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日々の破片

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2014-12-19

_ シラーの群盗を読む

新国立劇場のドンカルロスのプログラムを読んでいて、シラーに興味を掻き立てられた。自由を愛する人は好きだ。

言われてみれば、ロドリーゴとの歌ではリベルターと叫びまくっているが、それがシラーらしさということなのか。

というわけで古本屋でシラーのドンカルロスを探すが置いていない。

しかし、群盗があったので買って読んだ。シラーの作品そのものは(ベートーヴェンのニ短調交響曲の一部をのぞけばこれが初めてだ)感動した。すごいスピード感とエモっぷりにくらくらした。

なにしろシラーが学生時代の1778年頃、18歳くらいで書き始めた作品で21歳の発表時にはとっくの以前に書き終えていたというのだから、若い、熱い。

2幕3場の最後、根城にしているボヘミヤの森を1000人の軍隊が取り囲む。わずか80人の群盗を前に盗賊団の隊長に祭り上げられたモオル伯爵が叫ぶ。

一同:救え、救え、救え、隊長を!

モオル:(身を解き放し、喜ばしげに)今こそ、おれたちは、自由だ――諸君! おれは、この拳のなかに、大軍の力を感じる――われに自由を与えよ、しからずんば死を! 一人たりとも、敵に生捕らせてなるものか!

《攻撃のラッパ、鳴りわたる。喧騒、混乱、一同、剣を抜いて進む。≫

かっこいい。

ふと、中浜哲の詩を思い出す。

黒光りする血精に招かれて、

若人の血は沸ぎる、沸ぎる。

ああ、そうか。まさに疾風怒濤だ。

だからギロチン社の映画がシュトルム・ウント・ドランクッなのか。

しかも、群盗の翻訳の言葉が持つ疾走感が見事なまでに近代文学の味わいだ。読後に訳者のあとがきを読むと、1936年には完成して上演されたようだが、さらに読むと一高の西寮で18歳の僕は群盗を読みふけっていたというような記述がある。シラーと同い年か。訳者は1900年生まれということは読みふけっていたのは1918年、大正7年のことだから、日本のシュトルム・ウント・ドランクッとして大正年間を当てはめ、ギロチン社に群盗を写してみても少しもおかしくはない。

物語は破綻しまくっている。主人公のモオル伯爵(の息子でまだ爵位は継いでいない)カアルは請われて隊長になったのに行動がむちゃくちゃすぎる。とはいえ、そこで離反しようとする仲間や、それでも認める仲間がいるので、どこまで計算ずくなのかは良くわからない。

いきなりモオル伯爵の居城で舞台は始まる。フランツ(伯爵の次男)が伯爵に兄貴(カアル)の不行跡をいろいろ言い、勘当の手紙の代筆をすることになる。どうも、フランツには悪しき魂胆があるようにしか思えないのだが……と読んでいると、あっさり自分がいかに兄貴を憎んでいてうまいこと追放するか苦心しているというような独白となる。ははぁ、シェークスピアのリチャード3世に学んだのだな。

一方カアルは父親から見捨てられたと知り絶望する(弟の書いた無茶苦茶に冷酷な手紙を読んだからだ)。そこにルンプロの親分のような奴(仲間を焚き付けて盗賊団を組織しようとするが、仲間たちはカアルを隊長に推すため、いろいろ小細工をすることになる)と6人の自由人がからみ、結局ボヘミヤの森で盗賊団を結成することになる。仲間は破産した商人、自由業者などなどと紹介されているから、まさにマルクスが蛇蝎のように嫌い、バクーニンが恋い焦がれたルンプロ革命団だ。

一方、モオル伯爵領では、フランツの陰謀によって伯爵は死亡、カアルの婚約者のアマリアに魔の手が迫る。

ボヘミヤの森では、絞首刑目前の仲間を救出した盗賊団の宴会が開かれている。そこで赤ん坊を火に投げ込んでやったと自慢した仲間がカアルから追放される。険悪な雰囲気になったところに、1000人の軍隊が森を包囲していることが告げられる。そこに教父がやって来て、おとなしく自首すれば拷問抜きの車裂きの刑で勘弁してやると降伏を勧告する。それに対してカアルが真の神の王国についての問答を仕掛ける。おお、反カソリックだ。教父プライドを徹底的に傷つけられて捨て台詞を吐いて逃亡。

