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日々の破片

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2014-09-01

_ ふと思い出したサンリオ

たださんの日記を見ているうちに、『サンリオ文庫を買い占めておけば、いまごろ大金持ちですわ(ないない)』というセリフにぶち当たり、思い出したくもない不愉快な言いぐさを思い出した。

ある日のこと、といってももう30年近く前のことだが、神保町をぶらぶらしていて、何気なく古本屋に入って目の玉が飛び出した。

おれが持っているサンリオ文庫のディック短編集4冊組(だと思うんだけど、違うかも)が、8000円だか12000円だかで売っているじゃないか。

待て待て、ここは古本屋で、おれは暗記するほど読んだから(当時。今でも覚えているのはありそうだが、トリガーがないと思いだせない)もう売ってもいいし、仮にこの本屋がマージンを50%取っているとしても5000円くらいになりそうじゃん。よし、売ろう。

ところが、店番のおやじの雰囲気がどうもあまり感じが良くない。悪い予感がしたともいえるが、いきなり家に帰ってサンリオ文庫をがしがし持って来て全部で1000円とか言われる可能性も考慮して(他にもジャリの馬的思考とか、バロウズのノヴァ急行とか、ラーオ博士のサーカスとかいろいろ持ってたが、当時としてもなかなか読めない作品の数々を積極的に翻訳しているのは良いけれどどうも不思議な翻訳が相当あったように思う。ただサキの短編集は創土社のやつよりむしろ良訳だったような記憶がある)、とりあえず聞いてみるかと、「サンリオのディックの~と~と~と(結構たくさん)持ってるけど、いくらくらいで買ってもらえるんですか?」

すると、おやじは一言吐き捨てた。

「文庫は1冊5円(10円だったかも)」(追記:思い出は美化されている可能性があるなぁと思い返す。10冊につき1円とか言われたような気がしてきたぞ)

「ええ?」

あまりの落差に驚いて聞き返すと、死ぬほど面倒くさそうな顔をして、

「文庫は文庫だJK(みたいな言い方)、へんへん」

と、鼻息ふんふんものでさらに吐き捨てられた。

というわけで、二度と来るかと後にしたのだった。

まあ在庫リスクがあるところまでは認めるにしても、その店は割とSFが多めだったから、文庫は文庫だみたいな言い方を思いっきり不愉快にするとは思わなかったので、魂消た。扱うジャンルのファンを大事にしない本屋は見たことがない。で、なぜか店の名前が平井なんとかだったのは記憶してしまった。

それから数年、唐沢兄弟のマンガを読んでいたらSF作家の親類がやっている悪名高きH書店というセリフが出てきて、ああああああ、あれか! とえらく納得して、それからしばらくの間は唐沢兄弟の言い分をわりと信用していた時期もあった。

それからさらに数年して、そのあたりを通ったときに、もしかしてディックが売れ残っているんじゃないかと興味しんしんで見てみたら店ごとなくなっていた。

アジャストメント―ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫 SF テ 1-20)(フィリップ・K・ディック/大森望/浅倉久志)

(ディックについては以前の翻訳も悪いものではなかったと思うが、今のほうがきっと良い訳なのだろうなぁ)


2014-08-31

_ Mozillaはプラットフォームに敬意を払っている

やはりWindowsでも動かしたいよなぁとFireRubyをいじっていていろいろ戸惑う。

OSXと異なり、firefox-binがない。

でも、C:\Program Files (x86)\Mozilla Firefoxをつらつら眺めると、XULなどの構成には特に違いもない。さらに見ると、firefox.exeが妙に小さい。

それにしても、空白入りディレクトリに、自分のディレクトリまで空白を入れるところに感心した。いきなりC:\のルートにインストールしろとかたわけたことを平然と書いているカスは見習うべきだろう。

