xxx。幸運のお城が店の名前だ。識別子は印刷されていない。

で、次に群馬県高崎市新町とか住所がある。

で、ご来店がどうしたとかの宣伝文、そして日付、時刻、明細とくる。

なんかアマゾンの価格は高いな。

ガトーフェスタハラダ グーテ・デ・ロワ ホワイトチョコレート 簡易大袋 W5 10枚入

幸運のお城に行けば製造工程や機械が見学できて楽しいから、直接買うほうが良いな。

というのはどうでも良くて、店の名前が出ている。

ファミリーマートのレシートを見ると、先頭がFamilyMartというロゴだ。次に北青山三丁目店と印字されている。店がついているのだから、これは店名だ。

で、東京都港区どうしたと住所と電話が来る。

つまり、少なくともレシートのエンティティには店名が必要なのだ。

が、なんでARTSのスキーマには店名が定義されていないんだ? と全員、首をひねる。

そういうときのGoogle画像検索だ。

receipt templateで検索すると出てくる。うむ、店の名前は無いぞ。まあ個人商店は企業/ブランド名(上の例だとFamiliy Martとか、ガトーフェスタ・ハラダとか)が店名と等しいかも知れないから、店をたくさん持っているやつで調べなければ、と、ウォルマートを調べてみる。

……店識別子らしきものが出ているし、マネージャ(売り場主任か、店長かは知らん)の名前もある、住所、電話も当然ある。しかし店名がない(ウォルマートのレシート)。

いや、それはウォルマートはどの店でもウォルマートだからではないか?

では、ターゲットはどうだ? バーンズアンドノーブルならどうだ? と検索すると(それにしても、誰かしらレシートの写真をアップしているやつがいるのは実にありがたい)、……店の名前は無い。

もっと、高級なやつならどうだ? デパートとか。

では、ノードストロームだ。

高級なだけに簡単にはレシートの画像も見つからないが、結局順に見ていくと10何番目あたりにレシートの画像が出て来た。(最初に出てきたのは、固有情報を墨塗りした写真で、客の意識も相当高級っぽい)

でも店名は無い。

ノードストロームのロゴと、出店しているモール名(住所のうちだ)、住所、電話番号だけ。どう見ても店の名前は無い(ペンタゴンシティファッションセンターのノードストロームのレシート)。

なるほど、確かにARTS-NRFの電子レシートのスキーマに店名が未定義なのもむべなるかな。

多分、と誰かが言う。モール名があるし、いらないんだよ。

たとえば、新宿ルミネにノードストロームが入っているとするじゃん。このレシートなら、先頭がノードストロームというロゴ。次に新宿ルミネ、そして住所と電話。必要十分な情報じゃん。

とはいえ、日本だと、先頭がロゴは良いとして、次に新宿ルミネ店か新宿南口店と店名が来て、そして住所。住所の最後が新宿ルミネx階とかが来る。そうか、モール名とかビル名が最初に来るアメリカだと、新宿ルミネ店、新宿ルミネ ……と並ぶことになってくどいから店名省略なのかもとか、いくら考えてもなぜ連中は店名を使わないのかわからない。

もしかして、そういう概念がないんじゃないか? たとえば、会社で会議するときもすべて識別子で、フェニックスの018055の売り上げ目標は……とか。いや、データモデルそのものには名前がエンティティとして定義してあるからそれはあり得ないだろうとか、意外なところに日本との違いが見つかっておもしろい。

というわけで、ARTSに修正を依頼することになるのだが、なぜ日本はそんなことを言い出すんだ? なんでレシートに店の名前が必要なんだ? おかしいんじゃないか? そんなのスタンダードではありませぬとかの問答となるのが目に見えているのであった。

で、なぜ日本では店名をレシートに印字しているんだろう? 店に来ているやつは、北青山三丁目店に来ているのではなく、ファミリーマートに来ているという意識しかないはずじゃん。(でもシャトー・デュ・ボヌールはシャトー・デュ・ボヌールと意識しているかも、というのが高級店なら……という論議につながるわけだが、アメリカ人には通じないようだ)

というわけで、おもしろかった。

追記)

帝国兵氏から、COSTCOのレシートには店名があることを教えて頂きました。

(この例だと、カークランド店 008(多分、店番号=店の固有識別子)という意味のはず)