そして戦闘になる。

その後、ボヘミヤの追放貴族が仲間に加わることで、アマリアのことを思い出したカアルは仲間を連れてモオル伯爵領へ潜入する。

実は伯爵は地下牢に閉じ込められていたことがわかる。カアルは激怒してフランツを誘拐することを部下へ指示。

結局、攻め込まれた弟は自殺。生捕りにしそこなったことで一番の子分にして理解者のシュワイツアは責任を取って自殺。

みんな、引き上げてな、隊長に伝えてくれ、やつは斃ばった――おれは、もうお眼にかからんとな。(額を射ぬく。)
なんと潔い。おれ、こいつのこと好きだったのになぁ。

一方、疲れ切った親父は愛する息子が盗賊になったことを知り絶命する。

アマリアは盗賊だと知ってもカアルに愛を誓う。カアルの心がぐらつくと、群盗が一斉に裏切り者と詰め寄って来る。カアル、運命を悟りアマリアを射殺。

しかし、自首するために群盗と別れて一人去る。(多分、5日かけて灼けたヤットコで肉を剥ぎ取られる刑で死ぬことになるらしい)

群盗 (岩波文庫)(シラー/久保 栄)

後半があまりにぐだぐだになるのは、検閲防御のためなのかなぁとか想像せざるを得ないが、それでもなるほど、群盗の自由に憧れる人間がいた250年を生き残った文学だけのことはある(が300年は生き残れなかったような気がする。実際問題、国内については絶版だ)。特にボヘミヤの森の群盗たちの情景は素晴らしい。


2014-12-16

_ 大根の月山

風邪引いて寝込んでいても腹は減る。

面倒くさいから大根の味噌汁を作るか、と大根を適当なところで輪切りにして皮剥いて、さらに薄く輪切りにして、半分は銀杏、半分はサイコロに切る。だし汁に入れて透明になるまで茹でてから味噌を入れてかき混ぜて出来上がり。簡単なものだ。

中学生の頃、その年に芥川賞をとった森敦の月山がはやった(周囲の3人くらい)。薄いのですぐ読めた。

私小説の類だったので、文章のうまさというのは読んでいてわかるのだが、まったくおもしろくもなんともない。

が、その中にえらく印象的なシーンがある。後で読んだ連中と語らうと、皆が皆、そこの印象だけだった。

その後、何かのおりに同じく月山を読んだことがある連中を知ることがある。すべて、同じ個所の記憶であった。

僧房で筆者(私小説なので実際の筆者かどうかはともかく、一応は筆者)は味噌汁を振る舞われる。何もないところですし、肉食はできません。大根だけは良くとれるんですよ、とか言い訳しながら坊さんが椀を差し出す。

中には、短冊、賽子、銀杏に切った大根が入っている。

贅沢だな、と筆者は感じる。それぞれの切り方にそれぞれの味わいがある。

実際にやってみると、特に短冊の贅沢っぷりがわかる。銀杏はどうってことない。賽子はどちらからも作れる。しかし短冊に切るのは面倒だ。それでおれの大根の味噌汁には短冊は滅多にない。

それでもなんとなく月山の僧房を思い出しながら贅沢ですなぁと考えながら食べるのであった。

月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1)(森 敦)

(つい、アマゾン評を読んでびっくり。全然、つまらない私小説ではないらしい。子供の頃の記憶というか読解力ってのはあてにならないなぁ)


2014-12-12

_ Rubyのしくみ

風邪で寝込みつつ、以前、オーム社から送っていただいた(ありがとうございます)Rubyのしくみをようやく読んだ(読み込んだ、とは言えないけど)。

本書は言語処理系としてのRuby(特にMRI)にフォーカスして、字句解析、構文解析から始めてオブジェクトのメソッド呼び出しとオブジェクトの実装上の仕組みについて解説したものだ(だけではないので、それは後述)。