それはそれとして、ということは本体をDLLとして、exeは単なるローダーに過ぎないのだろう。

つまり-binは不要な可能性が高い。

そこで、firefox -app ... のように試してみたらエラーになる(後に、この時点で引数をうまく作れていないことに気付いたが、そこは本質ではない)。

そこでfirefox /app ... のように試したらうまく行くではないか(この時点で引数も正しく作れてしまっていたのだけど)。

なんと、良くあるPOSIX脳と違って、ちゃんとDOSコマンドラインの流儀に従っているのか! と感心した。

(その後、ディレクトリセパレータが/ではなく\にする必要があるとかいろいろDOS流儀に忠実なためにこちらが音を上げることになるのだが、それは別の物語)

かくあるべきかくあるべしな優れたソフトウェアだな、と認識を新たにした。

_ 統合監視ソフトウェアMIRACLE ZBX/Zabbixシステム管理

アスキーの鈴木さんから『統合監視ソフトウェアMIRACLE ZBX/Zabbixシステム管理』を頂いたが、さすがにこれはないだろうと、眺めながら思う。

統合監視ソフトウェアMIRACLE ZBX/Zabbixシステム管理 (アスキー書籍)(株式会社システム・テクノロジー・アイ 武見弘之)

どう考えても、おれには不要だし、読まねぇよな(タイトル通り、ミラクル・リナックスが提供している統合監視ソフトウェアZBXの解説書なのだ)。

とは言いながら表紙のラックの写真がかっこいいので何気なくパラパラ中を見たらなかなか面白い。

つまり、この本は(当たり前だが)統合監視ソフトウェアの製品のユーザーインターフェイスについて、実際のスクリーンキャプチャ、監視するべき(なので監視する)状態の説明図(たとえば図5-30 SNMPトラップの有用性)、想定される障害などについて説明してある。

ということは想定できる障害とその検知(もちろんユーザーインターフェイスの説明書なので具体的な検知方法が書いてあるわけではないから、そこは想像しながら読むわけなのだが)、検知後の通知、監視ユーザーインターフェイスといった、ソフトウェアシステムのアーキテクチャ(非機能要件)を考えるためのネタがゴロゴロしているのだった。

ZBXの説明書ではあるけれど、システムの統合監視ということについて考えたり設計したりするための参考書として、相当良いものだった。


2014-08-30

_ ワン・ツー・スリー、おれたちは結構違う

twitterを眺めていたら、こんなやり取りをしているのを見かけた。

(良くTwitterの引用って画像でやっているのを見るけど、それってなんかツールがあるのか? 探すの面倒だから逆に面倒だが多分今回オンリーなので手作業でタグ打ちだ)

えっ、もしかして普通の人は文章の声って聞こえないの?

@nalsh

@nalsh どっちかっていうと映像的記憶

@unak

@nalsh 映像化された作品の場合は聞こえるような感じもするようなしないようなって具合ですが、そうじゃない奴はたいてい聞こえません。世の中の多数派がどうなのかは知りませんが。看板や広告でも聞こえる(→ https://twitter.com/uranoia76/status/504987331003043840 … ) んですか?

@n_soda

@n_soda 要するに音声化してから認識しているので、声自体はあります。が、看板レベルだとニュートラルなので気にはなりませんね。標準から外れた口調であればあるほど、特徴のある声色になります

@nalsh

@nalsh へー、どれくらいの人がそうなんでしょう。僕は看板や広告で声が聞こえることは全くないです。

n_soda

おれはどうだろうとか考えているうちに、あれ、この議論はどこかで見たなと思い出した(実際は結構違ったんだけど)。

ファインマンの『困ります、ファインマンさん』で読んだんだ。

困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫)(R.P. ファインマン/Richard P. Feynman/大貫 昌子)

困りますは、ファインマンの著作の中では一番雑多な内容だと思うが(というのは、おそらく遺稿集みたいな感じでまとめることになったからだろうけど)、その分、内容は多岐にわたっていて興味深い。その他のファインマンを読んだわけでは無いから、これが一番ということは無理だが、それでもファインマンを読んだことがなければ、読む価値はとてもある古典的な読み物(エッセイ集)だ。