2015-03-25

_ マウスを買いまくる

MacBook pro用に使っているLogicoolのマウスのチャタリングが耐え難いレベルになってきたのと同時にアマゾンのLogicoolショップのポイントキャンペーンが目に入ったので、買うことにした。

今まで使っていたM505が小型だけど適度に重くて持ちやすかったので似たようなサイズのM185というやつにした。

LOGICOOL ワイヤレスマウス M185 レッド M185RD

が、軽い。悪くはないが軽い。それになんか持ち心地も良くない。

LOGICOOL ワイヤレスレーザーマウス Unifying対応レシーバー採用 M505 レッド M505RD

M505とサイズは似ているが電池が1本しか入っていないからだ。脇にラバーが貼られていないのも減点ポイントだ。でも安いからしょうがないか。それにiTunesとSafari用だからいいかな。それにしても、チャタリングがひどくなったから捨てることにしたとはいえ、M505は持ち心地も良かったし、実に良いマウスだった。

で、それと同時に、コンピュータ用のマウスも買ったのだった。今使っているM560が今一つだからだ。

LOGICOOL ワイヤレスマウス m560 ブラック M560BK

M560は、購入時に入手可能だったある程度握れるサイズのマウスでグリップ感も良かったとは言え、やはり軽い(単三電池1個)のがどうにも気に食わなかったのだった。

LOGICOOL マラソンマウス M705t

M705は電池も2本入るみたいだし、Logicoolっぽい左右非対称のデザインなのも気に入った。

で、チャタリングがひどくてすぐさま交換したM185と違って、こちらは電池がなくなってから交換しようと(M560はチャタリングが出ているわけではないので、予備としてしまっておくつもりで)そのままにしていたのが運の尽きだった。

翌日になってみると、向井さんがエルゴノミックマウスについて書いていて、ついそれを読んでしまった。

しかも『緩募:エルゴノミックマウスのおすすめ』を『エルゴノミックマウスをおすすめ』と読み間違えて、ほうそんなに良いものなら試してみようとEvoluentを買ってしまった。

Evoluent バーティカルマウス4 右利き用 VM4R

届いてから、あれ尻尾が生えているとか、尻尾が生えているから電池が不要で……ということは無茶苦茶軽いとか、いろいろ失敗気分になったが、手を置いてみれば見事にはまるし、使ってみるとボタンの押しやすさが圧倒的で、特にホイールの使いやすさは最高ではないか。軽すぎるのは、確かに軽すぎるのだが、形状のせいかすぐに慣れてしまった。

これは確かに良いものだ。

というわけで、せっかく購入したM705は当分の間、出番なしになってしまった(尻尾付きマウスは大切に保存しておいてもケーブルが硬化して使いにくくなるものだが、ワイヤレスだからまあ大丈夫だろう)。


2015-03-22

_ 3/21は休みだった

そろそろ薬の残りが少なくなったので、かかりつけの医者へ行って処方箋をきってもらおうと、出かけた。

が、開院時間になっても鍵が閉まっている。おかしい。

でしばらくしたら、内側でがさがさ音がしているのが聴こえたから、ははぁ寝坊したなと思いながら、もう一度自動ドアの押手を押した。

しばらくしたら、下着のようなTシャツを着た医者が出て来た。

なんか妙な出で立ちだなと思っていたら、「頼むから休みの日くらい休ませてくれよ」と言い出した。

はて面妖な。

「今日は第2土曜日(が休院なのだ)ではないですよね?」

「きみぃ、今日は国民の祝日だよ!」

衝撃の事実。だが確かにその通りだ。

「なるほど。ごめんなさい」

「しょうがねぇなぁ」

で、結局、問診して処方箋をきってもらったのだが、矛先が振替休日に向かう(おれが、土曜日と祝日が重なったら金曜日に振り替えりゃ、忘れなくても済むんだけどな、とか言ったからだ)。

「そもそも、あれは愚劣きわまりない。」

「そんなこたないでしょ」

(はて、このおっさんは別に右翼保守主義者というわけではないから、大日本の国民の祝日をないがしろにする愚策であるとか言い出すとは思えないからだ)