そのあたりはRHGを読んだから知っているよという人でも、2~4章にわたって説明されている、コンパイル、コード実行、制御構造とメソッドディスパッチの箇所は、YARVに基づいているので新味があると思う。

というわけで、Rubyの処理系を解説した本としては既にRHGというものがあるわけだが(Rubyソースコード完全解説という名前で売られていたが、当時の世相からハックという言葉が受け入れられなかったのが書名の理由なので、心ある人たちは本来の名前のRubyハッキングガイド(RHG)という名前で呼ぶ)、アプローチの仕方がまったく違う。

RHGはRubyのソースコードを読み解き、Rubyが何をしているかを解説した本だ。つまり、Rubyの解説という柱とは別にCで記述されたある程度の規模のソースコードを読み解くための技術解説という側面がある。これはとても志が高くなければできないし、書くのは実に大変な作業だ。類書が余りない理由でもある。もう一つ、RHGのハッキングという言葉が暗示しているように、RubyのCソースファイルの読者が生まれれば、それはRuby処理系の開発者(つまり、Rubyをハックする人)の養成につながるという意図もあると思う。

Rubyのしくみは、必要に応じてRuby1.8とRuby1.9(あるいはJRubyなども交えて)ベンチを取りながら、Ruby処理系の解説と、そこで採られている高速化のための手法などを解説する。どちらかというとRuby処理系で実行するアプリケーションの開発者が(想像力と技術力が必要なのは当然として)高速かつ安定(安全)にアプリケーションを動作させるために知っておくべき、処理系自体の考え方や実装詳細についての情報を与えるという意図があるように思う。

つまりRHGはCプログラマを向いている本(目的はRuby開発への参加要請=>Rubyコアコミュニティへの貢献)だが、RubyのしくみはRubyプログラマを向いている本(目的はRubyを基盤とするアプリケーションの安定かつ高速稼働=>Railsコミュニティへの貢献とまでは断言しないけど、まあそういう感じはある)だ(もちろん、そうは言っても処理系の解説書なので、本書を読んで、おれもすげぇプログラミング言語を作ってやろうという意欲を掻き立てられる人も出てくるだろうし、それも筆者の望むところだと思う)。

という目的の差もあって、Rubyのしくみはとても読みやすい。図が多く、能書きが多くなったなと思うとベンチしてみたりして、結構、このての純粋技術解説書でありながら、構成にめりはりが効いている。

そのての工夫としては、JRubyとRubiniusの章で、それぞれ既に説明したMRIと比べたりすることで理解を促進させているのだが、比較としているオブジェクトがJRubyではString、RubiniusではArrayと変化をつけているのもおもしろい(これらのオブジェクトがJRubyやRubiniusにおいて特に特徴を持っているのか? と思いながら読んだが、別にそういうことはなかった。少なくとも僕の読み込みでは。間違っていたら、風邪で頭がぼーっとしていたから、というのが原因だろう)

あと、新しいだけに当然のようにRefinementsについての説明もある(RailsコミュニティのRuby処理系に対する貢献の一つに実際にオープンクラスを試しまくった結果としてのRefinementsの要請(必要性の確信)だったのではないか?)。

最後に短いのだが、笹田さんがYARVについて解説している。その解説が、どうやってYARVを開発して1.9で組み込まれるようになったか、という(うかつに読むと一見)自慢話みたいに見えるのだが、すごく重要なことを書いている。

つまり、それはRubyが持つモジュラー構造についてで、そもそもYARVは拡張ライブラリとして実装されていたという点だ。ぱっと思いつくところだとyajitも拡張ライブラリとして実装されていたはずだが、処理系の内側(微妙な表現だなぁ。内側ではないという声が聞こえてきた)に手を入れる部分を拡張ライブラリとしてはめ込めるという点は、Rubyという処理系の最も重要な特徴なのかも知れない。