最初の奥さんとの悲痛な(でもユーモアを忘れない)思い出話(そのタイトルは『ひとがどう思おうとかまわない!』)から、両親から受けた家庭内教育(母親については最後に3行、でも教わったのは重要なことだ)――教育といっても日々の生活の中での会話から生まれること――について、最後はおそらく最も興味深い内容のスペースシャトルの爆発事故の原因究明委員会での闘争の記録、そういった内容だ。

通底しているのは、考えること、頭を使うこと、それがすごくおもしろいということだ。

その中の『ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー』に、上のやり取りに良く似た内容が書かれていたのだった(でも、読み返したら、良く似ているけどちょっと違う)。

似ているのはこういうことだ。人はそれぞれ独自の手法で思考する。

少年時代、ファインマンは思考とは自分へ向けた言葉であると考える。それを友人に言うと車のクランク・シャフトを自分に対して説明してみろと言われる。なるほど視覚要素もあるとわかった。

そのうちたまたま読んだ妙な本から、時間意識に目覚める。実験から得た時間意識は脳内の鉄の化学反応だという書物を目にしたからだ。

いろいろためして大体60数えるのに48秒要するということがわかる。鼓動に呼応しているかどうか階段を駈けて心拍数を上げて試したりしていると、(大学院の寮でやっていたために)他の学生の興味を惹くことになる。

しばらくして、仲間に実験結果を解説することになる。

たとえば読書をしながら数を数えることを並行にできる。しかし喋りながら数を数えることはできない。

すると、1人が手を挙げた。それはおかしい。喋りながら数を数えるのは容易だが読書しながらなんてできるわけがない。

かくして実証実験をすることになった。

ファインマンは渡された未読の本を読みながら60数えたところで切り上げる。48秒だ。次に読んだ内容を話す。

うひょーと疑義を挟んだやつが驚く。

次にそいつの番だ。あらかじめそいつの60を数えるために必要な時間を計測する。次にそいつはメリーさんの羊がどうしたというような即興の話を始め、60数えたところでやめる。なるほど、そいつが60数えたのは確実な時間経過で、しかも確かに喋っていた。

そこでなぜかを話し合って、ついに理由を発見する。

ファインマンは数を頭の中でワン、ツー、スリーと声に出さない声で数え上げている。そのため声は既に使われているので喋れない。

一方、相手(トゥキー)は数が書かれた見えない紙テープが目の前で進んでいるのを眺めている。そのため視覚は既に使われているので本は読めない。

この実験のおかげで、ファインマン(とトゥキーとそこに居合わせた連中)は、数を数えるという当たり前の思考ですら、人によって異なる方法を採用しているということを知る。なんてこった。

というわけで文字を読むなんて当たり前のことでもunakは文字通り字を眺めていて、nalshはそれが読み上げられているのを聞いている(実証実験はしていないけどまあいいじゃん)。

おれは視覚だけど、多分、視覚的な濃淡ある塊単位に分類して読んでいる。したがって漢字が少ないいわゆる開いた文章はすごく読みにくい。漢語が多ければ多いほど読みやすい。(それで、最近の平仮名がやたらと多い本やブログとかはすさまじく読むのに時間がかかるし、見た目が醜く感じる=醜いから読みにくいという洒落ではないけど、からすごく嫌い)

おもしろいなぁ。

#60%の人類はプログラムが書けないというような話も、おそらく60%の人と40%の人は異なる方法でプログラムを思考しているってことだろうね。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ きしだ [Twitterの引用を画像でやるというのは、埋め込みツイートのことですかねー https://dev.twitte..]

_ arton [いや、読み上げは視覚を塞ぐから(トゥキーのタイプかどうかの判定するなら)、カウント時は単に喋るだけじゃなきゃだめじゃ..]

_ きしだ [あー、読み上げちゃダメなんですね。しゃべりながらカウントしようとすると、たしかに「あと5分」みたいな感じの数字札を思..]