「まあ、医者に限っての話だけどな。あれのおかげで若い医者は月曜日のバイトが年間10%もできなくなるんだよ。結構な痛手なんだ。金ないからな」

「はあ、そうですか」

「というわけで、処方箋を渡すが、今日は薬局も当然休みだから、4日以内、つまり月曜に行くことになるけどな、ははははは」

そんなこたないだろうと薬局に行ったら、確かに休みだった。

_ デンドンデンドンデンドン

子供がもう一度マノン・レスコーを観るから新国立劇場に送れというので、車に乗って初台へ向かう。妻も一緒だ。

車内で子供と間奏曲の最後の動機が、2幕の最後の二重唱の最後のあたりでも出てくると話す(カーステレオからマノン・レスコーが流れていたからだ。この前車に乗ったのが、新国立劇場からの帰りで、実に良い曲だったからあらためて聴いてみようとセットしたのが、そのままになっていたのだ)。

プッチーニ 歌劇《マノン・レスコー》ミラノ・スカラ座 1998年 [DVD](ムーティ(リッカルド)/プッチーニ/ミラノ・スカラ座管弦楽団/ミラノ・スカラ座合唱団/グレギーナ(マリア)/クーラ(ホセ)/ローニ(ルイージ))

(ホセ・クーラが素晴らしい。もちろんムーティも悪くない。しかし聴けば聴くほどグレギーナの声質はマリアカラスみたいだ(が、カラスではない))

で、スターウォーズと連呼していたら、子供がふと思い出したと言い出した。

「パーンパー・パパパパーンパー・パパパパンのあと、デンドンデンドンデンドンとか間違って教えられたけど、どうしてそうなった?」

「?」

どうも、小さかったころに、妻がそう教えたらしい。

「どう聴いてもデンドンデンドンデンドンとか無いし。低音がきいた打楽器っぽいけど、どうして?」

「だって、デンドンデンドンデンドンってなるじゃない」と妻が言う。が、それはおかしい。多数決は正しい。

それから数時間して、いきなり理解した。

「お前(と、妻におれが言う)、宇宙つながりで、スターウォーズと2001年宇宙への旅をごっちゃにしたんじゃないか?」

「ほえ?」

「リヒァルトシュトラウスのツァラトゥストラかく語りきじゃん。デンドンデンドンデンドンって」

「ほえ?」

「チャーンチャーチャーン、チャチャー、デンドンデンドンデンドン」

「む、そうかも」

「いや、間違いなくそうだよ。っていうか他にデンドンデンドンデンドンなんて重低音が鳴り響く、お前さんも知っている、映画の音楽なんかないよ」

と、謎が解けた(実際のところはわからないが)。

R.シュトラウス:管弦楽曲集(9枚組)(Richard Strauss:Orchestral Works)(R.シュトラウス/ルドルフ・ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン)

(おれはケンペが好きだ)


2015-03-19

_ マノン・レスコー

3/14は新国立劇場でマノン・レスコー。

やたらとFBで広告していたり、前々回くらいからホワイエでチケットを売っていたり(普通はしない)していたので、よほど客入りが悪いのだろうと思ったら、これらの施策がきいたのか、ほぼほぼ満員だった。

考えてみると、マノン・レスコーは原作を読んだことはないので、おれが知っているマノン・レスコーはマスネーのマノンなのだった。

すると当然、プッチーニのマノン・レスコーは知っているマスネーのマノンと比較してみることになり、プッチーニがどういうふうに有名かつ名作な先人の作とは切り口を変えているかに着目した見方となる。

1幕は同じように馬車の駅だ。だが、どちらかというとマノン一行側から描いているマスネーと異なり、デグリュー側からの描き方だ。1幕でしか出て来ない、学友がデグリューの一目惚れを応援するために、マノンの兄貴やジェロントを出し抜く。

演出はシンプルな舞台に18世紀初頭っぽいコスプレ。

1幕の演出で妙に目についたのは、兄貴が学生たちのカード賭博に仲間入りするところで、「おいおいそれはジャックだ」と当てて見せて、それに対して「まぐれあたり」「なんだあのでしゃばり」とか言う声に対して、カードをヨーヨーのようにシャッフルしてみせる(妙な小道具を作ったものだ)。すると学生たちが「見てみろ、やつはプロだ」「やつは本物だ」と言い出す。なんだこの演出は? と思っていたのだが、そこもマスネーのマノンとの差なのだった。

マスネーのマノンでは兄貴はとても影が薄い。それに対してプッチーニでは兄貴はむしろ一番出ずっぱりで、マスネーではデグリューの大勝負が3幕の見せ場になっているのに、プッチーニでは2幕で兄貴がマノンに、「やつは心を入れ替えて稼いでいるのだ。おれの仕込みだ、間違いなし。そうさ賭場はおれらの金庫さ」とか言わせて済ませている。そこで1幕のカードのシャーカシャーカが生きてくるのだろう。