とか、いろいろおもしろかった。

簡単に読めるかどうかは微妙だし、買ってすぐ役に立つレシピブックのようなものとは正反対の性格の本だが、仕事でまじめに(つまりRubyで開発したアプリケーションを継続的に、最終的にはお金を目的として使い、つまりは安定していて高速な実行が必要な)Rubyのプログラミングをしているのであれば、読んだほうが良い。また、その価値はある。

Rubyのしくみ -Ruby Under a Microscope-(Pat Shaughnessy/島田 浩二/角谷 信太郎)


2014-12-07

_ 人の砂漠の続きを読む

おばあさんが死んだがなかなか読みごたえがあったので、返却期間を延長してもらって、1つを除いて結局すべて読んだ。除いたのはオキナワの返還前の様相をルポした作品で、まあ理由はいろいろある。

全体に記憶の中にある1970年代の世情を映しているのだが(ルポルタージュなのだから当然だ)、50年近くたってもそれほど変化がない(道具立ては変わっても行動がそれに伴わない)人間の営みというものに興味を惹かれる。

おもしろさが抜群だったのは、『鼠たちの祭』という先物取引師たちを描いたルポルタージュでとにかくおもしろい。

何がそんなにおもしろいのかと言えば、まず第一には語られた一癖二癖それ以上ある先物取引師たちの人物像だ。阿佐田哲也の最上の麻雀もののような潰し合いがまずおもしろい。

ルポライターという立場の強みで、食った側と食われる側の両方を取材して勝負の両面を描いた部分は特におもしろい。

たとえば、伊藤忠雄とそのある時点までの子分格で2億円(当時だから卵を除けば今の20億円くらいの重みがあるんじゃないか)を貸したこともある板崎喜内人の毛糸勝負や、正田と増山の小豆勝負(どちらも食われた側だがある時点まではこの2人の勝負)がそれだ。

まず冒頭が、まるでフラッシュボーイズ(もちろんまったく違うのだが、それでも根底には相場という価格変動の場で勝負する連中という点で近しく思い出したのだ。もっとも50年という歳月が週単位の勝負をナノ秒に変えてしまったところだけは時代性を感じさせる)みたいな若手5人組(小豆アパッチ)が2年で50億稼いで今や大負債を抱えて沈み込んだところ(アパッチ族の滅亡)のインタビューで始まり、興味を大いに引き立てられる。

そして、この若手たちが板崎(興味を惹かれてその後を検索して調べると、相場といっても博打は博打、最後は沈んで消えていったらしい)の名前を出したところで、さらなる大物達に入り込んでいく構成が良い。

というよりも始まって2ページ目の

現代においてまだ20代、30代の男が天下を狙える世界があるということは感動的なことだった。しかも、高校を出ただけの親の威光も財産もない者たちが、である。

というのが、1970年代(高度経済成長が終わり勝ち組と負け組が固定化されたものの慣性で右肩に上がっている時代――負け組には単に物価が上がるだけの少しも嬉しくない状況――が、この時代のそれが一種のルサンチマンとなってデフレ脱却を遅らせる心理的要因になったのだろうなぁという意味では二重の呪いだ)に語られる点がおもしろい。「現代において」と「狙える世界」って実は恒常的なことだというのが良くわかる。、

と、阿佐田哲也の世界のような勝負の話でありながら、これが相場という経済戦争である点と、先を読む経験と勘と想像力によって全財産と体を張っていくところが、昨今の起業家やベンチャーのエピソードと被るところが実におもしろい。

次が、末尾の鏡の調書で、冒頭のおばあさんが死んだの対極のような83歳の詐欺師のおばあさんのルポ。対極だが円環は閉じるように詐欺師のおばあさんは正月の餅をのどに詰まらせて死ぬ。

その他、屑屋で働いて書いたルポルタージュの屑の世界は、純粋に興味深い。

北方領土について(日ソ共同声明の時は、北方領土がほぼ返還されるかのような扱いだったらしく)宗谷や歯舞をルポしたロシアを望む岬は、返ってきたら商売あがったりだという地元の声をはじめまったくそういう状況を知ることがなくきただけに驚異の世界だった。