2014-08-26

_ 目の前の梵字

昨日、朝、外に出たら妙にちらちらした黒いものが横切る。

コウモリにしてはちょっと小さいし、そもそも明るいし、変だな、と思って良く目をこらすと実体がない。煙のような小さな龍のような、でも一番近いのは梵字だ。

これは本格的に眼がおかしくなったぞと思い、調べると、そういう飛蚊症らしい。

これまで飛蚊症というのは急に明るいところを見たら、ユスリカみたいなのが瞬間的に見えてすぐに消えていくやつのちょっと激しいやつ程度の認識だったので、差し渡しが4cmくらいある梵字も飛蚊症とは思わなかった。そのうえ、全然消えない。

しばらく観察しているとなかなかおもしろい。視点を変えていないつもりでも実は結構動かしているというのが、梵字が目の前を横切るから良くわかる。目で負うとそれに連れて逃げていくというのもおもしろい。が、でっかな分だけ実に目障りでもある。というわけで面白がってばかりはいられない。

しかもどうやら年を取ると普通に出てくるらしいが、場合によると悪性のやつもあるらしい。

悪性だと困るので眼科に行って、眼底検査を受けたが、検査用に2回にわたって点眼した瞳孔を開く目薬というのがなかなか衝撃的だった。4~5時間はそのままだから車の運転したり書類読んだりはできないと言われたが、なるほど、瞳孔が開きっぱなしというのは、こういうものか。世の中すべてがハレーションしているみたいに見える。しかもピントがあまり合わない。

で、結論としては悪性ではないらしくて安心した。2年くらいはそのままだと言われて、不思議になった。2年たつと消えるのか? 消えるわけではないが形が変わるし慣れるから気にならなくなるだろう、とのことだった。

それにしても、気にすると気になる。気にして目で追うとますます目立つ。厄介なものだな。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ shiro [私も大きいの飛んでます。眼底出血した後、血管の切れ端みたいに見えるのがずっとふよふよ。ほぼ透明になりましたが消えない..]

_ arton [僕にはフリッカーは気にならなかったけどなぁと思ったら、今は液晶だからですね。CRTを見ている時は無意識に相当激しく瞳..]


2014-08-25

_ サイバネティックスを読み始めてみた

本屋へ行って岩波文庫のコーナーを見ていたらサイバネティックスが復刊していたので手に取ってぱらぱら眺めた。最初、表紙が逆についているので驚いて、岩波文庫とは思えぬ横書きで句読点が「.,」の本でびびったが、ぺらぺらめくってもそれほど難しそうな数式などは出ていなそうだったので買ってみた。

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)(ノーバート・ウィーナー/池原 止戈夫/彌永 昌吉/室賀 三郎/戸田 巌)

高校生の頃、ブライアン・イーノの文脈でサイバネという言葉が流行っていたし、それがフィードバックに関するものだというのはわかっていたけれど(音楽は楽譜を視覚で認識して音響を仮想的に再生し、手が演奏し耳がそれを聞いて仮想的に再生した音響との差異を元に修正していく作業だからまさにフィードバックの世界だ)、ウィーナーのサイバネティックスそのものを目にすることはなくてそのまま忘れていた。

眺めると1940年代の本だということがわかり、えらく古い。でも副題の『動物と機械における制御と通信』というのはやたらと興味深い。

ページをめくって『第一版に際して』というウィーナー自身の前書きを読むといきなりシャノンという名前が出てきて、あ、そういう分野なのかと理解した。

それが『第2版への序文』になると、学習する機械(learning machine)という言葉が出てきて、machine learningや遺伝的プログラミングのオリジナルな考え方なんじゃないかとわかりますます興味を惹かれてまじめに読み始めた。

が、この本は1940年代に書かれたものだし第2版にしても1961年だ。

序章はサイバネティックスという学問の分野が成立するまでの歴史の俯瞰となっている。ここは人文的な章なので普通に読めて非常に興味深く、しかも感動的だった。

序章はウィーナーたちが組織した学際的研究の場とそこに集まった異才とそこでの議論、なぜ学際的研究が必要で役に立つのか、そういったことが淡々と、しかしえらくエキサイティングに語られている。最初は1930年代にハーバードのホールで月に1回夕食を食べながらの討論会をやっているうちに学際的研究の重要性に気付くところから始まる。

(引用はいちいち,.にするのは面倒なので、。を使う)