が、1幕を観ているとあまり感心しない。

プッチーニのメロディー作りは既に素晴らしいのだが、歌がオーケストラに完全に殺されているからだ。弦と木管が鳴り響いているところに歌が入って消されてしまう。

なんだ、あのすばらしい作曲家も、まだまだこのころはこんなものなのか。

マスネーでは2幕が一番の見せ場(でもないかな)で、デグリューとマノンの貧乏だけど幸福な生活(なんとなく、神田川っぽい)が描かれて、そこに小さなテーブルが入る。

ところが、こちらはいきなり天蓋付きベッドの豪華な部屋でマノンがとてつもなく化粧している。

すでに貧乏生活から脱出してジェロントの庇護下にいるのだ。そこに兄貴がやってくる。

突如、マノンがあの人と暮らしていたときは良かったわみたいな歌を歌い出す。なんと素晴らしい曲、さすがプッチーニと思っているとあっという間に終わってしまってえらくもったいない感じがする。ここでマノンを演じているヴァッシレヴァが素晴らしく美しい声の持ち主と知った。

その後も、だらだらと退屈な生活が進んで一体どうなることやらと思う間もなく、兄貴に呼ばれてデグリューがやって来るわ、そこへジェロントがやって来るわ、さっさと逃げようという兄貴とデグリューに対して、宝石を持ち出そうとマノンがだらだらするわで、憲兵にマノンは連行されてしまう。途中でデグリューとマノンの二重唱がメロディーは名曲のように感じるのだが、やはりいまいちオーケストラが強すぎていまひとつだ。特に歌手がフォルテで歌うときに金管入りで弦が一緒にフォルテで演じるのはばかじゃないのか?(ふと思ったが、天幕の向うに反響版を置けばもっと声が通るはずだからシンプル過ぎる舞台にも原因があるかも知れない)

3幕はルアーブルで、マスネーの終幕にあたる。比較的長い間奏曲があって、後半の楽想はスターウォーズのパーンパンパパパパーンパンみたいなのだが、それはともかく実にきれいな曲で、もしかしてマスカーニのカバレリアルスチカーナ(1890年に対してマノンレスコーは1893年)の成功を見てきれいな間奏曲は受けると考えたのかなとか、思った。

それにしても、兄貴もデグリューも良いが、マノンの歌手が素晴らしい。

しかし、それにしてもイタリアのオペラでフランスを舞台にしたらパリをパリとして異国情緒たっぷりに作ってしかるべきなのに、単なる室内劇にしてしまうとは、何考えてんだ? と感じたが、多分、誰もが感じたし、作曲家も感じたのだろうか、次の作品ではトーマスマンが絶賛するほどパリを描くことになるのだったな。

そして4幕はマスネーには存在しないアメリカの荒野をさまようシーンとなり、ここに至ってはじめてオーケストラと歌の釣合が取れてくる。指揮者でもオーケストラでも歌手でもなく、作曲家のオーケストレショーンがまともになったのだ。弦の合奏だけにしたりして、歌が歌として聴こえるようになる。

感動的な音楽の中でマノンは死ぬ。と思うと歌い出す。ついに死ぬ。と思うと歌い出す。そして息を引き取る。と思うと歌い出す。いい加減にうんざりしてくるとようやく死ぬ。と思うと歌い出す。

まるで、ベートーヴェンのハ短調交響曲のようだ。クナッパーツブッシュが指揮していたら、半分で終わるだろう。

プッチーニもあまりにマノンに長生きさせ過ぎてこりたのか、この後の作品では、ミミは他の連中がしゃべっている間に黙って死ぬし、トスカはいきなり塀から飛び降りるし、蝶々夫人は死ぬと宣言してきっちり死ぬし、西部の娘では縛り首にならずに生き延びて死なないですませるし、修道女アンジェリカは時空連続で天国に行くし、ジャンニスキッキでは幕が開いたときには死んでいる。

というわけで、歌手はいずれも良かったし(ポルタは道化師のときよりも、今回のデグリューのほうが似合っているように思うし、兄貴のイェニスは好きな声だし、とにかくヴァッシレヴァが素晴らしい)、オーケストレーションには納得がいかないが曲は美しいし、良い舞台だった。


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