何気なく書いたのだろうけど、12カイリのせいで、結果的に海洋資源が保護できていて助かっているという地元のコックの言葉は今でも有効なんじゃないかとか、ほとんど馴れ合いのように拿捕されるの承知で(ソ連から見て)密漁をしまくる漁師たちとか、おもしろすぎる。役所は政府の立場もあるから、北方領土を返せと口では言うが、町では本当に返って来たら困るという声のほうが多く、役人も本音としては町のためにはうんむにゃむにゃみたいな話で、このへんの多重化された構造が、鈴木宗男のような怪物誕生の土壌なのだなと納得する。返って来たら、北方領土を返せという何千枚だか何万枚だかを毎年役所に収めている業者が倒産するというのは、なるほど、それはそうだろうと思ったが、実にくだらないからどうでも良いが、漁業のあり方についての北方領土がソ連の手中にあることによる経済効果の部分は実におもしろかった。

天皇を襲った人たちについての不敬列伝は、興味深くはあるけれど、そして昭和というのはそういう時代だとは覚えているが、まあそんなものだろうか。ただ、皇太子(当時、つまり今上のことだ)に駅のホームでキャラメルを渡そうと思って近づいたら警官にぼこぼこにされてすべてを失った男のエピソードで、警官が殴り倒す前の時点で皇太子も何気なく手を出してキャラメルを受け取ろうとした、というところに救いというか、いい感じを覚えた。

売春防止法後の女性の救済施設(というと違う気がするが)のかにた村をルポした棄てられた女たちのユートピアは渾身のルポ。

この作品と屑屋の2本が作品としては白眉だが、特に沢木耕太郎らしい対象との距離の取り方についてはこの作品が転機となったのではなかろうか。取材する側とされる側の越えられない壁の大きさが最も大きく(屑屋であれば自分が働くこともできるが、性病をうつされて脳みそ含む身体がぼろぼろになっていたり、もともと精薄(IQ40とか)だったりする引退した娼婦にはどうあってもなることも追体験することもできないわけだ)、きれいごとだけでは世の中はなく(こういう素材は想像するに感動させるように書くことはおそらく簡単なのだが、そういうものを書きたいわけではないのだろう)、読者の側に立たなければ売れる作品とはならず、かといって作りたいのは創作ではなくルポルタージュであり、という自身の営為を見直しながら書いているのが手に取るようにわかるだけに(ということは、ルポルタージュとしては失敗作なのかも知れない)、すばらしくおもしろい。

特に印象的なのは、「さんざん楽しんだからこうなった」みたいな物言いを入院中に掃除のおばさんにされたという城田ばあさんの話は(そこは本題ではなく、そういう時に支えてくれたのは……というのが本題なのでスルーされているが)社会構造におけるステレオタイプの効用に対して気づかされるものがあって衝撃的だった。代弁者がいないというのはそういうことなのだな。

力作だったし、傑作だったし、1970年代のルポルタージュで1970年代の人に対して書かれたものにもかかわらず、50年たっても読む価値がある普遍性を獲得した良書だった。

人の砂漠 (新潮文庫)(沢木 耕太郎)


2014-12-03

_ 新国立劇場のドンカルロ

日曜に観て、あまりの良さに今日も観た。

まず舞台美術が素晴らしい。正面からみて4枚のパネル(実際にはさらに奥にもあるし、天井にもあるから、6枚以上はあるのだと思うが)を1mくらい離して十字架を作ったり、斜めに並べて奥行を出したり(2幕の宗教裁判のシーンとか)、独房のようなものを作ったり、折り紙で4個の四角の内側に指を入れて開いたり閉じたりするのがあるが、そういう感じだ。

舞台がパネルの位置関係でいろいろなシーンを作れるからか、幕間と場面転換は異様なまでにスムーズでこれもとても良く、どの点を取っても素晴らしい。

色はグレーの粗い岩壁のようなのだが、火刑上の手前になるときだけはピンクの色。4幕は照明を使って前面と袖側だけが青い(青い枠状)。

ドンカルロ役のエスコバルという人がこれぞテノールという感じの朗々たる歌いっぷりなのもしびれる。おそらくパネルを組み合わせた箱や壁を自由に作れるので、特に歌手の声が良く響くように考えられているのかも知れない。最初の修道僧の歌も良い(4幕版)。