ある時代におけるすべての分野の学問を自由にマスターできるような人は、ライプニッツ以後、おそらく一人もいないであろう。(略)今日では、単に自分は数学者であるとか、物理学者であるとか、生物学者であるといえるような学者はほとんどいない。今日の学者は位相数学者であったり、音響物理学者であったり

するので、

重要な研究成果が三重にも四重にも別箇にまとめあげられているかと思うと、ある部門ではすでに古典的とさえなっている結果が、他の部門ではあまり知られずに研究が遅れているというような有様である。

というわけで、ウィーナーと心臓病の権威らしきローゼンブリュート博士、MITの物理学教授ヴァリヤルタ博士、計算機学者のブッシュ博士、論理数学者のピッツ、ノイマン、シャノンといった人たちが集まって来る。

1930~40年代のことだ。日本が孤立して太平洋戦争と日中戦争をやっているときに、アメリカでは機械から電気へ、10進法から2進法へ、人間による操作から自動的操作へといったことをやっていたのだった。

序章は次の産業革命が起きることを確信し、

腕利きの大工・機械工・裁縫師は第一次産業革命の場合でもある程度まで失職しなかったと同じように、第二次産業革命でもすぐれた科学者や行政官は失職しないであろう。しかし、(略)倍々よりも人間の価値を尊重する社会をつくることである。

と能書きを言うだけではなく労働組合の幹部とも話し合いを持ったりもしたようだが、

このようにして新しい科学、サイバネティックスに貢献したわれわれは、控えめにいっても道徳的にはあまり愉快ではない立場にある。

というところで終わる。実際のところ、サイバネティックスはもっと低次元のところを徐々に変えたに過ぎないけれど(それでも1947年段階ではまだ先のこと扱いしている完全自動工場については、相当なところまで実現している)こういう心配をしているところに、すさまじい自負心を感じて、その気宇壮大さに感心する。

序章でもっとも興味深いのは、コンピュータはミサイルの弾道計算のために……という一言で語られる歴史がより詳細に説明されていることだ。

飛行機が速くなった結果、その速度は弾の速度とそれほど変わらなくなった。それに対して、効果的に(弾は高価であるから)撃墜するためにはどのようにすれば良いか。まずそれだけの速度で移動している飛行機は急激に進路を変えることは不可能だから、直前と同じ方向へ進んでいると仮定する。これは心理学の点でもほぼ真と考えられる。なぜならば戦争状態で緊張している飛行士は複雑な自発行動を取るよりも、それまでの訓練で身に覚えた型どおりの行動を取る可能性が高い。

これらの条件から、飛行進路の曲線を予測する計算機というのは役に立つ可能性が高いので研究対象として資金と時間を注ぎ込むに値する、というわけで開発を始めたという箇所だ。

その前段では加算と乗算は計量式ではなく計数式にすべきで、それはスイッチ操作を高速に行うために機械ではなく電子管、10進法ではなく2進法……というように現代のコンピュータが少しずつ立ち上がって来るのも興味深い。

1章ではニュートンの時間、ベルグソンの時間と題して、非可逆なものを扱う時代が到来したということを説明している(のだと思う)。

天体の観測であれば、5時間後の月の位置と5時間前の月の位置はいずれも求めることが可能だ。古くからある学問としての天文学に対して、気象学は最近やっと学問として立ち上がった。5時間前の雲の位置も5時間後の雲の位置も正確に求めることはできない。そこでは統計学的な記述が意味を持つ。これによって生物学から自動機械への道が開かれた。

第2章ではルベーグとギブズという積分論の数学者と、統計力学の解析学者の2人によって(お互い相手のことはまったく知らなかったために最後まで到達できなかったが)達成された統計力学の説明なのだが、さすがにここからは難しくなってくる。まだ出てくる数式は積分と微分だけなので書いてあることは読めるのだが、はておれは内容を理解しているのだろうか? と疑問になってくる。ある系に対して変換をかけることで平均が1または0のいずれかになると言っているのだと読めるのだが。うまく要約できないから、おそらく理解できていないようだ。

とりあえずここまで読んだ。


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