4幕版なので、手短かなのは良いが(それでも100分と80分とかある)、フォンテヌブローの森のシーンが無いと、いきなりなぜドンカルロが横恋慕しているのか意味不明なようでもある。

ロドリーゴのマルクスヴェルパという人が良い顔良い服良い動きで実にロドリーゴらしくてかっこいい(その分、歌はちょっと弱めな気もするが(友情行進曲のあたりでは、ドンカルロの声量が豊かなこともあって食われてしまっている)、3幕の王様の部屋の最後の4重唱とかでは存在感があるし、良い声だ)。

エボリ公女のソニアガナッシという人はベールの歌のあたりでは散漫な印象なのだが、3幕の宝石箱でごめんなさいのところ(私の美貌が悪いのよ)では演技含めて驚くほど良い。エリザベータも4幕の最初の歌が見事に美しい。実に良い。エボリ公女は反省のあまり、自分で目玉をくり抜いて牢獄へ民衆を率いて乗り込んでくるときは眼帯になるというのは演出としては結構どぎつい。

演出はエボリ公女の眼帯もそうだが、妙に細部に凝っていていろいろおもしろい。

最初、修道院でエリザベータが落としたベールをドンカルロが拾って、それを中庭でエボリ公女が取り上げて追いかけっこになって(ケルビーノ的な勘違いの原因をいろいろ作る役回りなだけに)、最後は王様がベッドの上で匂いを嗅ぐ(オテロのハンカチだ)。

そういう古典の読み替えという意味では、エボリが目をえぐるのは、オイディプス王が自らがタブーを犯しているという真理を知る(そして罪悪感を得る)のと同時に自ら目をえぐり追放されることと軌を一にしている。

王様のベッドがまるで独房なのだが、ドンカルロの独房にシーンが変わると、下手と上手の左右対称の同じ独房であることがわかる。その独房に中央奥からどうどうと(とはいえ杖をついているから足取りは重い)宗教裁判長(妻屋、うまいなぁ)が入って来るのと、下手から巨大な影で悩める小人との影絵を作るロドリーゴが入って来るのが対称となる。ロドリーゴの影はキリストで、いかしたコートの軍服が、影絵の世界ではキリストの貫頭衣となる。確かに犠牲となって死ぬわけだ。

日曜に観たときは、王様がロドリーゴ暗殺の指令をくだしていたような記憶があるのだが、今日は省略していたかあるいは気付かなかった(日曜はわりと字幕を見ていたが、水曜は舞台そのものを見ていたというのが原因かも)。

指揮者のテンポが実に良い。4幕のアリアの木管の合奏になるパートの美しさと、そのあとの声との掛け合いになるところのバランス(ちょっとオーケストラが強めになる)も良い感じで、いろいろ音の特徴に気付かされる。

水曜のカーテンコールでは宗教裁判長とロドリーゴがやたらと仲が良くて面白かった。

フィリポ2世のラファウシヴェクという人は剃髪のせいで、コルチャク汗かイヴァン雷帝(剃髪していないけど)みたいで、少しもフィリポではないが、これまた良かった。高い音がきれいに響く。

・物語のスペインとフランドルという組み合わせが、あー、戦国時代なんだなという日本との関係が見えておもしろい。その後、フランドルがオランダとして独立するわけだが、スペインと国交断交した豊臣政権の後をついだ徳川政権がオランダと国交を結ぶとか、宗教の違いが物語で見えるところが、地球は丸いという感じでおもしろい。

演出、美術、指揮、歌手、作品そのものと、脚本の無茶苦茶さ(特に4幕はひどく、立派なお墓を建てるよ、まあ天国の花も大喜び、今こそ愛を義務によって克服しましたぞ、抱きしめても問題なし、とか、詩がいちいちツッコミどころ満載で、最後は死んだ爺さんと手をつないで彼岸へ去るとか、何がなんだか)はともかく、実に良い舞台だった。後2回あるのか……


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